アーチェリー競技では「中年の星」としておなじみの銅&銀メダリスト山本博先生は
これももうすっかりおなじみだけれど根っからのオートバイ乗り!
「最初にバイク買ってから40年経つね」ってサラッと言う先生は
愛機CB1300SBを、ガラッとお色直ししてみたのだ!
文:中村浩史/写真:森 浩輔/取材協力:日本体育大学

山本 博(やまもと ひろし)さん

プロフィール
アーチェリー競技で、1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダル、それから20年後のアテネオリンピックで銀メダルを獲得した“中年の星”こと山本先生。競技人生はもう40年オーバー、現在は銀メダルから20年後のパリオリンピックへの出場を目指している。銅→銀ときたら、次は金メダルです! 2021年で免許取得40周年!
1962年10月/横浜市生まれ

オリンピックメダリストの山本博さんは筋金入りのオートバイ乗り

オートバイ歴、40年。普段はテレビ画面や、オリンピック関連のニュースでお見かけする「中年の星」こと、アーチェリー競技の山本博先生は、実は筋金入りのオートバイ乗り。

「二輪免許を取ったのは19歳かな。初めてのオートバイはCB250Tホークだからね、もう大ベテランです」

とはいえ、中学でアーチェリー競技をはじめ、高校在学時にはインターハイを3連覇! その頃から将来を嘱望されるエリートだった。オートバイ、乗って大丈夫だったんですか?

「高校の頃、同級生がたまに後ろに乗せてくれて、練習を抜け出してそのへんをタンデムでひと回り、なんてのが僕の原体験ですね。当時、オートバイ乗ってる同級生なんか、数えきれないほどいましたもん。僕は高校を卒業してから乗り始めました」

山本先生の名前が一躍有名になったのは、1984年のロサンゼルスオリンピック。アーチェリー個人で銅メダルを獲得した時、まだ大学3年生だった。

「その頃、競技に集中しようとして一時期バイクを降りてたんです。というのも、僕よく転んでたの(笑)。肋骨折って練習に出て、先生にめちゃくちゃ怒られたりね。ずっと乗ってたら、ロスの銅メダルもなかったかも(笑)」

競技に集中した効果か、大学生時代は全日本学生選手権でも4連覇を果たし、もはや国内に敵なし。けれど、オートバイへの思いは断ちがたく、40歳を前に復帰。「2ストロークエンジンがなくなっちゃう、って聞いたから」スズキRG250Γを購入した。

「それからは、また乗り始めましたね。今度はいくぶん、大人の走りというか、無理はせず、ケガもしないように。大型免許もその頃かな、900ニンジャにZRX1200に、ゴールドウイング1800まで行きましたからね」

オートバイに復帰してすぐのアジア大会では優勝、2004年のアテネオリンピックでは銀メダルも獲得した。なんと、前回の銅メダルから20年! よかった、オートバイは決して競技の邪魔になっていなかったんですね(笑)。

「2007年からはずっとホンダCB1300ですね。今は日体大の教授を務めているので、乗る時間もなかなか取れないんです。しばらく乗らない時期があったり、月に何度かエンジンをかけるだけだったりって日が続いていたとき、新辰朗さんを紹介してもらって、新さんのショップ『ストライカー』の仲間たちと知り合った。それからオートバイライフが加速しちゃったんです」

画像: ノーマルカラーの頃のCB1300スーパーボルドール。すでにオーリンズリアショック、ストライカー製フルエキを装着。「ホンダらしいカラーだよね。この色も大好きだったんだ」と山本先生。

ノーマルカラーの頃のCB1300スーパーボルドール。すでにオーリンズリアショック、ストライカー製フルエキを装着。「ホンダらしいカラーだよね。この色も大好きだったんだ」と山本先生。

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