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ヤマハ「RZ」の歴史を一気に振り返る! RZヒストリー(1980-1992)【Heritage&Legends】
1980年代を目前にロードレースの世界がワールドワイドになり、そこで日本メーカーが活躍したことで、軽量・高出力でスポーツ性の強いの2ストローク車に注目が集まった。一方の市販市場では、その2ストロークは環境対応で縮小傾向にあり、ヤマハもそれに倣う方向へとシフトしていた。 そして2ストロークモデルの開発販売が最後なら最良のものを…と投入されたヤマハRZ250/350が起爆剤となり、レーサーレプリカ熱とともに2ストスポーツを復権・発展させたのだ。当時のGPマシンと同排気量で1984年に発売されたRZV500Rはその究極点。その後、RZはレプリカ路線のRZ-R/RRを経て後期RZ-R/R1-Zで...
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クオリティーワークスRZ250(ヤマハRZ250)/国内定番でなく海外での人気手法による前後17インチ改#Heritage&Legends
ヤマハTZRでなくスズキ車を流用ベースに選択
「このヤマハRZ250は前後17インチ化を図った流用カスタムですが、国内で定番となっている同じヤマハのTZR250用パーツではなく、他メーカーとなる、スズキRGV250Γのパーツを使っているのが特徴です。海外ではTZRよりもこの手法の方がポピュラーなんですよ」
クオリティーワークスによる説明を受けて改めてこの車両を見ていくと、確かに全体の雰囲気はTZR流用とは異なる。TZR(同じくヤマハのFZR400も同様)は、こと国内では流通量の多さやRZと同メーカー製である点から、RZの17インチカスタムに多用されてきた。
それが海外だと、スズキRGV(...
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【YAMAHA RZ250】Part 2「空前の大ヒットモデル"RZ"はどのように生まれたのか?」【心に残る日本のバイク遺産】-1980年-2サイクル250cc史 編
「正真正銘、ヤマハ最後の2ストロークスポーツ」
1957年に登場したYD1からスタートした、ヤマハ製の2スト250cc2気筒スポーツモデルの系譜は、60~70年代を通じてYDS~DS~RDへと進化を続け、その優れた性能によって日本国内はもちろん世界的にも高い支持を集めるようになっていく。
しかし60年代から問題になってきた自動車の排気ガスなどによる大気汚染によって、70年代に入ると北米を皮切りに排気ガス規制が本格的にスタート。
さらに2回のオイルショックの影響もあって、パワーを犠牲にせずに排気ガス対策するのが難しく燃費も悪い、空冷2ストエンジンを搭載したスポーツバイクは急速に人気を失って...
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「YAMAHA RZ250」最後になるはずだった2ストロークの未来を切り開いた1台(4L3)【心に残る日本のバイク遺産】-1980年-2サイクル250cc史 編
レーサーレプリカを生み出すきっかけの1台
1970年代、オイルショックと米国の「マスキー法」による環境規制から2ストロークの存亡が脅かされていた。2ストローク技術を創業時から一貫して育んできたヤマハは、「最後の2ストローク」になるという想いと覚悟を胸に集大成モデルの開発を始める。
79年、東京モーターショーで「究極のロードスポーツ」と称しRZ250が発表されると、そのセンセーショナルなモデルはライダー達の心を掴んだ。圧倒的な市販化を支持する声に応えるべく、翌年8月、市販化をスタートさせた。
当時はレーサーレプリカという言葉は使われてなかったが、RZは市販レーサーTZ250の公道バージョン...
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RZシリーズ Part.1「RZ250」ナナハンをも脅かすヤマハ2ストロークの集大成 -1980〜1988年-【心に残る日本のバイク遺産】2サイクル250cc史 編
TZ250の構成を変えずに公道車としたRZは市場を席巻する人気モデルに発展した
1980 RZ250/4L3
1973年に初期型が登場したRD250シリーズに続く2サイクル250㏄スポーツの系譜が、RZ250である。公開は1979年秋の東京モーターショーで、会場では多くの来場者が姿を見ようとヤマハブースに殺到。二輪専門誌でも大きく取り上げられ、当時のオートバイ業界でたちまち主役となった。
RZ250で特筆すべきは、市販レーサーTZ250と近似したエンジンと車体の構成を持つことと、軽快さや速さを想起させる車体デザインを採用したことである。
先代となるRD250もTZ250と同様に並列2気筒...
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【昭和55年 YAMAHA RZ 250 /昭和57年 HONDA VT 250 F】ピュアスポーツに立ち向かったGPレーサー譲りのメカニズム【昭和vs平成 名車烈伝】
幾多の名車・ヴィンテージが生まれた昭和と
技術革新でオートバイが急速に進化を遂げた平成。
しかし、もうすぐ新元号。新しい時代に突入する前に
歴史に残る名車烈伝をお送りします。
いつまでも忘れない、今でも乗りたい珠玉の名車たち。
(※月刊オートバイ2018年8月号より)
RZとVTが出なければ250㏄はひょっとして…
RZ誕生前夜、世界のオートバイメーカーと自動車メーカーが環境対策に揺れていた。昭和45年、アメリカで成立した「マスキー法」は、アメリカで販売する自動車の排気ガスを90%も低減せよ、というあまりにも厳しい大気浄化法案だった。
もちろんこの法案はバイクにも適応されるもので、それは...
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【1980年 YAMAHA RZ250[4L3]】2ストレプリカのフロンティア的モデル【絶版車オブ・ザ・イヤー特別編】
レーサーレプリカを生み出すきっかけとなった大いなる一台
1970年代、オイルショックと米国の「マスキー法」による環境規制から2ストロークの存亡が脅かされていた。ヤマハは「最後の2ストローク」になるという想いと覚悟を胸に集大成モデルを開発。1979年、東京モーターショーで「究極のロードスポーツ」と称しRZ250を発表した。そのセンセーショナルなモデルはライダー達の心を掴み、市販化を支持する圧倒的な声に応えるべく、翌年8月市販化をスタートさせた。
当時はレーサーレプリカという言葉は使われていなかったが、RZは市販レーサーTZ250の公道仕様と言えるモデル。レーシングパーツすらも組み込みが可能...