まとめ:オートバイ編集部
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4スト400cc4気筒も一気進化へ・熱狂のレーサーレプリカ(1984-1986年)解説
当時の潮流
▶TT-F3レーサーと同時進化
▶鈴鹿4耐がバイクの甲子園に
▶上限59PSが絶対条件だった
中免の頂点となった4スト400マルチ
1980年代前半、中型免許で乗れる4スト4気筒400ccは、若者にとって「中免の最高峰」として絶対的な輝きを放っていた。大型免許が狭き門だった当時、メーカー各社は400ccこそが自社イメージと技術力を示す最重要クラスと位置づけ、フラッグシップ並みのメカニズムとスタイリングを惜しみなく投入していく。その開発の最前線にあったのが、TT-F3レーサーと地続きの関係にあるハイパースポーツたちだった。
レースサイドでは、鈴鹿4時間耐久レースが「バイクの甲子園」として急速に熱を帯びていく。市販車ベースで戦える4耐は、地方選手権の若者からショップ単位の草レーサーまで、全国のライダーが〝全国大会〟を目指して集結する夢の舞台だった。ここで主役となったのが、4スト400ccと2スト250ccを軸とするTT-F3マシンである。
メーカーは「そのままサーキットへ持ち込める市販車」を念頭に、TT-F3レーサーと並行して開発を進め、テストコースとサーキットのフィードバックがダイレクトにストリートモデルへ落とし込まれていった。
その一方で、市販車開発の現場には「上限59PS」という明確な天井が存在していた。自主規制によって定められたこの数字は、縛りであると同時に"技術の到達点"を示す記号でもあり、「いかにして59PSに辿り着くか」「どうやって59PSで差をつけるか」が設計陣の腕の見せどころとなる。ユーザーにとってもスペック表の「59PS」は、中免で行き着くことのできる最高峰の証しだった。
こうした状況の中で登場したのが、1984年式GSX-R400とFZ400Rである。GSX-Rはアルミフレームと水冷DOHC4気筒を組み合わせた、市販車離れしたパッケージで59PSを達成し、「400版レーサー」という新たなジャンルを切り開いた。
一方のFZ400Rも、当時のワークスレーサーを強く意識した車体構成とポジションを与えられ、やはり59PSの水冷4気筒を搭載。TT-F3と鈴鹿4耐での勝利を視野に入れた〝走るための400〟として、ヨンヒャクレプリカ戦争の口火を切っていく。
TT-F3レーサーと共に開発された4スト4気筒400ccクラスは、レースで勝つための武器であり、同時に日常をともに走る相棒でもあるという、二重の価値観を宿すことになった。
鈴鹿4耐という「甲子園」を夢見る若者にも、ワインディングや高速道路で自分なりのステージを楽しむライダーにも、59PSのヨンヒャクマルチはまさに〝中免の最高峰〟として君臨していたのである。
スズキ「GSX-R」(1984年)解説

SUZUKI
GSX-R
1984年
当時価格:62万9000円
アルミフレームと152kgで常識を変えたレーサーレプリカ
クラス初のオールアルミ製ダブルクレードルフレームを採用し、乾燥重量152kg、最大出力59PSという当時最軽量級の高性能で400マルチスポーツの常識を塗り替えたレーサーレプリカ。
耐久レーサーGS1000R直系のハーフカウル&デュアルライトのスタイルに、GSX400FWベースの水冷DOHC4バルブ4気筒+4-1集合マフラー、前16インチ+フルフローターサスなどレーシングイメージの装備を満載しつつ、比較的高めのハンドルと扱いやすいフレキシブルな特性でツーリングにも対応する、スズキ「GSX-R」ブランド初号機である。
1984年の「バイク・オブ・ザ・イヤー」400ccクラスを制したモデル。

