125だって手加減なし!それがスズキの流儀

ビギナーや女性たちが乗り、コミューターとしてだけでなく、スポーツバイクとしてのニーズにもしっかり応えていた当時の125クラス。そこでもガンマは熱かった。

「125だって!」と言わんばかりの大柄な車体に立派なカウルを装着して、1985年にクラス最軽量を誇りデビュー。対向ピストンキャリパーをライバルのRZ125より2ヶ月早く装着するなど、スポーティさで負けない、ガンマらしさ満点の内容だった。

その突っ走り方はハンパない。91年式では250にも負けないレーシングライクな姿に。1軸バランサー、3段階の排気デバイス、倒立フォークなど装備内容もクラスを超えたもの。国内仕様でここまでやったのはスズキだけだ!

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天才の熱い走りに刺激を受け、硬派が思い焦がれた

88年から、ついにVツインへと進化する。そして、ガンマファンが思いを馳せたのは、ペプシカラーに彩られたケビン・シュワンツのワークスRGVーΓだった。

バイクファンが本当に手に汗握ったのは世界グランプリ。88シーズン、その開幕戦日本GPで、ゼッケン34がNSRのワイン・ガードナーに勝つという衝撃を目の当たりにすると、バイク乗りたちはこぞってガンマに乗りたがった。スペンサー以来の天才の登場と攻めの走りを、新型ガンマのその戦闘力の高さにダブらせ追い求めたのだ。

画像: 「性能のハッキリしたマシンが好きだ」というキャッチコピーが入ったカタログ。公道向けモデルなのにレーシングツナギの人が一緒に写っているのも、当時ではそれほど違和感がなかった。なぜなら、実際にこういう人もいたのだ。レースブームであり、Gパンのヒザに空き缶を付けてヒザ擦りしてた強者も…。

「性能のハッキリしたマシンが好きだ」というキャッチコピーが入ったカタログ。公道向けモデルなのにレーシングツナギの人が一緒に写っているのも、当時ではそれほど違和感がなかった。なぜなら、実際にこういう人もいたのだ。レースブームであり、Gパンのヒザに空き缶を付けてヒザ擦りしてた強者も…。

流行を追いかけない硬派実力は一級品だった

レーサーレプリカブームが盛り上がりを見せる頃、カワサキは4ストエンジンを積むZXRシリーズをデビューさせるまではKRが頼みの綱だった。原型となるKRは78〜81年のWGP250、78〜82年のWGP350を連覇しているチャンピオンマシン。ロータリー&リードバルブシステムも採用されるとあって期待度も高まる。スリムで強力なタンデムツインは充分な実力があったものの、外観は決して「イマドキ」ではなく、独自の路線を突き進む他なかった。それだけに強烈な個性を今なお放つ。

画像1: 流行を追いかけない硬派実力は一級品だった
画像2: 流行を追いかけない硬派実力は一級品だった

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