先日、2012年に電動バイクの速度記録を更新したライトニング・モーターサイクルズが、量産2EV最速となる時速250マイル≒402km/h超えを目指す・・・と公表したことがちょっとした話題となりました。そんなライトニング・モーターサイクルズの挑戦をアシストするのは・・・2012年に記録が破られるまで、38年間の長きにわたり電動最速車の地位をキープし続けてきた、あの有名な2輪用シートおよびアクセサリーメーカーの「コービン」です。なんでシート屋さんが? と不思議に思う人も多いでしょうが、実はコービンには長きにわたる、電動モビリティ開発の伝統があるのです。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事は「ロレンス」で2022年3月7日に公開されたものを転載しています。

ライトニング・モーターサイクルズの苦境に、救いの手を差し伸べたコービン

アメリカのライトニング・モーターサイクルズが同社のLS-218という2EVを使い、2012年に時速218マイル≒351km/hという2EV最速記録を更新したことは、当時2EV業界で大いに話題となりました。また2013年には、故カーリン・ダンがLS-218を駆ってパイクスピークインターナショナルヒルクライムに参戦。ICE(内燃機関)車の並み居るライバルたちを打ち負かして、2輪部門の総合優勝を果たしたことも、ライトニング・モーターサイクルズの名声を飛躍的に高めました。

画像: 2013年、カーリン・ダンのライディングによりパイクスピークインターナショナルヒルクライム2輪部門総合優勝を記録したライトニングLS-218。ICEと違い、標高の変化に影響を受けない電気モーターのヒルクライム競技におけるメリットを、大いにアピールしました。 lightningmotorcycle.com

2013年、カーリン・ダンのライディングによりパイクスピークインターナショナルヒルクライム2輪部門総合優勝を記録したライトニングLS-218。ICEと違い、標高の変化に影響を受けない電気モーターのヒルクライム競技におけるメリットを、大いにアピールしました。

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2014年から販売されたLS-218は上述の記録から「量産2EV最速車」の称号が与えられました。しかし、2EVメーカーとしてのライトニング・モーターサイクルズの歩んできた道程は平坦なものではなく、COVID-19の影響による財政難で同社は多くの従業員の解雇と、カリフォルニア州サンノゼ本社の放棄を強いられてしまいました・・・。そもそもサンノゼ本社はかつての本拠地の5倍の敷地を誇り、2019年からリリース予定だった新作2EV「ライトニング ストライク」の生産能力を拡大するために建設されたものでした。

画像: 新作の「ライトニング カーボン」は300V水冷3相交流モーター(最高出力120馬力)を搭載。最高速は時速150マイル≒241.4km/hをマークするスポーツ2EVです。なおアメリカでの販売価格は、1万9,998ドル≒229万7,260円となっています。 lightningmotorcycle.com

新作の「ライトニング カーボン」は300V水冷3相交流モーター(最高出力120馬力)を搭載。最高速は時速150マイル≒241.4km/hをマークするスポーツ2EVです。なおアメリカでの販売価格は、1万9,998ドル≒229万7,260円となっています。

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そんな苦境に陥ったライトニング・モーターサイクルズですが、そんな彼らに救いの手を差し伸べたのは、アフターマーケットのシートおよびアクセサリーメーカーとして、50年以上の歴史を持つ老舗名門ブランドの「コービン」でした。

カスタムバイク好きの人であれば、その名を知らない者は誰ひとりとしていない・・・と言えるほどコービンは有名なアメリカンブランドですが、2EVエンスージャストのなかで「コービン」の名を知らない者はいない・・・と同じように言えるほど、コービンは「2EVの歴史」にもその名を残す大きな存在なのです・・・。

1970年代から、"電動モビリティ"に関わり続けるマイク・コービン

コービンブランドの開祖、マイク・コービンは1953年公開の映画「乱暴者(あばれもの)」を観てバイクファンになりました。ベトナム戦争中、米海軍に入隊したコービンは技師として電気を学び、退役後には自営の電気技師として働いていましたが、バイクへの愛から1968年にフルタイムのビジネスとしてバイク用シートメーカーである「コービン」を開業。当時の北米市場におけるバイクブーム、そして彼の卓越したデザインセンスと作る製品の確かさにより、コービンのシート・ビジネスは瞬く間に急成長を遂げることになりました。

コービン開業から間もない1970年代初頭、コービンとその仲間たちは電動バイクを作りたいと考え、まず最初に「シティバイク」というシンプルな構成の2EVを生み出しました。しかし、当時の人々からの評判は「電動車はあまりに遅すぎる」というもの・・・。そこでコービンらは速度記録の聖地であるユタ州ボンネビルに持っていくための2EVを作り、電動車は速く走れるということを人々にアピールすることを考えました。

画像: 電気技師だったスキルを活かし、マイク・コービンが最初に製作した2EV。3つの鉛バッテリー(36V)を搭載し、最高時速30マイル≒48.3km/h、航続距離40マイル≒64.4kmというスペックを有していました。 www.corbin.com

電気技師だったスキルを活かし、マイク・コービンが最初に製作した2EV。3つの鉛バッテリー(36V)を搭載し、最高時速30マイル≒48.3km/h、航続距離40マイル≒64.4kmというスペックを有していました。

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コービンらのボンネビル速度記録挑戦は1972年が最初で、そのときに搭載したバッテリーは鉛タイプでした。彼らの2EVはボンネビルを走った初の2EV速度記録車だったため、往復平均時速101マイル≒162.5km/hの記録により、彼らにとって最初の「電動車最速」の称号を得ることになりました。

そしてコービンらの活動に興味を持った、コネティカット州ポーカタックにあるヤードニー・エレクトリックが、コービンらのスポンサーとなりました。同社は原子力潜水艦用の銀/亜鉛バッテリーを製造しており、その製品は当時の鉛バッテリーの約5倍もの高エネルギーを持っていました。

画像: 1973年に、コービンらは公道用としてナンバープレートを取得した「コービン ジェントリーXLP-1」を製作。翌1974年にはチャールズ・マッカーサー教授のライディングにより、ニューハンプシャー州ワシントン山登頂というデモンストレーションに成功しました。 www.corbin.com

1973年に、コービンらは公道用としてナンバープレートを取得した「コービン ジェントリーXLP-1」を製作。翌1974年にはチャールズ・マッカーサー教授のライディングにより、ニューハンプシャー州ワシントン山登頂というデモンストレーションに成功しました。

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1974年には、ヤードニー製の銀/亜鉛バッテリーを搭載する速度記録車「クイックシルバー」を製作してボンネビルに再挑戦。そして往復平均時速165.387マイル≒266.164kmという記録を叩き出し、自らのレコードを更新することに成功しました。

画像: 1974年のボンネビル、新記録樹立に向けて疾走するクイックシルバー。ちなみにコービンらのチームは、そのときの挑戦で時速191マイル、また201マイル!! という当時としては驚異的な速度も記録していましたが、光電管の故障により残念ながら正式な記録としては残されることはありませんでした。 www.corbin.com

1974年のボンネビル、新記録樹立に向けて疾走するクイックシルバー。ちなみにコービンらのチームは、そのときの挑戦で時速191マイル、また201マイル!! という当時としては驚異的な速度も記録していましたが、光電管の故障により残念ながら正式な記録としては残されることはありませんでした。

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画像: 直流120Vモーターを、軽量なケースに収めている・・・という理由から、コービンはクイックシルバーにA4B戦闘機用スターターモーターを2つ搭載。このモーターはよく燃える!! という弱点があり、コービンは製作ベースとして米海軍から廃棄品のモーターをパレットごと大量に買い込んだそうです。 www.corbin.com

直流120Vモーターを、軽量なケースに収めている・・・という理由から、コービンはクイックシルバーにA4B戦闘機用スターターモーターを2つ搭載。このモーターはよく燃える!! という弱点があり、コービンは製作ベースとして米海軍から廃棄品のモーターをパレットごと大量に買い込んだそうです。

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画像: 1974年のボンネビル挑戦時のスナップ。当時は技術的に直流の大電流を安定化させることが難しく、コービンらはマグネットコンタクターを使ったステップ電圧コントローラーを製作。12Vでスタートし、24V、そして120Vと段階的に切り替えることで、直流モーターの強大な駆動力で後輪がボンネビルの砂の路面を「掘る」ことを防止しました。 www.corbin.com

1974年のボンネビル挑戦時のスナップ。当時は技術的に直流の大電流を安定化させることが難しく、コービンらはマグネットコンタクターを使ったステップ電圧コントローラーを製作。12Vでスタートし、24V、そして120Vと段階的に切り替えることで、直流モーターの強大な駆動力で後輪がボンネビルの砂の路面を「掘る」ことを防止しました。

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現代の電動速度記録車が使うような、高効率・高性能な交流モーターが入手できなかった時代・・・さらにバッテリーへの充電(交流220V)方法の確保にも苦労するような状況のなかで、コービンらのクイックシルバーが残した大記録は先述のとおり38年間も破られることはありませんでした。

マイク・コービン
「この記録は多くの人に挑戦され、何年もの間に15台のバイクが我々の記録に挑戦してきた。私はそのうちの2、3台を見に行った。私はバイクを見れば、どれくらいのスピードが出るかわかるのですが、彼らは皆、すべて間違っていました。

ライトニング(モーターサイクルズ)が登場したとき、彼らはバッテリーの化学的性質を理解していました。それに加え、今の交流コントローラと交流モーターは信じられないほど素晴らしい。現代はそのようなすごい機器・装置があるので、電気自動車でできることはほぼ無限大に近いのです。しかし当時は、直流しか方法がありませんでした。直流電気は、それ自体が大きな制約となります。すべてが重くなり、アンペア数も高くなります」

ライトニングとコービンのコラボが、新記録樹立に結びつくか!? 期待しましょう!

ボンネビルでの記録更新の後、コービンらは公道用2EVでワシントン山頂までの8マイル≒12.9km・・・平均勾配12%、99のヘアピンカーブが連続する難コースを、ノンストップで2往復するチャレンジに成功しています。

画像: ワシントン山の風力発電で、充電するコービン ジェントリーXLP-1。 www.corbin.com

ワシントン山の風力発電で、充電するコービン ジェントリーXLP-1。

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その後しばらくコービンらの電動モビリティ活動は休止することになりますが、1996年末のサンフランシスコ・オート・ショーにコービンは沈黙を破ってアルファカーコンセプトを出展。そして1998年から2003年の間には、コービン・モーターズから「スパロー」という電動3輪車をリリースしました。

画像: 1998年から販売された電動3輪車、第一世代のスパロー。残念ながら2001年の「ドットコムバブル」崩壊により投資家からの資金が絶え、コービン・モーターズはその門を閉じることになりました・・・。 sparrowev.com

1998年から販売された電動3輪車、第一世代のスパロー。残念ながら2001年の「ドットコムバブル」崩壊により投資家からの資金が絶え、コービン・モーターズはその門を閉じることになりました・・・。

sparrowev.com

結果的に第一世代のスパローは短命に終わりましたが、コービンは再び2017年から新たなスパローをEV普及期到来に合わせて復活させています。その事業を進めるためにコービンがパートナーシップを結んだのが、先の引用文のとおりコービンが「ボンネビル」で唯一認めた"電動技術"を持つ集団である、ライトニング・モーターサイクルズなのです・・・。

画像: 今年2月9日にコービン公式サイトで紹介された、現在製作中の電動速度記録車。ベース車両は、ライトニングのライトニング ストライクです。 www.corbin.com

今年2月9日にコービン公式サイトで紹介された、現在製作中の電動速度記録車。ベース車両は、ライトニングのライトニング ストライクです。

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なお現在の2EV速度記録を保持するのは、2021年11月に時速283.182マイル≒455.737km/hを記録した、ヴォクサン・ワットマン(ライダー:マックス・ビアッジ)です。ライトニング・モーターサイクルズの目標は時速250マイル超えであり、ワットマンのような速度記録専用の特殊なストリームライナー形状ではなく、量産公道車の形態のままフェアリング改良などにより、大記録達成に挑むことになるのでしょう・・・。

長年、電動モビリティの可能性を追求してきたマイク・コービンと、ライトニング・モーターサイクルズCEO兼創設者のリチャード・ハットフィールドのコラボレーション・・・アメリカ代表チームとも言える彼らの2EV速度記録挑戦プロジェクトについては、続報が入り次第みなさんにご紹介していきたいと思います!

文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)

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