まとめ:岡本 渉/協力:バイカーズステーション、佐藤康郎、H&L PLANNING
※本記事は2025年7月2日に発売された『レーサーレプリカ伝 4ストローク編』の内容を一部編集して掲載しています。

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レーサーレプリカ伝 4ストローク編 (Motor Magazine Mook)
スズキ「GSX-R750」から始まるナナハン・レーサーレプリカ
国産のロードレーサーレプリカは、ふたつの規制緩和によって生まれた。ひとつは、1982年6月に運輸省(現在の国土交通省)が関係方面に出した“技術基準に適合したフェアリングの装着を正式に認める”という通達だ。
もうひとつは、シートに対してどこまでハンドルの位置を下げてよいかという規制で、これらは段階的に緩和されていった。いち早く反応したのはスズキで、限りなくロードレーサーに近い市販車として、1983年2月に水冷2ストローク250ccのRG250Γを、翌1984年3月に水冷4ストローク400ccのGSX-Rを世に問う。

SUZUKI
GSX-R750
1985年
さらに1年後の1985年3月、750ccクラス初のレーサーレプリカであるGSX-R750が送り出された。当時、排気量が400ccを超える大型バイクを運転することができる限定なしの自動2輪免許(いわゆる限定解除)を取得するには、運転免許試験場で技能試験に合格しなければならず、合格率わずか数%、ふた桁回数の受験は普通という狭き門だった。
そのため、この免許制度が始まった1975年10月以降に16歳を迎えた人の多くは、指定教習所を卒業すれば技能試験が免除される中型限定の自動2輪免許を取得し、250ccあるいは400ccの車両に乗っていた。
当然ながら、各メーカーは需要の多い中型クラスに集中してニューモデルを投入していた。そうした中で、新設計の油冷並列4気筒エンジンをナナハン以上で初のアルミ製フレームに搭載したGSX-R750は、世界市場へ向けての新しい発想によるモデルであった。
ところで、レーサーレプリカには、単にロードレーサーのスタイルやライディングフィールを味わえるバイクというだけでなく、レース用のベース車という側面がある。折しもGSX-R750発売前年の1984年、全日本ロードレース選手権で新たにTTF-1(ツーリスト・トロフィー・フォーミュラ1)が開催されるようになった。
そもそもこのクラスのレギュレーションは、市販車を改造した車両で競うヨーロッパの耐久ロード
レース用車両規定に基づくもので、フレームを作り直すことができるなど、改造が可能な範囲は極めて広かった。
そして1984年、安全性の面から規則が変更になり、1000cc以下(4ストローク)だった排気量が750cc以下(同)に改められた。そうした状況の中で“24時間耐久レースに出ても勝てるレベルのスーパースポーツ”として開発されたGSX-R750は、デビューレースである1985年のル・マン24時間耐久レースで1位と2位を獲得。また全日本ロードレース選手権でも、ヨシムラ・スズキが1987年まで3連覇するという偉業を成し遂げることとなった。
ホンダは「VFR750R(RC30)」を1987年に発売

Honda
VFR750R
1987年
GSX-R750の登場から3年半後の1987年8月、ホンダが水冷90度V型4気筒をアルミ製ツインチューブフレームに搭載したVFR750R(RC30)を発売。ワークスレーサーRVFのメカニズムを可能なかぎり市販車に落とし込み、“プライベーターがワークスに戦いを挑めるマシン”という目標を掲げて開発されたRC30は、日本国内では148万円と高価だったが人気を博し、もちろんレースの世界でも活躍。1988年から始まったスーパーバイク世界選手権(WSB)で2年連続チャンピオンとなった。
ヤマハは「FZR750R(OW01)」を1989年に発売

YAMAHA
FZR750R
1989年
RC30を追ってヤマハは1989年4月にレーサーベース車としてFZR750R(OW01)を投入。前年に発売されたFZR750の5バルブ前傾並列4気筒を大幅にショートストローク化し、ワークスマシンYZF750のディメンションを再現したアルミ製デルタボックスフレームに積んだ意欲作で、発売翌年の1990年の鈴鹿8耐では、OW01をベースに開発されたYZF750がエディ・ローソンと平忠彦に悲願の初優勝(ヤマハとしては3回目)をもたらした。
カワサキはワークスレーサー「ZXR-7」譲りの「ZXR750」を投入

Kawasaki
ZXR750
1989年
一方、1970年代半ばから世界耐久選手権などで活躍していたカワサキは1983年を限りにしばらくワークス活動を休止していたが、1988年にGPX750Rのセンターカムチェーン水冷並列4気筒をアルミフレームに搭載したワークスZXR-7で全日本TTF-1に復帰する。
1989年1月には、蛇腹状のダクトでシリンダーヘッド周辺に冷気を送り込むK-CASやアルミe-BOXフレームなど、ZXR-7譲りのメカニズムを数多く投入したZXR750をリリースした。
ZXR750は1991年型で新開発の右サイドカムチェーン水冷並列4気筒を搭載し、倒立フォークを採用するなど全面的に変更される。1993年には、さらに改良されたZXR750をベースとしたワークスレーサーのZXR-7が、カワサキの念願だった鈴鹿8耐を初制覇するとともに、WSBのチャンピオンをも獲得した。
ところで1993年までのTTF-1は、車体を自由に作ってよく、エンジンも、クランクケース/シリンダー/シリンダーヘッドの鋳物が市販車と同じなら加工は許されるなどの規則によって、ワークスとプライベーターの差は歴然としていた。
そうした状態の解消とコストを削減すべく1994年から導入されたのが、市販車のフレームとエンジンを用い、外観を含めて改造範囲も厳しく制限されたスーパーバイクで、世界選手権に倣って全日本ロードレース選手権もTTF-1からスーパーバイクへとレース規則が変更された。
ホンダ「RVF(RC45)」が1994年に登場

Honda
RVF/RC45
1994年
その新レギュレーションがスタートした1994年の1月に発売されたのが、RC30の後継であるRVF/RC45だ。エンジンはレイアウトこそ水冷90度V型4気筒を踏襲していたが、カムギヤトレインを中央から右側に変更することを含めて徹底した小型化を行う。
荷重に対する変化の均一性までもRVF750同等にしたアルミツインチューブフレームに倒立フォークを加えたRVF/RC45は、200万円の価格で初年度は500台を限定販売。レースでは圧倒的な強さを見せ、鈴鹿8耐ではデビューイヤーから1999年までの6年間で5回優勝。全日本選手権では年間王者を3回も獲得している。
さらに1997年には、WSBで圧倒的な強さを誇っていた996cc水冷90度V型2気筒のドゥカティ916(2気筒は1000ccまで許されていた)に打ち勝ち、チャンピオンの座に就いたのである。
スズキ「GSX-R750」は1996年の大幅変更で再びトップクラスに

SUZUKI
GSX-R750
1996年
一方、元祖750ccレーサーレプリカのGSX-R750は、登場直後はレースで勝ちまくったものの、レース用としての油冷の限界はスズキが考えていたよりも早かった。それで1992年に水冷化するが、レースでの戦績は振るわなかった。
そこで1996年型(T型)として、軸配置から大きく変えた軽量な新エンジンと、それにふさわしいツインスパーフレーム(それまでは同じアルミでもダブルクレードル)を開発、見事にトップクラスの性能を得た。
クランクシャフトとミッションの2軸を同一面に置かないことで前後長を短縮した新GSX-R750のレイアウトは画期的であり、後年のスーパースポーツ用エンジンの多くが3軸を立体的に配置するようになったのである。
ホンダ「NR」(1992年)

世界グランプリ500ccクラスであえて4スト500ccを選択し、ライバルの2スト500ccマシンを相手に戦ったホンダNR500。そのメカニズムをふんだんに盛り込んだNRも750ccで1992年5月に発売された。
世界初の楕円ピストンを採用した8バルブV4エンジンは、チタンコンロッドやPGM-FI、PGMイグニッションによりワイドかつフラットなトルク特性を発揮。目の字断面の極太アルミツインチューブフレームを採用する車体には倒立フォークやマグネシウムホイールをセット、カウルもカーボンファイバー製。あらゆる部分に理想を追求した究極の1台だった。

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