1980年代中盤、日本のオートバイマーケットに「レーサーレプリカ」ブームが吹き荒れていた。
アルミフレーム、フルカウルでなければオートバイに非ずライバルたちより1kgでも1gでも軽く
レース結果も市販車の販売台数に直結していたような――。もう35年も前、日本にはそんな恐竜がうようよと棲みついていたのだ。
文:中村浩史/写真:富樫秀明

ヤマハ「FZR750」歴史解説・インプレ(中村浩史)

画像: YAMAHA FZR750 1987年 総排気量:749cc エンジン形式:水冷4ストDOHC5バルブ並列4気筒 シート高:775mm 乾燥重量:203kg 発売時価格:84万9000円

YAMAHA FZR750
1987年

総排気量:749cc
エンジン形式:水冷4ストDOHC5バルブ並列4気筒
シート高:775mm
乾燥重量:203kg

発売時価格:84万9000円

FZRとR1、その差35余年。走りの味が、見える景色が違う

跨ってみて驚いた。シートが低い。ハンドルはトップブリッジ下にセットされているのに、着座位置が低いから前傾姿勢も苦しくない。そのかわり、高いステップ位置にヒザの曲がりが悲鳴を上げる。そうそう、この頃のオートバイって、こんなんだった――。

1987年モデルといえば、昭和62年製のこと。この頃、私はまだこの仕事に就いてはいなかったが、世の中のバイク事情はよーく知っているつもりだった。もちろん、雑誌の情報ね。20歳の僕は1日と6日と15日と24日に発売されるバイク雑誌を、何冊も何冊も買い込むバイクバカだったのだ。

250ccから始まったレーサーレプリカブームが400ccに、そして750ccクラスに波及したこと。1985年にスズキGSX-Rが発売され、その年の鈴鹿8耐に、日本とアメリカのスーパースターがコンビを組んで、ヤマハが特別なレーシングマシンを仕立て上げたことももちろん知っていた。それがレーシングマシンFZR750、この市販モデルの元になったモデルだ。

チョークレバーを引き、まずはきちんと暖機する。真冬に弱々しく回るセルがエンジンを叩き起こして、アナログタコメーターの針が1500回転くらいで安定し始めてから走り出す。か細いアイドリング付近のトルクが盛り上がって、低回転を使って走り始めると、不意に回転がドロップしてエンストしてしまいそうになる。信号待ちでは少しだけアクセルを開け気味に固定しておかないと。

あぁ、こんなに現代のオートバイと違うものか――。FZR750に相当する現代のオートバイと言えば、1000ccだけれど、YZF-R1か。R1ならば、たとえ真冬であっても、セル一発でエンジンが始動し、オートアイドルでぴたりとアイドリングが一定する。エンジンが温まれば正規のアイドリングに落ち着く仕組みだ。

見ている景色も違う。R1はフルカラー4.2インチTFT液晶、FZRはアナログ3連メーターで、FZRにはギアポジションはおろか、燃料計も、時計すらない。R1は、今バイクが左右に何度バンクし、前後にどう重量配分されているのかさえメーターに表示されているというのに。

回転の上昇と同じようにパワーが盛り上がってくる。ばらつくエンジンが、かえってバイクを「操っている」感じがする。R1には感じられない、FZRと対話しながらのライディングが始まろうとしている。

画像1: ヤマハ「FZR750」歴史解説・インプレ(中村浩史)

レーサーレプリカに非ずんばヒットモデルにはなり得ない

1987年、この頃にオートバイ界でホットだったのは、まぎれもなく新ジャンル「レーサーレプリカ」だった。レーサーレプリカ=レーシングマシンの複製。レーシングマシンと同時開発されたとか、レーシングマシン××の公道市販バージョンと謳うニューモデルが次々と発売され、僕らライダーも最高に刺激的な新しいスポーツバイクに注目、一喜一憂していた。

そして1985年にGSX-R750が発売されるや、レーサーレプリカの風はついに国内最大排気量クラスにまで吹き荒れることになる。

GSX-Rに遅れること2年、ヤマハがFZR750を、さらに半年後にホンダがRC30ことVFR750Rを発売。カワサキがZXR750で参入するのは、スズキから約4年も遅い1989年になってからだ。

それほど、レーサーレプリカは刺激的だった。先陣を切ったGSX-Rで言うと、出力は全車横並びで規制値77PSのまま、同時期にラインアップされていたヤマハFZより32kg、ホンダVFRより21kg、カワサキGPXより20kgも軽かったし、1985年からの鈴鹿8耐をはじめとするTT-F1レギュレーションのレースには、GSX-Rを駆るプライベーターが大挙してエントリーしていた。世界耐久も、AMAスーパーバイクも、デイトナ200マイルも、である。

画像: スズキ「GSX-R750」1985年 すべての発火点はこれ、GSX-R750だった。油冷エンジンをアルミフレームに搭載し、フルカウルで着飾ったビッグバイク「レーサーレプリカ」の元祖。4ストロークレースの底辺も拡大した。発売当時価格:78万円

スズキ「GSX-R750」1985年

すべての発火点はこれ、GSX-R750だった。油冷エンジンをアルミフレームに搭載し、フルカウルで着飾ったビッグバイク「レーサーレプリカ」の元祖。4ストロークレースの底辺も拡大した。発売当時価格:78万円

画像: ホンダ「VFR750R」(RC30)1987年 レーサーレプリカ期にやや乗り遅れたホンダが、ガチのレプリカを投入したVFR750R(RC30)。国内に1000台の限定発売に多数申し込みがあったため、抽選販売されたことも話題になった。発売当時価格:148万円

ホンダ「VFR750R」(RC30)1987年

レーサーレプリカ期にやや乗り遅れたホンダが、ガチのレプリカを投入したVFR750R(RC30)。国内に1000台の限定発売に多数申し込みがあったため、抽選販売されたことも話題になった。発売当時価格:148万円

画像: カワサキ「ZXR750」1989年 最後発のナナハンレーサーレプリカは既存のGPX750用エンジンをアルミツインチューブフレームに搭載。GSX-Rの連続年間ベストセラー記録をストップさせた。1993年に鈴鹿8耐を制覇。発売当時価格:85万9000円

カワサキ「ZXR750」1989年

最後発のナナハンレーサーレプリカは既存のGPX750用エンジンをアルミツインチューブフレームに搭載。GSX-Rの連続年間ベストセラー記録をストップさせた。1993年に鈴鹿8耐を制覇。発売当時価格:85万9000円

気が付けば、市販モデルはレーシングマシンと関係のある、アルミフレーム、デュアルヘッドライトの、レプリカを謳うフルカウルモデルばかりになっていった。ことの是非はさておき、1987年ってそういう時代だったのだ。

衝撃のGSX-Rを追撃するFZR750は、オーバーナナハンFZR1000と同時開発の、TT-F1レーシングマシン、FZR750レプリカ(1986年以降は呼称YZF750)、という立ち位置でのデビューだった。

ヤマハのこの時期のレーシングマシンに使われていたアルミ「デルタボックス」フレームに、吸気3+排気2本のバルブを持つ5バルブ「ジェネシス」エンジンを搭載。スタイリングも、オーソドックスなツーリングバイク然としたFZ750から一変、レーシングマシンルックなフルカウルをまとっての登場。先代のFZ750から約30kgの軽量化を実現していた。

月間販売ランキングでも、ついに難敵GSX-Rを破ってみせたのだ。

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