写真:南 孝幸、長谷川 徹、有森弘忠、HONDA
取材協力:WITH ME Professional Racing
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フレディ・スペンサー
1961年12月20日、アメリカ・ルイジアナ州生まれ。幼いころからダートトラックレースに親しみ、1978年からロードレースへの本格参戦を開始。1980年にはUSホンダと契約、1982年に世界グランプリにフル参戦。1983年にはケニー・ロバーツとの死闘の末に、当時史上最年少の21歳の若さで最高峰500ccクラスの世界チャンピオンに輝く。1985年には世界グランプリの250ccクラスと500ccクラスに参戦、圧倒的な強さで両クラスのチャンピオンを獲得。史上唯一のダブルタイトル獲得を達成した。
CBとのつながりも深く、1981年、1982年にCB750Fレーサーを駆ってAMAスーパーバイク選手権に参戦。1982年にはデイトナ100マイルレースで優勝。このときのCB750Fレーサーのカラーグラフィックは「スペンサーカラー」と呼ばれ、現在でもホンダ車に採用され、愛され続けている。
デイトナレーサーは非常に敏感で乗りづらかった!?

HONDA
CB750F RACER(1982)
写真:南 孝幸
—フレディさんと言えば、世界グランプリのダブルタイトルで有名ですが、日本ではCB750Fレーサーでの活躍もあり、CBのレジェンドとしても知られています。フレディさんのCBの印象について聞かせてください。
「ホンダとのつながりの最初がCB750Fでした。1982年にはデイトナ100マイルレースで勝って、ホンダとの本格的な関係もそこから始まりました」
—デイトナで乗ったCB750Fレーサーですが、どんな乗り味で、それはフレディさんにとって好みだったのでしょうか?
「あのバイクは非常に運転しづらく、荒っぽいバイクでした。当時の市販車ベースの車体に非常にハイパワーなエンジンを積み、レーシングタイヤと大きなブレーキを付け、無理なチューニングをしていたので、非常に敏感でコントロールが難しい、ナーバスなバイクでした」

写真:南 孝幸

写真:南 孝幸

写真:南 孝幸
「70馬力ちょっとのエンジンを乗せていた車体にハイチューンのエンジンを乗せたものですから、フロントは暴れるし、フレームの限界も低くて、車体の限界で出せるスピードが決まる、そんなバイクでした。いつも限界ギリギリで走っていましたね」
—そんなCB750Fレーサーで1982年のデイトナ100マイルレースに勝ったわけですが、その時のことを振り返ってみていただけますか?
「パワーバンドが9000rpmから10500rpmと狭く、非常にピーキーで、GP500マシンのような当時のプロトタイプレーサーと比べても、はるかに繊細で難しく、スロットル操作に対して非常に敏感なバイクでした。当時はトラクションコントロールや電子制御なんてありませんから、ライダーの操作にバイクがダイレクトに反応しますし、今のバイクに比べたらタイヤも細いですから、とにかくタイヤをスピンさせないように、バイクを滑らせないように気を付けていました」

HONDA
VF750F INTERCEPTOR(1985)

「その後VF750Fインターセプターで1983年から1985年までAMAスーパーバイクを走って、85年のデイトナ200マイルレースで勝ったんですが、このインターセプターの時からスーパーバイクのレギュレーションとマシンが大きく変わり、そのままサーキットでレースに使えるような市販車が出てきました。ホンダがレーシングテクノロジーを市販車に取り入れる素晴らしい仕事をしてくれて、インターセプターでは82年のときと違ってレースをとても楽しめました」
好きなバイクはVFR800とNSR500
—そんなフレディさんが好きなバイク、強く印象に残っているバイクはありますか? 市販車、レーサーでそれぞれ1台ずつ挙げてください。

ガレージにて。大好きなVFR800の横には、スペンサーカラーのモンキー・スペシャルの姿も。
www.instagram.com「市販車で大好きなのはVFR800です。テクノロジーが大きく進化したときのモデルで、私は2008年の25周年記念車、インターセプターカラーのモデル持っていて、今もガレージにあります」
—レーサーはいかがですか?

「(本をめくって)一番好きなレースバイクは1985年のNSR500です。このバイクには開発から携わり、チャンピオンを獲ることができましたし、グランプリで最も成功したバイクになりましたから、とても誇りに思っています」
—開発に当たって大事にしていたことは何ですか?

HONDA
NSR500(1985)
写真:有森弘忠
「エンジンが3気筒から4気筒になって、リアショックもリンク付きのプロリンクになるなど、車体も大きく変わりました。一番大切にしていたのは、扱いやすいライダーフレンドリーなバイクにすることです。レーシングテクノロジーを市販車に反映させる際も同じで、バイクがどう反応しているかをライダーに伝えてくれるような“Forgiveness(許容性)”を大事にしていました。それが安全性につながり、より速く、より安全に走れるようになるのです」

