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GOAJI SPL. RG250Γ(スズキ RG250Γ)雰囲気の再現度もさることながらレストアも高レベル【Heritage&Legends】
ヘリテイジ&レジェンズ 公式サイト
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変化していくモチーフを別メーカーパーツ加工で補完する
1974年にWGP(世界グランプリ)に復帰し、当時4ストロークが幅を利かせながらも2ストロークが速さを見せ出した最高峰の500クラス。ここにロータリーディスクバルブ・水冷スクエア4気筒エンジンを持ったファクトリーマシン、RG500(XR14)を開発したスズキ。
翌’75年には500クラス初勝利を挙げる(バリー・シーン)と、’76年には世界タイトルを獲得。’77年にも連続タイトル(ともにシーン)を得た。4年に渡る開発と熟成の賜物と言えるXR...
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GOAJI SPL. RG250Γ(スズキ RG250Γ)レジェンド、バリー・シーンのGP500初優勝車を再現する【Heritage&Legends】
ヘリテイジ&レジェンズ公式サイト
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当時パーツや自家再生を駆使したチャンピオン・レプリカ
ぱっと写真だけ見て、少し2ストローク時代(1970年代中盤〜2000年)の世界グランプリに興味がある人なら「イギリスのGB(Great Britain)スズキが保管する当地のヒーロー、バリー・シーン(Barry Sheene)用RG500では?」という思いが頭をよぎるかもしれない。確かにRG500のスタイル。ただ、よく見ていくと角型のアルミフレームだったり排気チャンバーが2本だったり、リヤがモノショックだったりする。
RG500はほぼ同レイ...
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<訃報> スズキの名物エンジニア 87歳で逝く ~さようなら横内悦夫さん
スズキ数々の名車を世に送り出した名物エンジニア
スズキ1970~80年代初頭のロードレース、モトクロス世界グランプリ時代のレースグループ長であり、市販モデルの世界ではGS750/1000やRG250Γ、GSX1100SカタナやGSX-R(400)/750などの名車を世に送り出した名物エンジニア、横内悦夫さんが亡くなりました。87歳でした。
横内さんは、昭和9年4月、宮崎県出身。昭和32年に鈴木自動車工業(当時)に入社、設計課に配属となり、同42年には短期間だけアメリカに駐在、同49年にレースグループ長に任命されてモトクロス、ロードレースのチームマネジメントとマシン開発を担当。 両競技とも...
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【RG-Γ伝】Vol.6「レプリカブームを牽引した250ガンマの最終型」RG250Γ SP(VJ23A)-1996〜1999- 〜当時の貴重な資料で振り返る栄光のガンマ達〜
この分野に対するスズキの強いこだわりを感じさせた250ccГの最終型
話題と販売の双方で我が国のオートバイ市場を牽引してきた250㏄レーサーレプリカだったが、嗜好の変化や規制の強化などから1990年代中盤になると勢いが衰え、ホンダとヤマハは細かな仕様の見直しやカラー変更のみで年式を重ねていった。
そんな状況にあってスズキは、まさかの全面刷新を敢行。1996年のことである。日本において、250㏄を超える2サイクルモデルは1999年で販売をほぼ終えたから、これは大英断だったといえる。
すべてが新設計され、エンジンはワークスレーサーと同じ70度にシリンダー角を変更。車体ではフレームを刷新、湾曲...
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【RG-Γ伝】Vol.5「初代RG250Γから僅か2年で大幅に進化した"V"ガンマ」RG250Γ(VJ22A)-1990- 〜当時の貴重な資料で振り返る栄光のガンマ達〜
前後足まわりやフレームを刷新、右2本出しの排気系が目を引く1990年型
RGV250Γ(VJ22A)1990〜1993
初代RGV250Гが登場してから2年後となる1990年型において、大幅な改良を実施。当時の開発サイクルは非常に短く、他メーカーも1988年とは異なるモデルを市場に投入していた。3型となる新しい"ブイガンマ"は、VJ22Aに型式が変化、機種記号の末尾に付くアルファベットはLとなった。
より高次元にエンジンを電子制御するSAPC:スズキ・アドバンスド・パワー・コントロールや、排気タイミングを細密にコントロールするAETCⅡ:オートマチック・エグゾースト・タイミング・コントロ...