油冷チューニング車の見本として燦然と輝く特別な1台
車両メーカーが諸事情から実現しにくいきめ細かな仕上げを、1台1台のバイクを対象にしてより緻密なレベルで対応する。そのためにスペシャルパーツを開発する。これらによって、市販車の完成度を100%≒理想の姿に近づけていく。
1980年代当時、ヨシムラは自らを含めたエンジンチューナーやパーツメーカーの役割をこう捉えていた。一方で、自社で市販車の性能を大きく超えるストリートバイクを、それこそイチから作ることも不可能ではないが、コストや手間はとてつもなくかかる。逆に車両メーカーが前述のようなスペシャルパーツを開発・販売するにも無理がある。
それを突き詰め、素性の良い車両とヨシムラ・スペシャルパーツを組み合わせれば、理想的な完成度を持ったバイクを作り出せる。そうした理念をずっと抱いて活動していたヨシムラはその’80年代前半、スズキGSX-R(400)とGSX-R750によって理念を現実に近づけた。それが“トルネード”シリーズだった。
初代の油冷GSX-R750を通じてこの思想はストリートにも適用され、さらにGSX-R1100というベースが登場することで、さらに進化する。それは’86年型=初期型を元として’87年には具体化し、目標を“最速・最高”に置いた上で、公道車両としての認可も正式に取得するに至る。
当時の、今とは比較にならないほどの車検対応・認可への厳しい案件をクリアして「ヨシムラ・トルネード1200ボンネビル」は当時破格、かつ最速と誰もが認める数値となる300km/hに迫る性能も得て、歴史を作り出した。
ボンネビルは、開発用車両でもあった1号車が何度か仕様やカラーリングを変えた後に販売される。GSX-R750を元にしたトルネードF1と同様にボンネビル・キットパーツも市販され、それらを組んだ車両(“ボンネビル2”とも呼ばれる)も多く見られた。コンプリート車としては2号車(写真)、3号車まで都合3台が作られ、各車はオーナーの手に渡った後も、アサカワスピードによる定期的なメンテナンスで、その能力を維持していた。その様子は、完成から10年近くして撮られたこの写真からも感じ取ることができるはずだ。
今ならばもっと多くの選択肢も……と考える向きもあるだろう。しかし、油冷の初期から最前線でチューニングされ、過渡特性や熱対策などの起こりうる問題を解決し、それを車体側にも施してきたトルネード・ボンネビル。その手法やパーツ群は、今の油冷チューニングにもそのまま使える。何より、30数年も前に既にハイバランスの認可車両となっていた点にも、敬意を表しておきたくなる。
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Detailed Description 詳細説明
メーターはミニマルなパネルを新作しGSX-R1100ノーマルの速度計とエンジン回転計、警告灯を配置した上で油冷らしく油温計を追加している。ウイングタイプのアッパー/アンダーブラケットはボンネビル専用品だ。
左右マスターシリンダーは、この2号機を改めて撮影した'97年時点でブレンボ・ラジアル。セパレートのハンドルバーはステンレス製だ。
フレームはGSX-R1100前期型のノーマルで、左前方には「ヨシムラ」ロゴとBonnevilleの名、その下に「YOSHIMURA TORNADO 1200 Bonneville」の車名、さらに4桁のシリアルナンバー(製造番号。この2号機では0002)が打刻されたシリアルプレートが打ち込まれる。
エンジンはφ76×58mmの油冷1052ccをベースにφ78×58mmの1108ccへ拡大。キャリロコンロッド、ハイカムを組みポーティング。上入れ/上出しのM&Sラウンドオイルクーラー(1号車はコアを前後に重ねたツインコア)などヨシムラのチューニングノウハウをフル投入する。
キャブレターは撮影時点ではヨシムラTMR-MJNφ40mm。ボンネビル開発当初はフラットスライドバルブのTMφ40mmでそのスロットルバルブにベアリングを8個配置するなどして作動性などもテスト。TMRのプロトタイプ(TMRではボディ側にベアリングを装備)的だった。
フロントフォークはヨシムラショーワφ41mmで、径はGSX-R1100ノーマルに同じだが肉厚等が異なり、剛性は50%アップしている。フロントアクスルはφ17mm。フロントブレーキキャリパーはヨシムラニッシン4ピストン、ディスクはノーマルφ310mm(キットは同径鋳鉄)。
スイングアームもGSX-R1100ノーマル。リヤショックは当初はマグボディのヨシムラショーワ、ここではクアンタムに換装している。中空3本スポークのホイールはマルケジーニで3.50-17/5.50-17サイズ。マフラーはサブサイレンサー付きデュプレクスサイクロンだ。