文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事は「ロレンス」で2021年8月3日に公開されたものを転載しています。
電動モーターと電池の発明・発展により、EV実現の可能性は高まりました
ニコラス・アウグスト・オットーが、オットー・サイクルと呼ばれる4ストロークICEの特許を取得したのは1877年・・・。そしてゴットリープ・ダイムラーとウィルヘルム・マイバッハが熱管点火方式のICEを1883年に完成させ、それを木製の車体に搭載した2輪車・・・それがリートワーゲン(ライディング・カー)、またはアインシュプール(シングル・トラック)と呼ばれる、初のICE搭載モーターサイクルでした。
オットーサイクル完成からリートワーゲン完成までには8年の歳月を要しました。そして電動2輪車の誕生の前にも、当然ながら必要不可欠な電気モーターと電池の発明が先にありました。ただ、実用的な電動の乗り物用の電気モーター&電池の開発には、かなり長い時間がかかっています。そもそも近代永久磁石が開発されるのは20世紀に入ってからですので、19世紀は永久磁石型モーターが存在しない時代だったのです・・・。
米国のベンジャミン・フランクリンや英国のアンドリュー・ゴードンなどの研究者が、静電モーターを発明したのが1740年ころのこと・・・。そしてロシアのモーリッツ・フォン・ヤコビは1830年代にさまざまな直流モーターを発明しましたが、乗り物に使える電気モーター実用化には、ベルギー人のゼノブ・グラムの"偶然の発見"まで、そのキッカケがおとずれるのを待つことになりました。
電動モーターよりも先行して実用化開発が進んでいた発電機(ダイナモ)ですが、グラム・ダイナモの配線接続ミスからダイナモは発電だけでなく電気モーターとしても使えることがわかり、電気モーターの実用化が加速することになります。
みなさんも学校の授業で、英国のジョン・アンブローズ・フレミングが教育のために考案した「フレミングの手の法則」を学ばれたと思いますが、奇しくもフレミングが手の法則を考案したのは、ダイムラー1号車のリートワーゲンが完成した1885年のことでした。
電動モーター搭載2輪車の初号機はどれ? 実はハッキリわかっていません・・・
1882年に英国のジェームズ・エドワード・ヘンリー・ゴードンは、画期的な2相交流発電機を発明。そしてオーストリア帝国(現在はクロアチア)生まれのニコラ・テスラはグラーツ工科大学時代に見たグラム・ダイナモから着想を得て、1883年に2相交流のモーターを試作。1887年には初の実用的交流モーターを完成させています・・・。
一方・・・電動モーターとともにEVに欠かせない電池は、1800年にイタリアのアレッサンドロ・ボルタが発明。そして1859年に、フランスの物理学者であるガストン・プランテが鉛蓄電池を発明。人間の移動手段として十分な電力を供給できる鉛蓄電池の登場により、一気にEV実用化の可能性は広がることになりました。
1881年には、フランスのギュスターヴ・トルーヴェが史上初の実用的EVと言われる電動3輪車を発表。その1年後には、英国のウィリアム・アリトンとアイルランドのジョン・ペリーが「電動馬車」が製作されるなど、黎明期のEVが生み出されることになります。
では初の電動2輪車はいつ、誰に発明されたのでしょうか? 残念ながらそれは定かではありません。しかし、記録に残っている最古の特許として、1895年に米国の発明家であるオグデン・ボルトンJr.が、「エレクトリカル・バイシクル」の名で2輪EVを出願しております。
O.ボルトン Jr.のエレクトリカル・バイシクルが果たして何台作られたのか? などは残念ながら不明であり、同時代に特許出願はしなかったものの、他の誰かが2輪EV開発を手がけていた可能性もあるでしょう・・・。
ともあれ、4輪EVだけではなく2輪EVの可能性もすでに19世紀末から追及されていたことは確かなことではあります。ICEと電動ともに1880年代には、実用的な乗り物が生み出されていたワケですが・・・次回 [電動2輪車の歴史 その2] ではICE搭載車との比較をまじえつつ、第一次世界大戦ころまでの時代の2輪EVを紹介します。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)