スズキが衝撃を受けた斬新なコンセプトとの出会い

1979年、スズキが発売したニューモデルGSX1100は、新設計の4バルブ空冷4気筒エンジン、スズキならではの軽量な車体とハンドリングのよさで、ヨーロッパのジャーナリストたちに「世界最高の出来」と評価される出来栄えだった。

「ただし、スズキのバイクには華がない、と言うんだ。その時のはやり言葉で『ダサい』ってことだな。性能はいいけれど、カッコよくない、それが悔しかった」とは、当時のスズキ2輪設計部をあずかる横内悦夫さん。

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その頃、設立されたてのドイツスズキに、大きなきっかけとなる出来事がある。当時ヨーロッパスズキの営業課長だった谷雅雄さんはこう語る。

「雑誌企画で、ホンダやスズキ、MVアグスタを対象にしたデザイナーによるコンペを開催するというんです。それでスズキはGS850を提供、当時4輪やロータリーバイクRE5で付き合いがあった、ジウジアーロに担当してもらったんです」

しかし、完成したジウジアーロ・スズキよりも、谷さんの目はMVアグスタを担当したターゲットデザイン社のモデルにくぎづけになる。

それが、『レッド・ラプター』だ。

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MVアグスタの750をベースに制作されたコンセプトモデルで、BMWのチーフデザイナーを務めたハンス・ムート氏と、同じくBMWのチーフデザイナーだったハンス・ゲオルグ・カステン氏、そしてヤン・フェルストローム氏の3名を中心として創立されたばかりのターゲットデザイン社が、1979年にドイツを代表するバイク雑誌・モトラッド誌が臨時増刊用に企画したデザインコンペティション『未来のバイク』に持ち込んだものだったのだ。

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この出会いでカタナ誕生の道は切り開かれていく。

「ターゲットデザイン社にコンタクトを取って、スズキの車両デザインをやってほしい、とオファーしました。

その会社の渉外担当がハンス・ムート。

まず車両デザインを仕上げたのがGS650Gで、我々はヨーロッパデザインの1号車ということで、ED1と呼びました。そして、これはいける、と確信して次にスタートしてもらったのが、ED2、これがのちにカタナになっていくわけです」(谷さん)

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ED1の上々の手応えとともに、今度はGSX1100をベースとしたED2のデザインが進んでいく。

何度かのターゲットデザイン社とスズキ本社のやり取りがあった後、ついにED2のプロトタイプとなるクレイモデルがスズキに届く。

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「クレイを前に、スズキのデザイナーは黙りこくっていたよ。私もデザインスケッチや図面では知っていたけど、そこで初めて実車を見て、これは誰が持って来たんだ、と。それがヨーロッパで営業をしていた谷さんと、ムートだったんだ」(横内さん)

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