まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING
※本記事は2025年7月2日に発売された『レーサーレプリカ伝 4ストローク編』の内容を一部編集して掲載しています。
スズキ|充実したヨシムラキットパーツでTTF-3を善戦
▶GSX-R750(1985~1987年)

TTF-1を油冷GSX-R750で席巻(1985~1987年の全日本を3連覇、1985年ル・マン24時間耐久1-2フィニッシュなど)したスズキ。その4ストロークレースの活動はヨシムラが多くを担っていた。TTF-3でも同様で、2ストロークのGPはスズキ本社カラーのホワイト×ブルー、4ストロークのTTF-1/F-3はヨシムラのブラック×レッドという印象が強かった。
そして当然ながらヨシムラは多くのキットパーツを開発・販売し、それらに対するガイドや解説書も用意した。また1985年鈴鹿200kmにはケビン・シュワンツが走り2位、上写真の1986年第3戦SUGOには辻本 聡がスポット参戦し優勝している(マシンは3型GSX-R)。
▶GSX-400FW(1983年)

スズキとヨシムラは一貫して共同開発によるTTF-3キットパーツを開発・販売した。上の写真はGSX-Rの前身となる1983年型GSX400FWのキットパーツ組み込み車。外装やマフラーもキットパーツ。下の写真は1984年のGSX-R・TTF-3キット車。

GSX-R・TTF-3キット車(1984年)
▶ヨシムラチューン「GSX-R」TTF-3コンプリートマシン(1985年)

ヨシムラチューンによるGSX-R(400)のTTF-3コンプリートマシンで、上は1985年型ベース。下の写真は1987年型用のストリップ。カウリングやマフラー以外にもホイールなども異なり、これはトルネード思想と呼ばれた。
さらに後に、油冷GSX-R1100を元にした公道用チューニングコンプリートの「トルネード1200 ボンネビル」開発につながるが、ここでもストリート(レプリカ)とレースの関係性が近いことが感じられる。

カワサキ|遅れてやってきた巨人は貯めていた力を存分に発揮する
▶ZXR-7(1988年)

1982年の世界GPを最後にレース活動を休止していたカワサキ。他社の動きを静観していたが、1986年に全日本TTF-1に750cc専用設計の市販車、GPX750Rをベースとしたワークスマシン、ZXR-7を実験投入する。さらに翌1987年からファクトリーチームによる本格参戦を始めた。
上の写真は続く1988年の鈴鹿8耐を走ったZXR-7(コーク・バリントン/ロブ・フィリス車)。車体もエンジンも次への大筋が決まり、細部を煮詰めていたところ。極太のツインスパーフレームや緩やかにテーパーしたスイングアームとその外側の溶接痕、スイングアームエンドのエキセントリックアジャスターなどにも開発途中らしい作りが見える。翌1989年には待望のレースベース車、ZXR750が登場する。
▶ビート「ZXR400R」(1989年)

1989年の鈴鹿4耐で優勝したビートZXR400R(高橋芳延/和泉美智夫組)。ベース車として強力なZXR400Rが登場したことで、カワサキユーザーも増えた。この頃の4耐は2ストローク勢と4ストロークの戦いの感も濃くなった。
▶ZXR-7(1993年)

TTF-1の最終年となった1993年の鈴鹿8耐。ZXR-7はスポンサーとなった伊藤ハムの赤×白×青のカラーをまとい、アーロン・スライト(写真)とスコット・ラッセルが走らせ、カワサキに初の8耐優勝をもたらす。このカラーリングをZXR400に施した限定仕様車も販売された。
まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING




