まとめ:オートバイ編集部
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「ジャパン・バイク・オブ・ザ・イヤー」の約20年(1977~1999年)解説

熱狂と規制の20年、読者が選んだ名車たち
1977年にスタートした本誌恒例企画「ジャパン・バイク・オブ・ザ・イヤー」は、その時代を象徴する人気モデルを読者投票で浮き彫りにしてきた。黎明期から1990年代末までを振り返ると、日本のバイクシーンは制度と技術、そしてユーザー意識の変化に大きく揺さぶられながら進化してきたことが見えてくる。
まず1975年の中型限定免許(現・普通二輪)の新設は、市場の主役を一気に400ccクラスへと押し上げた。CB400FOURやZ400FXといった名車が若者の憧れとなり、1980年代初頭にかけて〝ナナハンキラー〟という言葉が生まれるほど、性能競争は過熱していく。
こうした中で1983年の保安基準緩和は大きな転機となった。セパレートハンドルやフルカウリングが解禁され、レーサーレプリカという新ジャンルが一気に花開く。RG250ΓやNSR250Rといった2スト勢は圧倒的な支持を集め、ランキングでも常連となった。
しかしその勢いに変化をもたらしたのが1989年の自主馬力規制である。750ccクラスは77PS、以降はクラスごとに上限が設けられ、単純な出力競争は終息へ向かう。代わって各メーカーはハンドリング性能や電子制御、質感といった総合性能を磨き上げる方向へ舵を切った。
1992年には新たな馬力規制が導入され、特に250ccクラスは45PSへと抑えられるが、その枠内で極限の性能を追求したモデル群は、いまなお高い評価を受けている。
1990年代半ばになると、ユーザー環境にも変化が訪れる。1996年の運転免許制度改定により大型自動二輪免許が教習所で取得可能となり、それまで一部の熟練者に限られていたビッグバイクが一気に身近な存在となったのである。
これによりCB1000SFやXJR1200といった大型ネイキッドモデルが人気を集め、ランキングの勢力図も大きく変化していった。かつてのレプリカ一辺倒から、多様な価値観が共存する時代へと移行したのである。
そして1999年までの流れを締めくくる形で意識され始めたのが、2000年に欧州で導入された最高速規制だ。国内外で安全性や環境性能が重視される流れの中、日本のメーカーも次なる時代への準備を進めていったのである。
こうして振り返ると、「ジャパン・バイク・オブ・ザ・イヤー」のランキングは単なる人気投票にとどまらず、その時代の制度、技術、そしてライダーの価値観を映し出す鏡であったと言える。1978年から1999年までの軌跡は、日本のモーターサイクル文化が最もダイナミックに変化した時代の記録そのものなのである。

この時代(1975~2000年)の出来事を振り返る
最上掲の図表「1970s 〜 1990s JBOTY クラス別 歴代1位モデル」のトピックスとなった年の出来事(西暦後ろの丸数字)を順を追って振り返ってみた。
①1975年「運転免許制度改正」
中型免許新設で400ccが人気に
1975年の中型免許の新設で、若者のボリュームゾーンが一気に400ccへシフトした。ナナハンの夢を400ccで追う時代となり、各社は4気筒スポーツで“ナナハンキラー”戦争を繰り広げた。
➁1983年「保安基準緩和」
セパハンとカウリングがOKに
1983年の保安基準緩和でセパハン&カウルが解禁され、レーサーレプリカブームが本格化。峠やサーキットだけでなく、通勤路ですら“マン島”と化すほど、ライダーの熱量は最高潮に達していく。

③1989年「馬力自主規制」
④1992年「新馬力規制」
250では45PS→40PSへ
1989年の自主規制で大排気量の過激な出力競争はいったん終息し、1992年の新馬力規制で250ccも45PSから40PSへ。最高速よりもコーナリング性能やフィーリングが重視され、“速さの質”を競う時代へと移り変わった。

⑤1996年「運転免許制度改正」
大型自動二輪免許が登場
1996年の免許制度改正で大型自動二輪が教習所で取れるようになり、ビッグバイクは一部マニアのものから一般ライダーの現実的な選択肢に。ネイキッドからアメリカン、ツアラーまで大型人気が一気に花開く。

⑥1999~2000年「欧州最高速度規制」
300km/hの速度リミッターが登場
2000年の欧州最高速規制で300km/hリミッターが登場し、“最高速、時速何キロ”の時代は幕引きに。メーカーは絶対速度ではなく、トータルパフォーマンスや電子制御、安全性で個性を競うフェーズへと舵を切っていった。

