1954年の創業よりヨシムラの歴史は、レースと共にあると言っても過言ではない。本企画では、そんなレーシングカンパニーが作り上げてきた百戦錬磨のマシンとあわせて、レース史に名を刻んだ出来事を振り返る。vol.4では、2007年・2009年に鈴鹿8耐で見事優勝を遂げた「GSX-R1000」と、波乱のレースの模様をお届けする。
まとめ:オートバイ編集部/協力:RIDE編集部
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ヨシムラ「 GSX-R1000」(2007年)で挑んだ鈴鹿8耐

画像: YOSHIMURA GSX-R1000 2007年

YOSHIMURA
GSX-R1000
2007年

勝利の女神は27年もの間試練を与え続けた

2007年7月29日に行われたコカ・コーラゼロ鈴鹿8時間耐久ロードレースに、加藤陽平監督率いるヨシムラは、加賀山就臣と秋吉耕佑が乗って、1周5.821kmの鈴鹿サーキットを216周し、2位にほぼ1周の差をつける圧倒的な走りで、第1回、そして第3回の大会に続き、実に27年振り、3度目となる優勝を果たした。

マシンのベースとされたのは2007年型のGSX-R1000 K7である。車両の開発は発売とほぼ同時にスタートし、4月1日の全日本選手権第1戦もてぎのJSB1000クラスで早くも勝利を収め、仕上がりは順調に見えたかもしれないが、新しくなったリアサスペンションのセッティングに悩まされていた。

画像: ヨシムラ「 GSX-R1000」(2007年)で挑んだ鈴鹿8耐

ポテンシャルの高まった新エンジンが生み出す190PS以上のパワーを、その時点での車体が受け止められなかったのだ。第1戦の勝利は、レース前夜に監督が、あえて出力の落ちるエキゾーストシステムへの交換を決意したことによって、エンジンと車体のバランスが改善された結果で、からくも得たものだったのである。

その後この問題は解決され、8耐へ向けた開発がさらに進められた。最大の課題は「燃費」だった。24Lの燃料タンクで1周5.821kmの鈴鹿を28周(8時間のレース中に7回ピットイン)するためには、6.8km/L以上の燃費が必要とされる。

しかも、レース中に2分09秒台をマークできるパワーを保ち、14000rpmのレブリミットも下げることなく達成しなければならなかったのだ。ヨシムラはこれらの難題をすべてクリアし、27年ぶりに8耐のチェッカーフラッグを最初に受けたのだった。

2007年に続き2009年にも鈴鹿8時間耐久を制覇‼

画像1: 2007年に続き2009年にも鈴鹿8時間耐久を制覇‼

天も運も味方にした2009年の鈴鹿8耐

再び勝利を目指してヨシムラが挑んだ2009年の鈴鹿8耐。このシーズンを前に、GSX-R1000はフルモデルチェンジを受け、フレームが一新され、ホイールベースを10mm短縮しながらスイングアーム長を33mm延長することでハンドリングを大幅に改善、同時にコンパクトで軽量なパッケージも実現した。

エンジンも、これまでのGSX-R750用から発展したユニットではなく、完全専用設計となり、従来モデルよりもショートストローク化。GSX-Rの伝統であるサーキットでのパフォーマンスを重視するコンセプトを突き詰めることで、大きく性能を向上させた。ヨシムラはこの新型GSX-R1000を全日本ロードレースを通じて鍛え上げた上で、夏の鈴鹿に持ち込んだ。

レースは、午後から雨という予報が出る微妙なコンディションの中、11時30分にレースがスタート。TSRホンダの秋吉、ハルクプロの山口が好スタートを切る中、ヨシムラのスタートライダーである酒井が3番手に付けた。しかし、2ラップ目のS字コーナーで、秋吉が転倒。その後に酒井と激しくトップを争っていた山口も、14ラップ目にラップ遅れのマシンの転倒に巻き込まれてしまう。

序盤から優勝候補が立て続けにアクシデントで後退する波乱の展開となったが、ヨシムラは安定した速さでトップを守りながら、酒井から青木、徳留へとバトンを繋いだ。13時頃、ついに猛烈な雨が路面を濡らし始める。

東コースはドライ、西コースではウエットという難しい状況となったが、徳留はスリックタイヤのまま冷静な走りを見せ、トップをキープし、14時半頃にピットイン、タイヤをレインに変え酒井に交代する。この時、雨の中で後方からトリックスター・カワサキの武石伸也が猛然と追撃してきていた。

画像2: 2007年に続き2009年にも鈴鹿8時間耐久を制覇‼

しかし、雨がさらに激しさを増したためにペースカーが導入され、レースの神のいたずらか、このペースカーの影響で酒井との差は縮まらない。しばらくして雨も上がると、ウェットから乾いていく難しい路面をものともせず酒井が激走し、再び武石との差を広げていく。さらにドライタイヤに交換して青木に繋ぎ、独走態勢を築いた。

再び空模様が怪しくなる中、17時を前に青木から徳留に交代。レインタイヤを履いて走り出すと、直後から強い雨が降り始め、再びペースカーが導入され、そのまま約30分が経過したところでレース再開。その直後に1コーナーで転倒が発生し、またもペースカーが入るという大荒れの展開に。

さらにもう一度出たペースカーがピットに戻ったのが、ゴールまで1時間になろうかという頃だった。その時、またも雨の中の走りを無事に乗り切った徳留から交代した、最終ライダーの酒井が夕闇迫るコースに飛び出していく。

そして、最後まで攻めの走りを続けた酒井とGSX-Rは、19時30分、ついに歓喜のチェッカーフラッグに迎えられた! 度々襲ってきた雨による大波乱のレースをミスなく戦い抜いた結果、183ラップを周回し、2007年に続きヨシムラが4度目となる鈴鹿8耐の頂点に輝いたのだった。

まとめ:オートバイ編集部/協力:RIDE編集部

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