トップの白黒写真を見てくれ! 月刊『オートバイ』メインテスター・太田安治が花の二十代だった頃の写真だ。あれから41年……いまでもスーパースポーツを軽々と乗りこなす姿は尊敬に値する。そんな走る生き字引が、80年代のナナハン全盛期を振り返る。
以下、文:太田安治/写真:南 孝幸、関野 温

国内のフラッグシップだった激動のナナハン戦国時代!

画像1: 国内のフラッグシップだった激動のナナハン戦国時代!

免許制度・排気量規制により“ナナハン”はライダーたちの憧れ

1969年にホンダCB750Four、71年にスズキGT750とカワサキ750SS(マッハ4)、72年にヤマハTTX750、そして73年にカワサキ750RS(Z2)が相次いで登場したことで、「ナナハン」はライダー憧れの存在になった。

当時の日本は高度成長期の中にあって、サラリーマンの給与もアルバイトの時給も急上昇。とはいっても僕が高校生だった74年頃は日当2500円程度だったけれど……。オートバイを対象にしたローン払いも普及しはじめて、若いライダーでも新車のナナハン(73年時の750RSは新車価格41万8000円)が無理すれば何とか手の届く存在に。今の大学生が200万円のオートバイを買う感覚かな。

画像: カワサキ「GPz750F」(1984年)/発売当時価格:59万8000円

カワサキ「GPz750F」(1984年)/発売当時価格:59万8000円

でも75年に免許制度が変更され、ナナハンに乗るには限定解除の実技試験に合格しなければいけなくなった。これが「東大受験なみ」と言われるほど超難関で、多くのライダーが限定解除を断念。70年代後半から4スト400ccと2スト250ccが人気の中心になったのはこれが理由だ。

それでも頑張って限定解除する若いライダーと、制度変更前に免許を取っていたベテランが一定数はいたし、国内4メーカーは欧米向け輸出が大きなビジネスだったから、750cc以上の大排気量車は着実に進化を続けていた。

画像: スズキ「GSX1100S刀」(1981年・輸出仕様)

スズキ「GSX1100S刀」(1981年・輸出仕様)

衝撃的だったのは81年にGSX1100S刀が登場したこと。僕が初めて参加させてもらった試乗会だったから鮮烈に覚えているんだけど、スズキの竜洋テストコースにズラリと並んだシルバーのカタナは時に壮観。眺めるだけでクラクラしたなあ。

82年には国内仕様のGSX750Sが販売開始されたけれど、日本の保安基準に合わせてハンドルが「耕運機」と揶揄されるほど大きく、オフセット量も多くてガッカリ。

画像: スズキ「GSX750S」(1982年)/発売当時価格:59万8000円

スズキ「GSX750S」(1982年)/発売当時価格:59万8000円

走らせるとハンドル形状の関係で750のほうが軽快だったし、エンジンもシュンシュン回って気持ち良かったけど、750を買った人は真っ先にハンドルを交換した。ただしハンドル幅と高さの違いは一目瞭然なので、警察は取り締まりまくった。「昭和のカタナ狩り」なんて言われてたね。

国内のナナハン人気はカタナとCB750Fが2トップで、同時期のZ750FXlll、XJ750Eはコンパクトな車体サイズが裏目に出て人気薄。V4エンジンのVF750シリーズも「音がダサい」と言われてた。

当時「なんだかなぁ〜」と感じた耕運機ハンドルも、今乗ると極楽のライディングポジションだね!

画像1: コラム|懐かしのナナハン全盛期! “走る生き字引”太田安治が80年代のバイク市場を振り返る【太田安治の絶版車回想録Vol.12】

GSX750Sに純正装着されていた通称「耕運機ハンドル」は、哀れなほど不評で、買ったらすぐに1100用か、安価なアフターマーケットのセパレートハンドルに交換するのがお約束だった。

警察官はスケールで幅と高さを計って、不正改造として切符を切った。改めて純正ハンドル車に乗ると上体が起きて老体にはすごく楽だよね。

俺のFCを盗んだヤツ! 早く返してくれ……

画像: ホンダ「CB750F」(1982年)/発売当時価格:64万円

ホンダ「CB750F」(1982年)/発売当時価格:64万円

僕は1991年頃に8年落ちのFC型を18万円で買って足にしてたんだけど、ボアアップにCRキャブ、バンス&ハインズのマフラー、アルミスイングアームにRC30用ホイールなどで改造費が200万円超えの大改造の沼に。足まわりのセットを煮詰め始めたところで盗まれました……。

カタナVSエフの構図が変わってきたのは85年くらいから。「ニンジャ900」ことGPZ900Rの国内仕様となるGPZ750R、アルミフレームに油冷エンジンのGSX-R750、1気筒あたり5バルブのハイメカエンジンを搭載したFZ750が登場して、大型クラスの主流はスポーツツアラーからスーパースポーツへと移っていった。

個人的に痺れたのは87年のVFR750R(RC30だね)。ワークスレーサーRVFをコピーしたような、これぞレーサーレプリカという仕上がり。ベースになったVF750Fの約2倍の148万円という価格も、実際に走らせ、各部の作りを見れば納得できた。

画像2: 国内のフラッグシップだった激動のナナハン戦国時代!

“これが新世代のバイクなんだ”と感激した、思い出のFZ!

画像: ヤマハ「FZ750」(1985年)/発売当時価格:79万8000円

ヤマハ「FZ750」(1985年)/発売当時価格:79万8000円

FZ750はテレビ番組で沖縄をツーリングするというロケで初めて乗った。低中回転域から湧き上がるようなパワー感で、ミューの低い沖縄の路面ではスロットルをラフに開けると簡単にホイールスピンを起こす。なのにコーナーでの安定感が高く、クルージングは快適そのもの。謳い文句どおり、新世代のオートバイだと感動したなあ。

89年にはヤマハがワークスレーサーYZF750のレプリカバージョンとしてFZR750R(OW-01)を200万円で発売。僕が監督をしていたチームでは全日本ロードレースにRC30とOW-01も走らせていたけれど、カタナやエフの世代とは比べものにならない戦闘力。

月刊『オートバイ』で最高速を計測するとRC30は約270km/h、OW-01は約280km/h。排出ガスや音量の規制が異なるので現在のモデルと単純比較はできないものの、35年以上前にこのパフォーマンスは凄いよね。

日本国内では市販車の排気量は750cc以下というメーカー自主規制があったからナナハンがフラッグシップであり続けたけれど、89年にホンダがゴールドウイング(GL1500)の国内仕様を発売して以降、スーパースポーツの国内仕様は1000cc前後が主流に。若いライダーを熱狂させ、暴走行為や事故が社会問題化したナナハンの時代が続いたのは70年から90年までの約20年だ。

今や750ccは「ミドルクラス」の扱いというのも、約50年に渡って二輪市場の変遷を見てきた身としては感慨深い……。

おまけ:1984年の太田安治

画像: 年賀状用に撮影した愛車のCBXと俺!

年賀状用に撮影した愛車のCBXと俺!

僕は1973年に免許を取ってから中古のZ2や750SSにも乗っていたけれど、一身上の都合!? で一年お休み……取り直した二輪免許は中型限定だったから、81年のモーターショーでCBX400Fを見て迷わず購入。月刊『オートバイ』でも「オータのCBX日記」というお気楽なレポートを一年連載した思い出深い一台だ。

文:太田安治/写真:南 孝幸、関野 温

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