400ccにすべてを懸けた時代があった。中免という枠の中で“最強”を争い、各メーカーは4気筒エンジンに最先端技術を惜しみなく投入。直4かV4か―その個性と性能が火花を散らした1980年代、400㏄クラスは大排気量車を凌ぐほどの熱と進化を見せていた。

まとめ:オートバイ編集部
▶▶▶写真はこちら|"直4"vs"V4"・ホンダ400cc対決(1983-1989年)

レーサーレプリカ"直4"vs"V4"・ホンダ400cc対決(1983-1989年)解説

当時の潮流
▶ホンダは400でも直4とV4の二刀流
▶後の名ブランド“CBR”がここから誕生
▶馬力の自主規制が始まり熱狂も沈静化

画像1: HONDA CBR400RR 1988年 当時価格:69万9000円

HONDA
CBR400RR
1988年
当時価格:69万9000円

軽量コンパクトなNC23フレームに前荷重なポジションとショートホイールベースを組み合わせ、高速コーナーでの切り返しと旋回スピードを突き詰めたサーキット指向のレーサーレプリカだった。


画像1: HONDA VFR400R 1989年 当時価格:74万9000円

HONDA
VFR400R
1989年
当時価格:74万9000円

高回転まで淀みなく吹け上がるV4と高剛性アルミフレームが生む鋭い切り返しと安定感で、サーキット志向の精密なコーナリング性能を発揮した。

V型4気筒 × 並列4気筒、ヨンヒャク黄金期の真実

1980年代、日本のモーターサイクルシーンは、かつてない技術競争とカテゴリー細分化のまっただ中にあった。レーサーレプリカという言葉が市場を席巻し、メーカー各社はサーキット直結の性能とイメージを公道モデルへと落とし込むべく、しのぎを削っていた。その流れの中で、ホンダの400ccクラスは常に技術的先導役を担っていた存在だった。

1983年に登場したVF400Fは、その象徴的存在である。量産車としていち早くV4エンジンを採用し、当時の常識であった並列4気筒とは異なるコンパクトさと高回転性能を提示した。〝レプリカ戦争〟前夜とも言える時代において、このモデルは後のVFR系譜への重要な布石となった。

やがて耐久レースで培われた技術が市販車へ本格的にフィードバックされると、1987年にVFR400R(NC24)が登場する。アルミツインチューブフレーム、片持ちスイングアーム(プロアーム)、そしてカムギアトレーンを採用したV4は、単なるスペック競争を超えた〝機構としての完成度〟を示した。同時代のFZやGSX-Rとは異なる、ホンダ独自の哲学を体現した一台と言える。

さらに1989年のVFR400R(NC30)では、その思想は一層洗練される。RVF/RC30のイメージを色濃く反映したスタイリングと車体構成は、〝縮小版ワークスマシン〟としての完成度をさらに高めた。

一方、並列4気筒の極北として登場したのが、1988年のCBR400RRRである。軽量・コンパクトを徹底した設計と高回転型エンジンは、扱いやすさとサーキット性能の両立を狙ったものであり、レプリカブーム成熟期を象徴する存在といえる。過激化するライバル勢の中で、ホンダは「誰もが速く走れる」という実用性を明確に打ち出したのであった。

これらのモデル群を俯瞰すると、1980年代後半のホンダは単なる速さの追求にとどまらず、機構美や操作性、さらにはレースとの精神的距離にまで踏み込んだ提案を行っていたことが見えてくる。400ccという日本独自のカテゴリーの中で、ここまで多様な技術的回答が並立した時代は、まさに特異点と呼ぶにふさわしい。

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