文:河村大志
MotoGP(WGP)とWSBKにおける日本人の活躍
世界最高峰のロードレース選手権であるMotoGPとスーパーバイク。世界王者という栄誉をかけて戦う過酷な舞台で、日本はこれまで多くのチャンピオンを輩出してきた。特に90年代から2000年前半にかけて、軽量級と中量級では無類の強さを誇った。昨年はMoto2(中量級)クラスで小椋藍が世界チャンピオンに輝いたことも記憶に新しい。
しかし、最高峰クラスでチャンピオンを獲得した日本人ライダーはまだ現れていない。優勝を経験したことがあるライダーは6名。その系譜は1975年のオーストリアGPにまでさかのぼる。同グランプリで金谷秀夫が日本人として初の最高峰クラスで優勝を果たした。以降、片山敬済、阿部典史、岡田忠之、宇川徹、玉田誠がグランプリウィナーとして名を刻んでいる。2025年シーズンから最高峰クラスに昇格した小椋藍は開幕戦から光る走りを見せており、ライバルからも一目置かれる存在に。シーズン後半、そして来年以降も小椋の走りからは目が離せない。
スーパーバイクにはより多くの日本人ライダーが参戦しているが、こちらもチャンピオン獲得には至っていない。そんななか、もっともチャンピオンに近づいたのが芳賀紀行だ。
計12年間(フル参戦)にわたりスーパーバイクで戦った芳賀は、その圧倒的な速さとカリスマ性で「ニトロ」の愛称で親しまれた。ヤマハ、アプリリア、そしてドゥカティを駆り、年間ランキング2位を3回、3位を4回獲得。特にドゥカティのエースとして臨んだ2009年シーズンは、ベン・スピーズとの熾烈なタイトル争いを演じた。
芳賀以降、優勝争いを演じているライダーは現れていないが、近年は各メーカーの競争力が詰まりつつある。ホンダやヤマハといった日本メーカーから有望なライダーが挑戦する機会がくることを願いたい。
最後に、技術開発と市販車への影響について触れたい。MotoGPマシンは市販車とは技術的に隔絶しており、直接のフィードバックは少ない。とはいえ、燃料効率改善、電子制御システム、空力デザインなどは間接的に市販車技術に活かされている。
一方、スーパーバイクは市販車の開発そのものと直結しており、レースで得られたデータがダイレクトに次期市販モデルに反映される。特にドゥカティは、スーパーバイクを技術開発の実験場と位置づけ、レースマシンの技術がパニガーレシリーズに直結していることを公式にアピールしている。
このように、MotoGPとスーパーバイクは、同じ二輪レースでありながら、コンセプトも、マシンも、経済規模も大きく異なる。最速を求める究極の実験場であるMotoGP、そして市販車の延長線上で戦うスーパーバイク。それぞれの魅力を知ることで、二輪モータースポーツの奥深さをより楽しめる。似ているようで違いの多い両カテゴリーだが、共通点は一流のライダーたちによる激しいバトルが展開されること。
スーパーバイクは2003年以降、日本で開催されていないが、MotoGPは栃木県芳賀郡茂木町にあるモビリティリゾートもてぎで日本GPが行われている。現地では非日常のスピードと音が味わえる刺激的な空間となっており、憧れのライダーと会えるチャンスも。
ともに世界一をかけた最高峰の戦いが繰り広げられるレースなだけに、その迫力と刺激を味わいにぜひ観戦してみてほしい。
文:河村大志