1954年の創業よりヨシムラの歴史は、レースと共にあると言っても過言ではない。本企画では、そんなレーシングカンパニーが作り上げてきた百戦錬磨のマシンの中から代表的なものをピックアップ。vol.2では、1983年に登場したモリワキとの共同制作マシン「GSX1000」を解説しよう。
まとめ:オートバイ編集部/協力:RIDE編集部
▶▶▶写真はこちら(12枚)

ヨシムラ・モリワキ「GSX1000」(1983年)解説

画像: YOSHIMURA MORIWAKI GSX1000 1983年 ※掲載している車体のカウルは残念ながら同年のモリワキ用に交換されており、本来のヨシムラの8耐マシンは、角型ヘッドライトでスラントしたエイのような顔を持つトガシ製カウルと、マイティプロダクト製シートカウルが装備されていた。

YOSHIMURA MORIWAKI
GSX1000
1983年

※掲載している車体のカウルは残念ながら同年のモリワキ用に交換されており、本来のヨシムラの8耐マシンは、角型ヘッドライトでスラントしたエイのような顔を持つトガシ製カウルと、マイティプロダクト製シートカウルが装備されていた。

ヨシムラ製エンジンをモリワキ製フレームに搭載

1983年、スズキはレース活動の縮小に伴い、ヨシムラはスズキ本社製のフレームを使用することができなくなっていた。1978年にスーパーバイクベースのストックフレームを使用していたことがあったが、翌1979年からは、スズキが耐久用に設計した専用フレームを使ってきたのだ。

そこで、この年はモリワキ製のフレームを採用し、合同チームとして鈴鹿8耐へ参戦することになった。モリワキは1981年から独自のアルミフレームでレース活動を続けており、この分野においてはワークスチームをも一歩リードするパイオニアだった。

この1983年型は、マルチリブの角パイプを用いたダブルクレードル方式だった。リアサスペンションはオーソドックスな2本ショック仕様で、フロントフォークはモリワキ流にキャスター角をかなり寝かせたものとなっていた。

ヨシムラからはグレーム・クロスビーとロブ・フィリスのペアがエントリー。予選では見事ポールポシションを獲得するが、決勝レースではシリンダーヘッドからのオイル漏れで、13位でチェッカーとなった。一方のモリワキチームは、同じフレームにカワサキZ1000Jのエンジンを搭載したマシンを走らせ、三上訓弘と八代俊二(当時国際B級)の日本人ペアが6位入賞と健闘した。

画像: 1983年型のヨシムラGSXは、モリワキのフレームにヨシムラチューンの4バルブエンジンを搭載した、まさに親子合作と呼べるマシンだった。

1983年型のヨシムラGSXは、モリワキのフレームにヨシムラチューンの4バルブエンジンを搭載した、まさに親子合作と呼べるマシンだった。

画像: リアサスペンションは“タイヤの滑り出しを感じやすい”という森脇氏の考えから2本ショックを採用。モリワキ流のソフトとハードの2種類のスプリングを組み合わせたカヤバ製だった。フレームのキャスターが寝ているのもモリワキ流。

リアサスペンションは“タイヤの滑り出しを感じやすい”という森脇氏の考えから2本ショックを採用。モリワキ流のソフトとハードの2種類のスプリングを組み合わせたカヤバ製だった。フレームのキャスターが寝ているのもモリワキ流。

画像: エンジンはTT-F1規則によって1000ccと定められていたため、GSX1000Sカタナをベースにしていた。

エンジンはTT-F1規則によって1000ccと定められていたため、GSX1000Sカタナをベースにしていた。

This article is a sponsored article by
''.