1980年のケルンショーで発表された衝撃の一台
優れた性能を持ちながら、デザインがいささか野暮ったいと評されていたGSX1100E。
スズキは、来たるべき80年代のフラッグシップモデルのデザインをターゲットデザイン社に託すことを決定した。
その時のターゲットデザイン社の渉外担当だったのが、かの有名なハンス・A・ムートだ。
わずか半年あまりでプロトタイプは完成。80年夏、当時の西ドイツで開催されたケルンショーで発表されたGSX1100S・KATANAプロトタイプ。
それまで見たことがない斬新なデザインと、日本刀をイメージさせる直接的なネーミングとカラーリングで登場した。
ショー会場では人だかりに急遽アンケートを作成。
5段階評価をしてもらったところ、ほぼ1か5という極端な結果に。
その評価はインパクトの大きさの証明となり、スズキは市販化に自信を持ったという。
あくまでもショーモデルだと思っていたGSX1100S・KATANAは、翌年81年秋に、2本出しマフラーの採用や、小ぶりなスクリーンを追加するなどし、市販をスタートさせ、世界を驚かせた。
それまで日本車と言えば、今で言うところのネイキッドか、ビキニカウルが装着されているモデルがあった程度で、当時の欧米市場では「エンブレムがないとどこのメーカーのバイクなのか分からない」と揶揄する声があったほど。
そんななかで、ここまで斬新で過激なスタイルを持った市販車が、日本のメーカーから発売されるとは、到底考えられなかったのだ。
かくして、カタナは…スズキの新しいフラッグシップは、世界中から高い評価を獲得するに至り、一大カタナ旋風を巻き起こしたのだった。
1982 GSX1100S KATANA (SZ)
80年のケルンショーでプロトタイプが発表され、81年秋に市販化されたのが初期型のSZ。
仕向地には欧州各国、北米、オーストラリア、南アフリカ、シンガポールなど多くの仕様があり、当時のスズキ車にはよくあったことだが、ロットによって細部のパーツが異なるケースが少なくない。
日本市場にも81年秋から逆輸入されたが、流通や為替の関係で、160万円前後の値段が付けられ、簡単に手することはできないモデルであった。
81年に市販された分も含め、82年モデルとするのが一般的。写真はプロトタイプで、フレームのエンジンマウント部などが多少異なっている。
1983 GSX1100S KATANA (SD)
2型となるSD。6本スポークキャストホイールと黒塗りのエンジン、カウリングとタンクの上面を塗り分けたツートーンカラー、ビニールレザーシート表皮が大きな特徴。
合わせてフロントフォークボトムケースをリアショックスプリング、ホイールリムセンターもブラックとし、引き締まったイメージに仕上げている。
公式な数値は発表されていないが、リアショックスプリングの巻きピッチが変更されており、バネレートが変わっている可能性がある。
細かいところではステップバーがジュラルミン鍛造製となり、ブレーキペダルの形状も変更。
ハンドルグリップラバーやハンドルエンドの形状、サイドカバーエンブレムも変わっている。
写真のブルー×シルバーは北米仕様で、向こうでの名称はGS1100S。
ヘッドライト下のフィンがなく、車体前後側面にサイドリフレクターが貼り付けられている。
1984 GSX1100S KATANA (SE)
日本刀の反りをイメージさせる、カウリングからタンクにかけてのエッジラインに沿って塗り分けたレッド×シルバーにカラーチェンジ。メカニズム的にはSDからの変更点はない。
この年、新たなフラッグシップモデルとして、カタナのエンジンを1135㏄までスケールアップし、角パイプフレームに搭載してフルカウルを纏ったGSX1100EFがデビュー。