ファッション性と機能を融合させたライディングウェアで高い支持を得ている“MaxFritz”(マックスフリッツ)。2022年5月、経営母体のオーディーブレインが、総合用品メーカー・デイトナのグループ会社となったが、この協力体制により生まれる相乗効果について両社代表が率直に語った。
まとめ:斎藤春子/写真:ZIGEN、岡本 渉、西野鉄兵/ヘア&メイク:麻里暁代
この記事は『ゴーグル』2022年11月号に収録したものを一部編集し、掲載しています。
画像: マックスフリッツがデイトナと協業を開始! 両社のウェアや展開方法はどう変わるのか?【デイトナ織田社長×マックスフリッツ佐藤氏 スペシャル対談】

(左)織田哲司
株式会社デイトナ 代表取締役/有限会社オーディーブレイン 代表取締役
1983年にデイトナ入社。長年商品開発に携わり、2016年に3代目社長に就任。近年は二輪パーツ開発の枠組みを超え、耕運機販売、中古バイクパーツの販売アプリ開発など、新ジャンルへの挑戦も積極的に行っている。

(右)佐藤義幸
有限会社オーディーブレイン プロデューサー
複数のDCブランドでパタンナー、デザイナーを務めた後、27歳で独立。2000年にバイクウェアブランド『MaxFritz』を立ち上げた。

【対談】織田哲司 × 佐藤義幸

画像: MaxFritz本店

MaxFritz本店

──この対談では『MaxFritz』というブランドが、多様なバイク用品の企画・開発・販売を手掛けるデイトナとの新体制のもと、どのような展開を目指すのかをお聞きしたいと思います。まず佐藤プロデューサー、そもそもの話ですがマックスフリッツの成り立ちから教えてください。

佐藤(敬称略) ブランドを立ち上げる前の僕は、一般アパレルの企画会社をやってたんです。デザイナーズブランドでデザイナー、パタンナーとして経験を積んだ後、27歳で独立して設立した会社でね。デザインからパターン、サンプル製作まで引き受けていて、一般アパレルからのオファーは「うちのデザイナーが40代になってデザインが古くなったから、なんとかしてくれ」って案件が多かったんですよ。そのうち自分も40代に近づいてきて、いつ自分がその立場になるかわからない、自分でも何か始めなくちゃ、と考えるようになったんです。一般アパレルの仕事もしながら同じ土俵には上れないので、当時子供が生まれたばっかりだったのもあって子供服か、好きなバイクウェアのどちらかがいいなと、まず2つに絞ったんですね。そこから最終的に、それまで自分の分を作ったりしてたバイクウェアに決めました。

佐藤義幸 氏

──ブランドより先に、自分用のバイクウェアは作っていたのですね。

佐藤 でもバイクウェアをやると決めたけど、売り方がわからないんですよ。当時の二輪業界は全部、問屋同士の販売網だったんです。こちらはその仕組みがわからないから、もう自分で店を作ろうとなって。それで見つけた物件が、以前中目黒にあった本店です。子供が小さいからサイドカーに乗ってた頃で、駐車場を借りるのも癪だし、サイドカーを置ける店舗を探したんですよ(笑)。

──そんな理由で見つけた本店だったとは、知りませんでした(笑)。

佐藤 今でこそすごいけど、当時の中目黒はそこまで家賃が高くなかったんです。最初は取引先もユナイテッドアローズとか、シップスとか、一般アパレルのセレクトショップが多くてね。でもそこそこ場所が良かったから、店の前を通るバイク雑誌の関係者とかが結構いて、少しずつ取材されたりするようになったりして、売り上げも上がっていったんです。そういう経緯だったので、企画会社の方は徐々にコンパクト化していくことにして。少しずつ社員やスタッフを独立させていきながら、自分ひとりでやるバイクアパレルに仕事を絞っていったんですね。

画像: 2000年に中目黒の野沢通り半兵衛坂沿いにオープンしたMaxFritz。

2000年に中目黒の野沢通り半兵衛坂沿いにオープンしたMaxFritz。

 
画像: 2018年10月、葛飾区曳舟川親水公園通り沿いに移転した現在のMaxFritz本店。

2018年10月、葛飾区曳舟川親水公園通り沿いに移転した現在のMaxFritz本店。

──織田社長と佐藤プロデューサーの出会いはいつ頃だったのでしょうか?

織田(敬称略) うちの社員も履いていましたし、以前からマックスフリッツというブランドは知ってましたが、佐藤さんに初めて会ったのは2017年の秋。二輪業界のアウトドア好きが6、7人集まって、西伊豆でキャンプをやった時が最初です。その時、佐藤さんには魚の燻製を作っていただきました(笑)。そこでアウトドアの話で盛り上がって、うちもそろそろアウトドア用品を始めたかった頃だったので、アドバイザー的な立場でご協力をお願いするのもありだな、と考えていたんですね。その時に、事業の後継者がおられないということも伺っていて。そうこうするうち時が過ぎて、株式の譲渡を考えているという今回のお話を、M&Aの仲介会社からいただいたんです。最初は具体的なブランド名は告知されてなかったのですが、ちょっとピンとくるものがありまして(笑)。もしかしたら佐藤さんの会社じゃないかな? と弊社のM&A担当と話して、もしそうならすごく興味があるから、頑張ってみてと頼みました。何社かお手を挙げられたみたいなんですが、その中で佐藤さんに弊社を選んでいただき、今に至ります。

佐藤 株を引き継いでもらうM&Aは、会社としての成長戦略が必ず大前提にある。僕らも業務提携して売り上げが落ちるのは嫌だし、売りっぱなしじゃないんですね。そこの戦略を冷静に考えた時に、手を挙げてくれた会社の中でも、流通経路の川上(製造元)に近いデイトナさんと組むのが、販売網を強化する意味でもいちばんいいと思ったんです。

──織田社長が今回のM&Aを積極的に進めたいと考えた理由を、もう少し詳しく教えてください。

織田 まず、デザイン性と機能性を兼ね備え、オシャレとバイクが好きなライダー達にこれだけ支持されるブランドを、絶対なくしちゃいけないと思ったのがひとつ。それともうひとつは、おかげさまで今年創業50周年を迎え、順調に売り上げも伸びている弊社ですが、アパレル関係の商品がどうも弱い。初めてお会いした時から佐藤さんのこだわりはとてもよく伝わってきましたし、こうして手を組むことで、どちらのブランドにも相互にシナジーが得られるだろうと思ったことが大きいですね。

画像: 【対談】織田哲司 × 佐藤義幸

──ただ、先ほど佐藤さんは、自分ひとりでできる範囲のバイクアパレルに仕事を絞っていった、という話をされていたと思うのですが…。

佐藤 そうなんです。僕は自分の会社を作った時から、ゆくゆくは洋服のモノづくりの部分だけを、自分ひとりで完結させたいって願望があったんですね。だから社員を入れる時も、自分の家が買えたら独立してくれよ、と約束してもらってたんです。そしていずれは自分ひとりでビジネスをクローズドしてくつもりだったんだけど…実際は、フランチャイズ店を作っちゃったから(笑)。

──全国のショップ経営者を路頭に迷わせるわけにはいかない(笑)。

佐藤 そうそう(笑)。ブランドを維持しないと途方に暮れる人がいるのに、簡単にやめるとは言えない。でも現実問題として、還暦目前の59歳の時に病気になったことで、この先、自分に何かあったら困ると痛感したんです。それで入院中に「これはM&Aしかないな」と。今から慌てて後継者を募集しても、人が育つかはわからない。だったら大きい会社と組んで、グループでモノづくりできる環境を作る方がブランドが続くと思ったんです。それをフランチャイズ店のみんなにも説明して、最低3年間は次のステップに進む猶予期間として、今の形でフランチャイズを続けることもM&Aの大前提としました。デイトナさんは、その条件も受け入れてくれた。それにうちのアパレルに対するモノづくりのこだわりと、デイトナさんの海外や卸も含めた販売網で、お互いの弱い部分を強化できるメリットがあったので今回の業務提携が決まりました。

──佐藤さんが長年こだわってきたモノづくりのDNAが、しっかり製品に受け継がれる体制づくりのために、今回のM&Aがあったと。

佐藤 今回の話でね、「マックスフリッツが傾いたんじゃないか」って噂がバーっと広まったけど(笑)、そうではなくて。確かにうちはずっと低空飛行でやってきたけど、それは自分ができる範囲でやりたくて、あまり会社がでかくなっても困るってところが正直あったんですよ。

織田哲司 氏

──実際、年々「マックスフリッツのウェアが欲しいのに品切れで買えない」という声が増えていましたし、販売網を強化することはブランドの喫緊の課題だったわけですね。

織田 じつは私も、佐藤さんと2人で全国のフランチャイズ店を回っていた時にパンツとメッシュジャケットを買おうとしたら、どの店舗でも品切れですと言われました(笑)。

佐藤 これでも去年に比べたら数を作ってるんですよ(笑)。でも売れるスピードの方がすごい。もっと作っておけばもっと売り上げが伸びるのはわかってるけど、ブランドにとっていちばん怖いのは作りすぎちゃうことで。今までそういう数字の決定も全部自分ひとりの判断でしたけど、今後は市場を冷静に判断して、数字を管理できる本社の人とチームを組んで、きちんとマーチャンダイジングしていかないとと思います。

──少々不躾な質問ですが、マックスフリッツファンの中には、今回の提携で安売りが進んだり、ブランド価値が下がる事態を心配する人もいるのではないでしょうか?

佐藤 デイトナさんと組むことで、たとえば全店のPOS化といった流通システムの構築や、商品化の規模が大きくなるスケールメリット、さらにロット数を増やすことで、販売価格は変えずに商品のクオリティーを高められる可能性があったりと、うちにはさまざまなメリットがあります。当然、海外や卸も含めた販路も広がるはず。ただ卸に関しては、なるべく値引き合戦のような価格競争に取り込まれないシステムにするのが重要だと思います。

織田 そこは弊社としても、デイトナブランドと上手く販路をシェアしながら、マックスフリッツをどこでも買えるブランドにはしない方法を考えなくてはいけないと思っています。たとえばデイトナ商品は大手ネット通販で買えますが、マックスフリッツはその流通には乗せません。二輪用品店さんには専用モデルを作り、フランチャイズ店と商品を分けることも考えていますね。

──では反対に、デイトナオリジナルのウェアにはどのような影響が?

織田 すでに弊社の社員が3、4名、マックスフリッツに訪問して佐藤さんとコミュニケーションしてまして、今後のウェア展開について少しずつ方向性が見えてきたところです。また、デイトナとしてはまず佐藤さんのモノづくりのノウハウを受け継ぐことが最重要なので、服飾学校出身で現在24歳の宮澤という社員が、これから2年間を目処にマックスフリッツ本店に出向します。ちなみに佐藤さんが宮澤に出した出向の条件は“バイク通勤すること”(笑)。もうひとり、本店に通いながら佐藤さんに学ぶ予定の若い社員がいますし、今後は佐藤さんにも時折弊社に来ていただき、デザインやパターンをご指導いただく予定です。早ければ来年SS(春夏)商品から、佐藤さんのエッセンスが入ったデイトナウェアが登場できるよう計画中です。ただそれら商品の価格設定は、マックスフリッツとはまた別の、弊社として売れる価格帯になっていくと思います。

画像: 織田哲司 氏。つねにライダー目線を心がけ、社長となってもバイク通勤を続行中。社内に「社長室」を設けず、社員と同じフロアで過ごしながら、積極的に意見交換を行っている。趣味はソロキャンプ。2018年、デイトナは老舗テントメーカーのキャンパルジャパンと共同開発したテント・ST-Ⅱを発売。以来ツーリングキャンプに特化した商品の開発を続けている。

織田哲司 氏。つねにライダー目線を心がけ、社長となってもバイク通勤を続行中。社内に「社長室」を設けず、社員と同じフロアで過ごしながら、積極的に意見交換を行っている。趣味はソロキャンプ。2018年、デイトナは老舗テントメーカーのキャンパルジャパンと共同開発したテント・ST-Ⅱを発売。以来ツーリングキャンプに特化した商品の開発を続けている。

──マックスフリッツは普段使いもできるバイクウェアですが、今後は機能面にも、デイトナとの協力体制による変化があるのでしょうか。

佐藤 そうですね。現状のモデルに関してはクオリティや性能を上げることを考えていますし、それプラス、素材なり、プロテクターなり、まだ発表はできないけど、今までできなかったものを導入する予定はあります。たぶんうちって、伝統的なライディングウェアとも違えば、スポーティーな売れ筋ライディングギアとも違う、〝バイクカジュアル〟のくくりで捉えられてるブランドだと思うんです。でも僕はなんちゃっての格好良さでは嫌だし、技術的なクオリティの高さを融合したい。一般アパレル的な流行とバイクウェアを融合させたジャンルを好むライダーは主流ではないかもしれないけど、その人達の中ではつねにトップブランドでいたいという思いはありますね。

織田 先程も申しましたが、デイトナとして今は、佐藤さんが作り上げてきた世界観を理解することが最優先。それにはまず宮澤たち若い社員が、その世界観を共有できることが重要だと思います。そのうえでゆくゆくは、若い彼らがマックスフリッツの世界観をブレずに継承しつつ、自分達なりの新しいことにもチャレンジしていってもらえれば、デイトナとしては嬉しいですね。時間はかかるでしょうし、やってみないとわからないことは多々ありますが。

──ユーザーとしても、今回の業務提携が今後どんな相乗効果が生みだすか楽しみですし、まずは来季SSのウェアに大いに期待しています! 本日はありがとうございました。

まとめ:斎藤春子/写真:ZIGEN、岡本 渉、西野鉄兵

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