空冷のXJ400、水冷のXJ400Zに続くヤマハ第3の400cc並列4気筒であるFZ400Rは、F-3レーサー「FZR400」のストリートバージョンとして開発されたピュアなロードレーサーレプリカだった。FZは加熱する性能競争の中で善戦し、のちにFZR400シリーズへと発展していく。
まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING
※本記事は2025年7月2日に発売された『レーサーレプリカ伝 4ストローク編』の内容を一部編集して掲載しています。

ヤマハ「FZ400R(46X)」(1984年)の概要

画像: YAMAHA FZ400R 1984年 総排気量:399.4cc エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒 シート高:785mm 乾燥重量:165kg 発売当時価格:59万8000円

YAMAHA
FZ400R
1984年

総排気量:399.4cc
エンジン形式:水冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒
シート高:785mm
乾燥重量:165kg

発売当時価格:59万8000円

1980年に登場したヤマハ400㏄クラス初の4気筒車XJ400(空冷DOHC2バルブ並列4気筒/45PS)は、ライバル車とともに4気筒400ccの人気を盛り上げ、各メーカーからはより走行性能の高いモデルが続出することになる。

1981年はCBX400F(空冷DOHC4バルブ/48PS)、1982年はZ400GP(空冷DOHC2バルブ/51PS)、1983年にGPz400/F(同/54PS)、そして水冷V4のVF400F(1982年12月、DOHC4バルブ/53PS)らだ。

それらに対してヤマハは1983年に、新開発の水冷DOHC4バルブエンジンを積んだXJ400Z/Z-S(55PS)をリリースして対抗。この年にはスズキからも空冷4気筒で初めて4バルブを採用した1981年からのGSX400F(DOHC4バルブ/45PS)に代わるモデルとして、新しい水冷エンジンを搭載するGSX400FW(同/50PS)が発売される。

しかし、XJ-ZもGSX-FWもそれほど高い人気は得られなかった。両車の出来や性能は十分だったが、当時はF-3レースの人気が高まってよりレーシーなスーパースポーツが望まれるようになっており、ルックスなどが市場のニーズに合わなかったのである。厳しい言い方をすれば、コンセプトが明快さに欠けていたと言えるか。

そうした市場の要求に対し、レーシー路線の先陣を切ったのはホンダだった。'83年暮れの12月20日、空冷ながら可変バルブシステムを導入してクラス最高の58PSという高馬力を得たエンジンを、スポーティかつ斬新なデザインの車体に積んだCBR400Fを発売する。これはカウルレスモデルだった。そして、スズキがすぐ後を追う。その4カ月後の1984年3月1日、CBR以上にインパクトのあるモデル、GSX-Rを市場に送り込んだのだ。

スズキは1983年秋の東京モーターショーで、400ccクラスとして初のアルミ角パイプフレームに新開発の水冷エンジンを搭載、耐久レーサーのようなハーフカウルを装備したGSX-Rを発表。59PSの最高出力と乾燥で152kgの超軽量な車重を公表して世間を驚かせたそのマシンを、ショーモデルとほぼ同じ形で発売した。ここまでに紹介したように、GSX-Rの登場によって、400ccクラスのレーサーレプリカ時代がスタートしたと言える。

このGSX-Rに対抗するように、ヤマハが1984年5月25日に発売したレプリカスポーツがFZ400Rだった。1983年秋の第25回東京モーターショーにヤマハはF-3レーサーの「FZR400」を出展し、1984年の全日本選手権戦に第2戦から投入した。

画像: YAMAHA FZR400

YAMAHA
FZR400

FZ400Rはそのストリート仕様として開発された。新設計の角型鋼管ダブルクレードルフレームに、XJ400Zがベースながら大幅なリファインを施した水冷4気筒を搭載。最高出力59PS、最大トルク3.7kgf・mは無論ライバル同等、クラス上限の性能だった。

軽量、スリム、コンパクトで高い走り、操縦性、走行安定性を目指すとして、GSX-Rの152kgにこそ及ばなかったものの、乾燥重量165kgという車重は、400ccクラスの平均からすれば十分に軽かった。

また、ハーフカウルを装着したスタイルとストロボラインのカラーリングはFZR400と双生児的で、GSX-Rに負けないほどレーシーと言えた。参考までにヤマハの社内データを記すと、ゼロヨン(スタンディングスタートから400m)加速12.4秒、最高速度202km/hをマークしていたとのことだ。

さらに、オプションでアンダーカウルやシングルシートカウル、レーシングスタンドが用意され、レースファンの要望に応えて、レーシングキットパーツ(ハイカム、クロスミッション、レーシングエキゾーストなどのセットで、出力は約70PSまで増大する)も限定で販売された。

FZ400R登場と相前後して1984年5月にはデュアルヘッドライトのハーフカウルや小型のアンダーカウルを装着したホンダCBR400Fエンデュランスも登場し、カワサキGPz400を含めて、4メーカーからハーフカウルを装備した400ccクラスの並列4気筒車が出揃い、熾烈な戦いが繰り広げられた。

パワーウェイトレシオ、レーサーに近い作りとイメージでややリードしていたのはGSX-Rだったが、それぞれがファンに支持され、FZもヒットモデルとなる。

この1984年から1985年にかけてはRG400ΓやNS400Rなど2ストローク400ccのレプリカも登場し、400ccクラスレプリカの戦いはさらに激化していく。FZは発売からちょうど1年後に黒×赤の車体色が追加される(その2カ月前の3月にはカウリングを取り去った“ネイキッド”のFZ400Nというバリエーションモデルもリリース)。そしてその後、新しいライバル車が次々と出現する中で、1986年3月にマイナーチェンジされた2型となる。

変更されたのはハンドル幅の拡大等車体まわりの数カ所で、GSX-R以降、自主規制によって400ccクラスの出力上限が59PSに抑えられていたこともあって、エンジンの仕様や性能は不変。この2型が発売された2カ月後には、さらに加速していた性能競争に対応したヤマハの新世代レプリカスポーツ、FZR400が登場する。

FZRはジェネシス思想に基づいて開発されたモデルで、アルミデルタボックスフレームに新設計の前傾45度のエンジンを搭載。高いポテンシャル(潜在能力)が与えられていた。

画像: 1987年・3型

1987年・3型

だが、その後もFZ400Rは併売され、1987年10月にはフルカウル装備仕様に変わり、結局これがFZ400Rの最終となる。一方、FZRはその後、FZR400R、FZR400RR、FZR400RR・SPと発展しつつ、1980年代後半から1990年代前半まで、レプリカ戦線を戦い抜く。

1980年代の活気にあふれたバイク人気と、めまぐるしい性能競争の中にあって、ヤマハが本気で作った最初の400ccレーサーレプリカ、FZ400Rは、狙い通りの役割を果たした。そしてそのコンセプトはFZR400に引き継がれた。そしてレーサーの性能とルックスをストリートに落とし込むというFZ400Rの思想は、現在のYZF-Rシリーズにも息づいているとも、今思える。

This article is a sponsored article by
''.