1980年が明けたばかりの頃、一枚のスケッチがスズキ本社に届けられた。それまで世界中で誰も見たことがないオートバイらしからぬデザインのそれはED2=ヨーロッパ・デザイン2号機と呼ばれた。GSX1100S カタナが地平線の向こうで光を放ち始める。

この記事は月刊オートバイ2011年8月号の別冊付録記事を加筆修正しています。
文:中村浩史/写真:松川忍/車両協力:ユニコーンジャパン

スズキ「GSX1100S KATANA」誕生の歴史

「ダサい」イメージを一撃で葬り去る「カタナ」

画像: SUZUKI GSX1100S KATANA 総排気量:1075cc 最高出力:111PS/8500rpm 最大トルク:9.8kg-m/6500rpm 発売年:1981年(輸出車)

SUZUKI GSX1100S KATANA
総排気量:1075cc
最高出力:111PS/8500rpm
最大トルク:9.8kg-m/6500rpm
発売年:1981年(輸出車)

画像: スズキ「GSX1100S KATANA」誕生の歴史

1970年代中盤、初の本格的排気ガス規制とよばれる「昭和53年規制」が制定され、もはやオートバイといえども、クリーンな排出ガスのエンジンを開発するのが、メーカーの急務だった時期だった。

その頃のスズキは、国内では最後発の4ストロークエンジンメーカーとして、1976年にGS750を、1977年に1000を発売。全開2万㎞テストという過酷な難関をクリアした耐久性、軽量で高剛性な車体による操縦安定性が評価され、まずは無難なスタートを切ったばかりだった。

4バルブエンジンの開発も進められ、1979年にGSX1100が完成。しかし、同時にスズキは、ある新しい「課題」にも取り組まなければならなくなった。それがオートバイのスタイリングデザインである。

画像: GS1000の後継機として1980年に登場したGSX1100E。エンジンは1075ccにスケールアップされ、ヘッドは4バルブ化。燃焼効率を高めるTSCCを採用して105馬力をマークした。

GS1000の後継機として1980年に登場したGSX1100E。エンジンは1075ccにスケールアップされ、ヘッドは4バルブ化。燃焼効率を高めるTSCCを採用して105馬力をマークした。

「アメリカやヨーロッパの現地スタッフやジャーナリストが、スズキのオートバイは、当時のはやり言葉で『ダサい』と言うんです。確かに性能はいいけど、恰好がよくない、とね。これは悔しかった。せっかくスタッフが最高のバイクを作ってるのに。ダサいとはなにごとか、って」とは、当時のスズキ2輪設計部を率いていた名物エンジニア、横内悦夫さん。

同じころ、ドイツのバイク雑誌「ダス・モトラッド」主催で、オートバイのデザインコンペが行われていた。ホンダ、ヤマハ、スズキ、MVアグスタを対象としたこの企画に、ドイツスズキはGS850を提供。GS850は、すでにスズキとは4輪のフロンテクーペや、ロータリーバイクRE5で交流のあった、ジョルジェット・ジウジアーロが担当する。

画像: 1979年、ドイツのオートバイ専門誌「モトラッド」が増刊号の巻頭企画としてデザインコンペを開催。その1台がミュンヘンのターゲットデザインによるMV750Sであった。

1979年、ドイツのオートバイ専門誌「モトラッド」が増刊号の巻頭企画としてデザインコンペを開催。その1台がミュンヘンのターゲットデザインによるMV750Sであった。

「ジウジアーロのデザインは、そう心を動かされるものではありませんでした。でも、MVを担当したターゲットデザイン社のモデルがすばらしかった。このイメージでスズキの新しいモデルをデザインしてもらえないかと、お願いしたんです」とは、当時のヨーロッパ営業課長であった谷雅雄さん。

画像: ターゲットデザインによるカタナのスケッチ。実際にモックアップモデルを試作する際のスケッチで、後に前方視界やシート段差など、機能面が修正された。「デザインの邪魔はしない、バイクの機能は壊さない」がスズキ との約束だった。

ターゲットデザインによるカタナのスケッチ。実際にモックアップモデルを試作する際のスケッチで、後に前方視界やシート段差など、機能面が修正された。「デザインの邪魔はしない、バイクの機能は壊さない」がスズキ
との約束だった。

これが、カタナ誕生のきっかけだった。スズキのオファーを快諾したターゲットデザイン社の担当者は、あのハンス・ムート。ムートと、彼のパートナーであるハンス・カステン、ジャン・フェルストロームは、まずED1=GS650Gを手掛け、そしてED2=GSX1100をベースにデザインを開始。このページに掲載したスケッチは、ムートが日本刀をイメージし、GS650Gと共に「カタナ」と名付けたGSX1100S。まさに、カタナ誕生の瞬間となったのだ。

画像: 1980年夏のケルンショーに出展された「ED2」、GSX1100S プロタイプ。小型スクリーンは装着されてなかったが、200km/hオーバーの世界では必要と判断されて開発された。

1980年夏のケルンショーに出展された「ED2」、GSX1100S プロタイプ。小型スクリーンは装着されてなかったが、200km/hオーバーの世界では必要と判断されて開発された。

画像: カタナより前にターゲットデザインが手掛けたのがGS650G。2ドーム形燃焼室を採用して65馬力に到達。駆動方式はシャフトドライブで、日本では1981年4月に52万円で市販された。

カタナより前にターゲットデザインが手掛けたのがGS650G。2ドーム形燃焼室を採用して65馬力に到達。駆動方式はシャフトドライブで、日本では1981年4月に52万円で市販された。

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