いちばんカンタンに乗れるオートバイといえば最小排気量、50cc=ゴジュー、原チャリ、ゼロハンだ。中でも「ゼロハンスポーツ」と呼ばれたギアつき50ccスポーツが、大人の階段の入り口だった。今ではもう、絶滅してしまったゼロハンスポーツ。おじさんたちは、みんなコレでオートバイが好きになったのだ。
文:太田安治、中村浩史/写真:森浩輔

【コラム】青春のゼロハン(太田安治) 
生まれて初めてのツーリングはギアつきゼロハンだった。

16歳で原付免許を取るのは大人の階段のぼる通過儀礼

僕が原付免許を取ったのは16歳の誕生日が来てすぐのこと。もう時効だよね、学校をサボッて試験場へ行きましたよ、ハイ。それほど待ち遠しかったし、学校には僕より誕生日が早い友だちもいて、彼らに早く追いつきたかったんだね、きっと。

僕の頃はまだ、二輪免許が中型/大型なんて分かれていなかった頃だし、原付の次に二輪免許をとれば、つまりそれはバイクなら250でも400でも、もちろんナナハンでも何でも乗れる、って免許制度だった。僕が16歳になったのは1973年、ホンダのナナハンに対抗すべく、カワサキがZ2こと750RSを発売した年だ。

あの頃の原付っていうのは、16歳になると自然に免許を取る、みたいな感覚があった。もちろん、クラスの大半はバイクに乗りたいと思っていたし、その入り口が原付免許だったわけ。大人への第一歩というかね、大人への階段を上る、みたいな通過儀礼だった。でも、すぐにステップアップするから、50ccで遊ぶっていうよりも、次の免許への腰かけ、みたいなノリもあった。

当時の人気モデルでいうと、CB50にモンキー、DAX、ハスラー50、ミニトレ、FX50なんてフルサイズスポーツもあった。人気はFX50からRD50のヤマハフルサイズかな。友だちの原付より少しでも速い、パワーがあるのが人気だった。CB50は名車だけれど、唯一の4ストだから遅かったし、それだけで人気はなかったんだ。

あとはカブだよね。カブって、今みたいなオシャレなバイクなんかじゃなくて、家にある、オヤジが乗ってるから通学に使う、なんてケースだね。

そして、僕の初めてのバイクはモンキーZ50M。あれは67年式かな、チェックシートの元祖レジャーバイクとして、今でこそ超人気バイクだけれど、当時は人気なくてね(笑)。

画像: ▲ホンダ「モンキーZ50M」(1967年)

▲ホンダ「モンキーZ50M」(1967年)

カワイイから、ってみんな買ったんだけど、小さすぎて実用にならない、街乗りにも今イチ使えないって放置しちゃって、あちこちに「今は乗ってないモンキー」としてあったんだ。忘れもしない、近所の兄ちゃんに、タイ焼きと交換してもらったし、いちばん多い時にはウチに3台くらいあったんじゃないかな。

モンキーの次はミニトレ80を手に入れた。原付免許取得後すぐに二輪免許を取って、メインのバイクは、もうRD350。50ccは今と同じで、スピード違反ですぐ捕まっちゃうから、50ccに夢中、って時期は短かったけれど、RD350とミニトレの2台持ちだった時期は長かったなぁ。

でも、初めてのツーリングは原付だった。あんまり仲がいいわけでもない同級生に「オータくん、ツーリングに行こうよ」って誘われて、でもそいつは原付免許しか持ってないから、先輩からCB50を借りて、そいつのDAXと2台で、栃木県日光は、金精峠まで2泊3日で行ったんだ。

下道を、スピード違反で捕まらないようによろよろと、それでもツーリング中に1回スピードで捕まるし、3回も転んじゃった(笑)。タイヘンな初ツーリングだったけれど、今でも鮮明に心に残ってるほど楽しかった!

今はギアつき50ccなんて絶滅してしまったけど、このパワーのない、ギアを駆使して走るバイクって、発進やギアチェンジ、エンジンブレーキなど、そのあとに乗るビッグバイクを上手に、安全に、速く走らせるヒントだって、たくさん詰まってると思うんだ。

前後17インチのフルサイズで、今となると4スト125ccがそれに当たるのかな、高校生のみんなに、そんなバイクからバイクライフをスタートしてほしい。ギアつき50ccって、そんなロマンがあるんだよ。

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