まとめ:オートバイ編集部/協力:東京エディターズ
※注:開発者の肩書きなどはインタビューが行われた1989年当時のものとなります。
▶スタイリングデザイナー・植本 匠氏
植本 匠氏
スタイリングデザイン担当 CP事業本部
技術統括部 開発部・デザイン課
スタイリングデザイナー
KDXやKSRなどのデザインを手伝ったことはあるが、本格的な担当はゼファーが初めてだった。

集合マフラーにこだわった理由と妥協なき選択
私が入社して初めて手がけたバイクがゼファーです。KDXやKSRなどの手伝いはしていましたが、自分が一から担当した初めてのモデルなので、かなり力の入ったデザインになったと思いますが、いかがでしょうか。
このゼファーのデザイン案は、当初イタリアンなカフェレーサーイメージ、モダンなイメージ、Zイメージの三案がありましたが、やはりZイメージがゼファーのコンセプトにはいちばんぴったりだということになりました。
簡単にZイメージといっても、歴史の長いZシリーズですから、いろいろな見方ができるわけです。見る人によってZ2であったり、FXであったり、ローソンレプリカであったりするのです。

初期に描かれたイメージスケッチ。細部は市販モデルと異なるものの、基本的なデザインはすでに具現化されていたことがよくわかる。
そしてもうひとつ、カワサキらしいイメージを持たせることも同時に行いました。これも具体的には説明しにくいものなのですが、なんとなく分かっているようなものでもあります。このふたつのイメージを考えながらスケッチを描いたのですが、当時は担当以外の人たちもいろいろなスケッチを描いて持ってきたりしていました。
つまり、それだけ社内が盛り上がっていたんですね。そんな雰囲気の中ででき上がったスケッチは、まさにふたつのイメージが合体したもので、見る人によってZ2だとかFXに似ているとか、ローソンっぽいなどいろいろな意見が出たので、まさに狙いどおりのものができたと思います。

塗装まで施されたファイナルモックアップ。テールカウル形状が市販仕様と異なり、フロントフォークにはアンチノーズダイブ機構らしき装備も確認できる。
しかし、何の苦労もなくすんなり決まったわけではありません。いちばんもめたのはマフラーの決定です。私としては集合タイプしかないと思っていましたし、市場調査の結果も90%以上のお客様がそれを望んでいるということでした。
もちろん2本出し、4本出しのスケッチも描いたのですが、どうもイメージとは違うものになってしまうのです。集合にするとメインスタンドをあきらめなければならないので、どちらを選択するかが問題になりました。
我々としては「これだけは絶対に譲れない」と反対署名までして、「もし集合でないならば、ゼファーを出す必要はない」と過激な発言までしたものでした。それほどゼファーに入れ込んでいたのです。

量産直前のファイナルモックアップ。ほぼこの形で市販化されたが、タンクマークには「Kawasaki」が装着されている。
カラーリングにしても、ゼファーを最大限に活かすために、あまり派手ではなく、かといって地味でもない新色を調合しました。カワサキカラーともいうべきライムグリーンも考えたことはありましたが、それは今後の課題のひとつです。
今振り返ると、なんだかとても不思議な気分です。何が何だか分からないうちに、初めて手がけたゼファーがこんなに売れているんですから。でも、やはりゼファーはいいですよ。最新技術を盛り込んだ高性能のニューフューチャーも大切ですが、このように、どんな人がどんなシチュエーションで乗っても絵になるバイクも必要だと思います。
具体的にどこをどうすればそんなバイクができるのか説明するのは大変難しいことですが、理屈ではなく、雰囲気を大切にした結果だと思います。本当にいい勉強をさせてもらいました。
▶プロダクトプランナー・吉田 武氏
吉田 武氏
商品企画担当 CP事業本部
技術統括部 開発部 商品開発課 係長
ゼファーの企画立案からコンセプト策定までを担当。ニンジャ以降の4気筒モデルを中心に、数多くの開発に携わった。

水冷時代への転換と新しい発想の芽生え
1984年にGPZ900Rが出まして、カワサキもいよいよ本格的な水冷高性能時代に入り、400クラスにもGPZ400Rがラインアップされたのですが、そういった高性能を追求するバイクとは異なったジャンルのバイクが必要ではないだろうかという話が出てきたのです。たしか1986年の春頃でした。
基本的なコンセプトとしては●単に高性能を追求するエンジンではなく、美しく見せられるエンジンらしいエンジン=空冷エンジンであること。●新しいタイプのロードスポーツモデルで、流行に左右されないロングモデルであること。●性能的には常用域を重視しながらも、スポーツ性を持たせること。●Zのイメージ、カワサキのイメージを踏襲すること。などが挙げられました。
社内的には「なぜ今さら空冷エンジンなのか」との意見も当然ありましたが、市場調査の結果や、我々開発陣が水冷と空冷エンジンについて多角的に比較した資料などによって、理解していただきました。
実際に開発チームが動き出したのは1987年の秋頃でした。初めは非公式で好き者が集まってごちゃごちゃとやっていたのですが、基本コンセプトを理解している好き者同士ですから盛り上がりました。
一時は「Z1、Z2のようなバイクをもう一度造れないだろうか」といった話もあったのですが、この話が流れてゼファーの設計に入ったことも影響してか、設計チームのゼファーに対する思い入れは強いものがありました。
ですからかなりの議論を繰り返し──というより、もめにもめた部分もありました。2本サスや集合マフラーとメインスタンドの問題などの他、テールカウルの形状ひとつにしても、かなり議論したものです。当初のデザインでは、市販されたものよりも鋭く上を向いているイメージでした。実際の数値上ではほとんど差がなく、関心のない人が見ればどちらもたいして違わないような形状です。

しかし、ゼファーの狙いから少し外れたような派手な形状に見えたようで、クレイモデルを何台も作り直し比較して、この形に落ち着いたのです。
このように熱の入ったデザインなのですが、だからといって性能面を犠牲にすることはできません。空冷エンジン、2本サス、丸パイプフレームですから、絶対的な性能を追求するものではありませんが、その中での最高の性能といいますか、街中でも乗りやすく、峠でも楽しいバイクにしたかったのです。
性能面については最後まで不安が残りましたが、谷田部の高速周回路で、斉藤君がゼファー、私はZX-4で走らせると、斉藤君はビュンビュンとバンクの上を走って行きました。私はあっさりと負けたのですが、同時に「これならばいける」と不安も解消しました。

「ゼファー」という名の誕生予想を超えた大ヒット!
ゼファーの名称については、どうしてもZは付けたいと、辞書でZの項目を引いて60種類ほどの中から選びました。この名称も新しいコンセプトを持つゼファーにぴったりのものができたと思います。
ライバルといいますか、特に他車を意識したわけではありません。ホンダのCB-1は結果的に先行して販売されたのですが、ゼファーはすでに量産直前だったこともあり、「ホンダさんはこういった形でアプローチしたのか」と思った程度でした。
あえていえば、ヤマハのSRXはある程度比較の対象にはしましたが。ゼファーは、全く新しいジャンルのバイクとして生まれたのですから、他車とは比較する土俵が違うのです。
最初は「5〜6千台もいけば成功かな」と思っていたのですが、実際にふたを開けてみれば、1年目で1万台を超える大人気となって嬉しい限りです。すべてのコンセプトが、求められているそのものであったからこそ、当たったのだと思います。
私自身がゼファーオーナーのひとりで、毎日通勤に使っています。最近雨の日が多く、2〜3日走ると泥だらけになってしまうので、休日は朝から洗車、ワックス掛けをします。作業が終わるのは夕方になってしまいますが、ピカピカになったタンクに映り込む夕陽を見るだけで疲れが飛んで行き、幸せな気分に浸れます。
これからも息の長いモデルとして育てていきたい、愛着のあるモデルです。メーカーとして高性能を追求することとは別に、このようなバイクも作っていかなければ、これからは生き残れないのではないかと、認識を新たにさせてくれたのもゼファーです。
