ヨシムラのコンプリートマシンを語る上で欠かせない、世界にたった5台の「KATANA1135R」。この記事では、その誕生から各部装備のこだわりまで徹底的に深堀するほか、1135Rを彷彿とさせる現代のヨシムラ「KATANA」カスタムもご紹介。
文:中村浩文/写真:松川 忍/まとめ:オートバイ編集部/協力:Bikers Station
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ヨシムラ「KATANA1135R」概要

画像: YOSHIMURA KATANA1135R ※写真は個人車両のため一部カスタムが施されている。

YOSHIMURA
KATANA1135R
※写真は個人車両のため一部カスタムが施されている。

世界で5台しか存在しない最後であり、最高のカタナ

2000年に「最後のカタナ」として1100台限定で発売されたファイナルエディションに対し、ヨシムラが鋭く反応した。カタナが新車で手に入る最後の機会。ならば、とカタナと縁深いヨシムラが、最高の状態でカタナを残すべくと立ち上がり、このヨシムラ「カタナ1135R」が誕生することになった。

ヨシムラは、言うまでもなく世界的に有名なレーシングカンパニーであり、パーツメーカー、そして極めて少量生産のコンプリートマシンを製作するコンストラクターでもある。コンプリートマシン製作のスタートは、カスタムとチューニング、そして改造車の定義さえ曖昧だった1980年代終盤。油冷GSX-R1100をベースとした「ボンネビル」だった。

しかし、このモデルは、チューニングがほぼ違法改造とみなされていた時代背景もあって、ヨシムラ製コンプリートモデルというより、ヨシムラがきわめて少量だけ製作したカスタムバイク、という位置付けだったと言える。

コンプリートマシンという意味合いでは、2000年に発売されたハヤブサX-1(GSX1300Rハヤブサベース)が初号機となるだろう。その他にもトルネードS-1(GSX-R1000ベース)、M450RM(DR-Z400Sベース)、そしてヨシムラ創立50周年記念モデルとして製作された零-50(GSX-R1000ベース)が存在する。

その中でも、このカタナ1135Rは異彩を放つ。なぜなら、レーシングカンパニーとしての顔を持つヨシムラが、スーパースポーツではないカタナをベース車両に選んだからだ。

画像: ヨシムラ「KATANA1135R」概要

もちろん、カタナが発売された当時、アメリカのAMAスーパーバイクにカタナで出場したり、1990年代中盤に日本でビッグネイキッドモデルが流行した際に一時期だけ開催されたネイキッドモデルによるレースにもカタナで出場していた。しかし、それは本気で勝利を目指したものではなく、どちらかといえばファンサービスの一環のようにも見えた。

そしてヨシムラは、カタナをベースに、現役のスポーツバイクとしてのマシンを製作した。ベースモデルがファイナルエディションだったこと、そして、それを運よく5台確保できたことが、製作を後押ししたのだろう。

当初はヨシムラの販売促進部門と技術開発部門のスタッフによる思い付きだったが、それが形となり「どうせやるならば、ヨシムラがレースで勝つために製作するレーシングマシンと同じ方法論でやろう」というところまで話が進んだのだという。

目指したのは、オートバイとしての基本性能を20年分進化させ、それをヨシムラの手でアレンジすること。もちろん、カタナとしてのスタイルを崩すことは許されない。最終的にエンジン、車体、サスペンション、そして外装パーツにまで手が加えられたが、その姿は紛れもなくカタナそのままだ。

パーツを組み合わせるだけでは、単なるカスタムバイクに過ぎない。車両メーカーには真似できないことを、パーツ一つ一つに至るまで徹底的に突き詰めることこそヨシムラのコンプリートモデルだと考え、数多くの専用パーツが製作され、そのほとんどは1135Rのオーナーが補修部品として注文しない限り入手不可という徹底ぶり。これにより、安易に模造も不可能となっていた。

画像: ヨシムラ「KATANA1135R」(左)と現行KATANAにヨシムラがカスタムを施したデモ車両(右)

ヨシムラ「KATANA1135R」(左)と現行KATANAにヨシムラがカスタムを施したデモ車両(右)

もうひとつ、この1135Rが特別なモデルであることの証は、限定5台がほぼヨシムラスタッフによるハンドメイドで作られている、という点。歴代のコンプリートモデルはすべて台数限定で製作されているが、ハヤブサX-1は限定100台、トルネードS-1は限定50台だった。これほどの台数であれば、パーツを外注メーカーに発注して、ヨシムラが組みつけるという、少量限定の量産車と捉えられなくもない。

零-50も限定5台だったが、販売価格は840万円と、ホンダNRのようなプレミアモデルだった。一方の1135Rの販売価格は385万円で、スタッフが1台ずつハンドメイドで作り上げた「ワンオフモデルが5台存在する」というニュアンスがより正確だろう。限定5台だけ製作された1135Rは、たとえベースモデルをさらに多く確保できたとしても、これ以上の台数を製作するのは難しかっただろう、と言えるほどの仕上がりである。

価格は358万円と高価ではあったが、パーツ一つ一つの単価を積み上げていけば、決して高価すぎないことがはっきりと分かる、まさにバーゲンプライスだった。当然、購入希望者は殺到し、ヨシムラは希望者に対し、いかに自分がこの1135Rを欲しているのか、という論文の提出まで求めた。この高いハードルすら、ヨシムラファンや1135Rの購入希望者にとっては、むしろ喜ばしいものだったに違いない。

358万円の商品に、数十名の購入希望者が現れるという事実は、いかにファンが「ヨシムラの魂」を求めているかを物語るエピソードだ。こうして、2001年7月5日、神奈川県厚木市のヨシムラ本社に、その難関をくぐりぬけた5人の購入者が1135Rの納車式に姿を現した。そして現在、その5台のうち数台はオーナーが変わったものの、ヨシムラはすべての所在を把握しているという。

世界にたった5人しかいない幸せ者は、購入時からヨシムラの魂とともにオートバイライフを送っていたのだろう。これは、コンプリートモデルの希少性以上に、オートバイとライダーの最高の関係がそこにあることの証なのではないだろうか。

1135RのルーツとなるNK1レーサー

画像1: 異彩を放つ漆黒の刀・ヨシムラ「KATANA1135R」の各部装備を徹底解説! 現行KATANAのカスタムもご紹介

1995年の鈴鹿ロードレース「NK1」に出場したヨシムラ製の1100カタナをベースとしたレーサー。これは、カタナのデビュー当時にAMAスーパーバイクを走らせたヨシムラならではのマシンチョイスと言えるだろう。

後にこのシリーズに参戦するマシンはGSF1200に改められたが、1135RはAMAのレーサーとこのNK1のレーサーを参考に作り上げられた。特に、車体まわりやフレーム補強の個所などは、このNK1レーサーを再現したという。

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