偉大なるベーシックとしての余裕も内包したカワサキZ
なぜ、Zは半世紀=50年も生き延びてきたのか。答えはおそらく、とてもシンプルだ。まず、車両の構成。DOHCヘッドの大排気量直列4気筒エンジンと鋼管ダブルクレードルフレーム、そしてこれを支える足まわり。もうひとつ加えるなら、タンク、サイドカバー、テールカウルという外装品。
こうした構成のひとつひとつ、そしてパッケージングがオーソドックスかつ今のバイクと本質的にほとんど変わらないこと。高質なメカを持っているのに、分解整備しやすい作り。実際に当時の北米市場での狙いも、そこにあった。バックヤードで、ガレージで整備できること。それなら自分にもできる、やりたいという気持ちが投影できるのは当然だ。
さらに作られた当時にエンジンはさらなるスープアップの可能性としての拡大の余裕を持たされていたし、後継機のパーツとの互換性も高かったから、それを追究してみようという気持ちも起こる。
元がスーパースポーツでもあり、何でもできるオールラウンダーというスタンスだったから、使い道に合わせての変更をしたくなる。レース、ツーリング、街乗りにショーバイク。
そして新しい見本=カスタムバイクや、新しい市販車=が出てくれば、それを超えるべく、そしてその機能を採り入れるべく工夫する。同じ4スト4気筒なら、ダブルクレードルフレームなら、Zにもできるだろう……。そういう契機となる部分も内包していた。
Zに作られた余裕、それは単に物理的な余裕だけでなく、手にした者に何かをさせたくなるような期待感でもあったと言える。
【1970年代】壊れたら直す、置き換わることで性能アップする
AMAスーパーバイクやドラッグレースのノウハウも成立
2ストロークや英国製ツインから世界を一気に日本製4スト4気筒の時代にした、Z1。数々の速度記録を塗り替え、ロードレースやドラッグレースにも多くが使われ、そのためのパーツが広まる。補修とカスタムの境目も緩やかではあった。
【1980年代】前半は空冷エンジンのチューンが確立され進化
欧州スペシャルビルダー製マシンも登場
1980年代、前半はZの現役最終年代。空冷2バルブエンジンのチューニングは確立し、車体もGPマシンに比肩する作りに進化。欧州スペシャルビルダーによるオリジナルor加工フレームも販売された。国内でもレースを軸にZのパフォーマンスアップが図られたが、「改造」にはまだ厳しい時代でもあった。
1981年当時の鈴鹿サーキット、最速ラップはYZR500の2分13秒65。これに1秒強にまで迫る2分14秒76を叩き出したのが上のモリワキ・モンスター(TTF-1車)だ。GPにもまだなかったアルミフレームを製作し180 ㎏。Z1000Mk.IIと後継Z1000Jの混成エンジンで150ps。
1970年代後半から1980年代前半にかけて欧州にエグリやビモータ等のスペシャルビルダーが輩出し、日本製4気筒を積むフレームキットやコンプリート車を展開していった。
【1990年代】表現としてのバイクカスタムに注目が集まり
国内では手頃で目立てるベース車に
水冷、アルミフレーム、モノサスにフルカウル、レーサーレプリカ至上という1980年代が終わる頃、カウルのない空冷バイクがバイクらしいと大注目に。空前の円高もあって安く輸入でき、手を入れるのにいい中古として脚光を浴び、カスタムと合わせての個性化の時代に。
まとめ:ヘリテイジ&レジェンズ
※本企画は月刊『Heritage&Legends』2019年7月号に掲載されたものです。