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【昭和55年 YAMAHA RZ 250 /昭和57年 HONDA VT 250 F】ピュアスポーツに立ち向かったGPレーサー譲りのメカニズム【昭和vs平成 名車烈伝】
幾多の名車・ヴィンテージが生まれた昭和と
技術革新でオートバイが急速に進化を遂げた平成。
しかし、もうすぐ新元号。新しい時代に突入する前に
歴史に残る名車烈伝をお送りします。
いつまでも忘れない、今でも乗りたい珠玉の名車たち。
(※月刊オートバイ2018年8月号より)
RZとVTが出なければ250㏄はひょっとして…
RZ誕生前夜、世界のオートバイメーカーと自動車メーカーが環境対策に揺れていた。昭和45年、アメリカで成立した「マスキー法」は、アメリカで販売する自動車の排気ガスを90%も低減せよ、というあまりにも厳しい大気浄化法案だった。
もちろんこの法案はバイクにも適応されるもので、それは...
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【1980年 YAMAHA RZ250[4L3]】2ストレプリカのフロンティア的モデル【絶版車オブ・ザ・イヤー特別編】
レーサーレプリカを生み出すきっかけとなった大いなる一台
1970年代、オイルショックと米国の「マスキー法」による環境規制から2ストロークの存亡が脅かされていた。ヤマハは「最後の2ストローク」になるという想いと覚悟を胸に集大成モデルを開発。1979年、東京モーターショーで「究極のロードスポーツ」と称しRZ250を発表した。そのセンセーショナルなモデルはライダー達の心を掴み、市販化を支持する圧倒的な声に応えるべく、翌年8月市販化をスタートさせた。
当時はレーサーレプリカという言葉は使われていなかったが、RZは市販レーサーTZ250の公道仕様と言えるモデル。レーシングパーツすらも組み込みが可能...
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最後になるはずだったこの1台が2ストロークの未来を切り開いた【1980YAMAHA RZ250[4L3]】
レーサーレプリカを生み出すきっかけの1台
1970年代、オイルショックと米国の「マスキー法」による環境規制から2ストロークの存亡が脅かされていた。2ストローク技術を創業時から一貫して育んできたヤマハは、「最後の2ストローク」になるという想いと覚悟を胸に集大成モデルの開発を始める。
79年、東京モーターショーで「究極のロードスポーツ」と称しRZ250が発表されると、そのセンセーショナルなモデルはライダー達の心を掴んだ。圧倒的な市販化を支持する声に応えるべく、翌年8月、市販化をスタートさせた。
当時はレーサーレプリカという言葉は使われてなかったが、RZは市販レーサーTZ250の公道バージョン...