2024年3月、新たにヨシムラジャパン代表取締役に就任した加藤陽平さん。ヨシムラ創立者である“ポップ吉村”さんの孫であり、2007年からはヨシムラのチーム監督としてレース活動をマネジメントしてきた加藤さんがめざす、ヨシムラブランドの発展的未来とは。
文:斎藤春子/写真:南 孝幸/まとめ:オートバイ編集部

「ヨシムラ」というブランドは“ポップ吉村”そのもの

──ご自身にとって、最も印象に残っているレースやシーズンを教えてください。

「一番印象に残っているのは、ヨシムラチームの一員として最初に参戦した2003年の鈴鹿8耐です。予選は2番手と好調だったのですが、決勝2周目の1コーナーで転倒してマシンが炎上。リタイアとなってしまいました。でもその翌年2004年の8耐では、2位入賞で表彰台に上ったんです。ヨシムラとして16年ぶりの表彰台でしたし、僕自身も前年の悔しさと衝撃があったので、この2年の8耐は特に印象に残っています。もちろんレース監督に就任した2007年と、2009年の8耐優勝も忘れられません。あと印象に残っているのはやはり、2021年にスズキファクトリーチームとして日仏合同で立ち上げた“ヨシムラ SEAT Motul”で、EWC参戦初年度にシリーズチャンピオンを獲得したことですね。先ほどもお話したように、僕は子供の頃からヨシムラ本社やサーキットに行っていて、ポップ吉村の仕事に薫陶を受けたOBの方や、ヨシムラを大切に思ってる方達の想いに触れる機会が数多くありました。僕が将来、ヨシムラのレース活動で実績を残すことへの期待を託されることも多くて、ヨシムラのレース活動を盛り上げることは、僕がヨシムラに対してやるべきジョブリストのトップというか、ある意味、宿命のように感じていたんです。なので、スズキさんから信頼をいただいて世界耐久へのフル参戦を始め、しかも初年度から結果を残せたことは、自分にとっても大きかったです」

──スズキファクトリーの活動は2年間で終了しましたが、2023年からも日仏合同チームとしてEWCへのフル参戦を続行。2024年には2度目のシリーズチャンピオンを獲得されています。今後もEWCへの挑戦を期待して良いのでしょうか?

「我々としてはやっていきたい気持ちはありますが、残念ながら、この規模のレースを独自の資金のみで続けることはできません。なので、スズキさんの支援がある限り、という言い方になってしまいますね」

画像: 第1回大会から途切れることなく参戦している鈴鹿8耐。給油中のミスでライドスルーペナルティーを科せられたものの見事リカバリーし、記念すべき創立70周年に3位表彰台を獲得した。

第1回大会から途切れることなく参戦している鈴鹿8耐。給油中のミスでライドスルーペナルティーを科せられたものの見事リカバリーし、記念すべき創立70周年に3位表彰台を獲得した。

──現在のヨシムラという企業にとって、レース活動はどのような位置づけですか?

「ヨシムラジャパンという会社、ヨシムラというブランドとは何かを説明するなら、僕はポップ吉村そのものだと思うんです。そしてポップ吉村が生涯をかけて取り組んだのがエンジンチューニングであり、それは福岡の板付基地での米兵たちのバイク競争のために始まった。
その後、フィールドはサーキットへと移りましたが、チューニングによってマシンの性能を高め、競わせることをポップ吉村はやり続けて、そのレース活動からヨシムラの製品は生まれました。僕は、これからのヨシムラのものづくりは“ポップ吉村ならどうするか”という目線を共通のアイデンティティにしていかないと、皆さんにリスペクトしていただいたり、愛されるブランドであり続けられないと考えています。ポップ吉村が作ったヨシムラを、先代の不二雄さん、次に自分が受け継ぎましたが、今でもヨシムラというブランドを支え、象徴するのはポップ吉村の存在です。
ポップ吉村の名に恥じない製品づくりや、レース活動の結果を出し続けることができれば今後も間違いないと思いますし、それを実現する責任感を持って会社は動くべきだと思っています。ヨシムラ製品を使った皆さんに、自分達はチューニングの神様が作ったパーツを使っているのだと、性能でも、満足度の面でも喜んでいただきたい。そのためには、社員の間でも“ヨシムラ=ポップ吉村である”という意識を高め、より良いものづくりのための社内の仕組み改革も必要だと考えています」

画像: 監督率いるヨシムラ SEAT Motulは、2025年の鈴鹿8耐でも2年連続の3位表彰台に。「世界耐久は現状のベストを淡々と積み重ねることが結果につながる」という加藤さんの言葉そのままに、第2スティントで転倒はあったがチーム全員が最善を尽くした結果だった。

監督率いるヨシムラ SEAT Motulは、2025年の鈴鹿8耐でも2年連続の3位表彰台に。「世界耐久は現状のベストを淡々と積み重ねることが結果につながる」という加藤さんの言葉そのままに、第2スティントで転倒はあったがチーム全員が最善を尽くした結果だった。

「長く乗り続けたい」というユーザーの願いに応えるために

──今年の東京モーターサイクルショーで発表されて反響を呼んだ「ヨシムラヘリテージパーツ」プロジェクトや、その第一弾として間もなくオークション入札が始まる「GSX-R750 #604コンプリートマシン」についてもお聞かせください。

「このプロジェクトは事業になる・ならないは度外視のうえで、僕の独断で始めたものです。コンプリートマシン第一弾の油冷GSX-R750は、たくさんのヨシムラファンを作ってくれた一台です。1986年に辻本聡さんがAMAスーパーバイクに初参戦した当時、小学生だった僕は、サーキットで辻本さんのレースも間近で観ていました。ヨシムラに第二の黄金期と呼ばれる時代が来たのも、現在のヨシムラがあるのも、油冷GSX-R750の活躍があったからと言えます。ですが今では純正部品が廃盤となり、乗りたくても乗り続けられない、というオーナーさん達の話を耳にしていました。
今回、こうして会社を任されたことを機会に、まずはヨシムラのファンになってくださった皆さんへの恩返しとして、純正互換部品をヨシムラが作ってお届けしたいと考えたのが、プロジェクトの始まりです。愛車に長く乗り続けるためのサポートが目的なので、コンプリートマシンのために製作した純正互換部品は単品でも販売予定ですし、他社製部品を使用した場合はそのご案内をします。この企画には、社員が当時の車両を使って製作することによるスタディの狙いもあったのですが、手前味噌ながら、コンプリートマシンの出来がとても良いんです。見た目の迫力もよく出ていますし、私も実際に乗りましたが、走っていてめちゃくちゃ気持ちが良くて。このパッケージで作ることで社員のスキルの高さを再確認できたので、時間はかかるかもしれませんが、これから少しずつプロジェクトを育てていきたいですね」

ヨシムラファンへの恩返しとして始まった「#604 コンプリートマシン」製作

画像4: 〈インタビュー〉ヨシムラジャパン 3代目社長 加藤陽平さん|ヨシムラにとってレース、そしてコンプリートマシンとは?

1986年のAMAスーパーバイクに参戦した「ヨシムラ GSX-R750 #604」のスピリットを、現代に蘇らせた一台が「ヨシムラGSX-R750#604コンプリートマシン」。レーサーとしての復刻ではなく、一般道を安心・快適に走行するための“ロードゴーイングレーサー”を追求。#604の奥にあるのはEWC参戦仕様のスズキGSX-R1000R。

画像5: 〈インタビュー〉ヨシムラジャパン 3代目社長 加藤陽平さん|ヨシムラにとってレース、そしてコンプリートマシンとは?

──コンプリートマシンの完成度に、クオリティの追求も「ヨシムラらしさ」のひとつだと感じます。加藤さんの考える、ヨシムラを象徴する製品とは何でしょうか?

「やはり、エンジンパーツでしょうね。残念ながら、昨今はエンジンに手を入れられるオートバイが少ないですし、そもそもノーマル市販車の性能が非常に高いので、ニーズとしてはそう多くないのは事実ですが、ポップ吉村の原点はエンジンチューニングです。カムシャフトを自社設計、自社製造するパーツメーカーは、日本ではまず他にないですし、エンジンパーツがヨシムラの大事な核であることは忘れないでいたいです」

──ヨシムラに大きな信頼と期待を寄せるファンが国内外に大勢いますが、今後のヨシムラの展望についてお聞かせください。

「現在、ヨシムラでは神奈川県相模原市へ本社の移転計画を進めています。不二雄さんの代から考えていたことですが、ヨシムラは少しずつ成長してきた会社なので、いまの本社は社屋があちこちに散らばっているんですね。部署が異なるとコミュニケーションが取りにくかったり、非効率なことも多くて、新しい人材が入ってきたときにも働きやすい環境とは言いづらい。新工場のレイアウトは、部署を超えた連携や意見交換がしやすい風通しの良いものになる予定です。もともとヨシムラはレースをやる人が集まって始まった会社なので、例えばマフラーの開発はしても、製造は外注だった時代も長いんです。社員が増えるにつれて内製化しましたが、レース用パーツのやり方がスタンダードだったので、今でもワンオフで量産しているようなところがあって(笑)。
工場の移転も含めた環境整備や会社内組織の再編を進めることで、生産効率を向上させ、社内の製造体制をより強固にしていきたいと考えています。そしてヨシムラのファンでいてくださる皆さんの信頼と期待には、ものづくりではクオリティで、レース活動ではより楽しんでいただける挑戦で、お応えしていきたいです」

長く、安心して乗り続けるためのコンプリートモデルが登場

画像6: 〈インタビュー〉ヨシムラジャパン 3代目社長 加藤陽平さん|ヨシムラにとってレース、そしてコンプリートマシンとは?

右から限定生産されたトルネードS-1(2001年)、トルネードⅢ零-50(2004年)。#604コンプリートマシンの販売台数は限定ではないが、次回以降の発売時期は未定という。

加藤さんは過去のコンプリート車の開発に直接携わってはいないが、「当時の映像を見ると、ヨシムラの技術を込めた究極の一台を作ろうというエンジニア達の熱い情熱や心意気が伝わってくるんです」と語る。


画像7: 〈インタビュー〉ヨシムラジャパン 3代目社長 加藤陽平さん|ヨシムラにとってレース、そしてコンプリートマシンとは?

ハイクオリティなヨシムラパーツが奢られたカタナ。ベース車の状態に応じて純正互換部品を採用する#604コンプリートマシンでも、マフラー、エンジン周辺パーツ、足まわりはヨシムラパーツを使用して組み上げられる。

文:斎藤春子/写真:南 孝幸/まとめ:オートバイ編集部

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