まとめ:オートバイ編集部
ホンダ「CB750F デイトナレーサー」の特徴

Honda
CB750F DAYTONA RACER
1982年
デイトナを完全制覇した栄光の歴史を纏うマシン
アメリカン・ホンダ・モーター(AHM)がAMAスーパーバイクレースに参戦を開始したのは1980年。前年の1979年に日本や欧州で発売されたCB750Fがアメリカ市場に導入された際のプロモーション活動の一環だった。その時に加入したのが若き天才、フレディ・スペンサーだった。
CB750Fレーサーを駆り、スペンサーは1981年にはカワサキのZ1000Jに乗るエディ・ローソンと死闘を演じ、翌年の1982年にはWGPへのフル参戦が決まっていながらデイトナ100マイルレースにスポット参戦。この年、CB750Fはデイトナで1-2-3フィニッシュを達成、この時優勝したのがスペンサーだった。
こうしてCB750Fの栄光のヒストリーの立役者となったスペンサーは、その後WGPでも大暴れする。彼が1982年に乗ったゼッケン19番のCB750Fレーサーは伝説のマシンとなり、その時のカラーリング(北米仕様のCB750FC)は「スペンサーカラー」と呼ばれ、語り継がれていくことになる。
1980年代に煌めいた“ファスト・フレディ”

Freddie Spencer
フレディ・スペンサーは1961年12月20日生まれ。1980年、若干19歳でUSホンダと契約すると頭角を現し、1982年には世界GPにフル参戦。翌83年には世界チャンピオンに輝き、1985年には世界GPの500㏄クラス、250㏄クラスでダブルタイトルも獲得。パワースライドを駆使した豪快な走法から「ファスト・フレディ」と呼ばれた。

ホンダ「CB750F デイトナレーサー」の各部装備・ディテール解説

1980年の参戦初年度は750Fベース。1981年以降はベースがCB900Fとなるものの、サイドカバーの文字は750Fのままだった。

ハンドルはK&N製のスーパーバイクバー。北米仕様のCB750Fはパイプハンドル仕様で、レーサーもパイプハンドルだった。

タコメーターはRSC(現在のHRC)製の電気式。スピードメーターは動かないが、ジョークで針が180mphで固定された仕様となっている。

エンジンはCB900Fから発展したワークスレーサー、RS1000用が基本。排気量は約1023ccで、最高出力は150PS近いと言われていた。

大きく上を向いた極太のメガホンマフラーはハンドメイド。製作したのは1980年にヨシムラから移籍したエンジニア、マイク・べラスコ。

フロントホイールはダイマグ製の16インチでタイヤはミシュラン製。Φ41.3mmのフォークは、なんとTRAC付きのNR500用が奢られた。

スイングアームはカリフォルニアファブリケーションが担当したアルミ製。リアタイヤは18インチ径で、ホイールはダイマグ製。

スーパーバイクらしい段つきシート。1982年のデイトナは#19スペンサー、#43ボールドウィン、#88ピエトリの3台体制だった。