文:横田和彦/まとめ:オートバイ編集部/協力:Bikers Station
受け継がれし「魂と技」

▲GSX-R1300 Hayabusa(1999年~) 発売されたばかりのGSX1300RハヤブサをベースにXフォーミュラクラスのレーサーを開発。2001年からはGSX-R1000がベース車となり、「隼X-1R」は役割を終えた。
チューニングの原点に戻り再びチャンピオンへ
一方で、吉村不二雄が危惧していたのは、データやコンピュータに依存しすぎる風潮だった。機材や数字は、それを使う人間の判断と感触があって初めて意味を持つ。天才チューナーであった父の姿を間近に見ていた不二雄が、その重要性を最もよく理解していた。そして、ヨシムラを巣立ったメカニックたちや独立チューナーたちも口をそろえる。「結局、ヨシムラで培った基礎が、チューニングの最終段階で生きてくる」のだと。
彼らはPOP親子の実験のために、日々エンジンを組み続けてきた若者たちだった。ひとつの小さなパーツテストのために丹精込めて組み上げても、あっという間に壊れる。それでも、その繰り返しが力になる。結局、チューニングとは「どれだけ壊したか」「どれだけ無駄を積み重ねたか」で勝負が決まる。安全圏で止めていては、レースに勝つことはできないのだ。
やがて吉村不二雄たちが築いたスーパーバイクは、あまりに先鋭化し、本来の理念から離れてしまった。だからこそ、少しワイルドで自由な「Xフォーミュラ」へと転換するのは自然な流れだった。それは、雁ノ巣やカリフォルニアのガレージで過ごした日々と同じく、レースとチューニングの原点からの再挑戦でもあったのだ。
◆ ◆ ◆
1995年3月29日、吉村秀雄、通称“ポップ吉村”は静かにその生涯を閉じた。オートバイチューニング界の黎明期を切り拓いた伝説の匠は、独自の発想と卓越した技術でアメリカへ渡り、その革新的な挑戦で世界を驚かせた。常に限界のさらなる先を追い求めた彼の熱き魂と情熱は今もヨシムラサウンドと共に息づき、後世のライダーや技術者たちへと語り継がれている。

次世代のヨシムラを模索しながら活動
加藤陽平は"POP吉村"こと吉村秀雄の孫として生まれ、幼少期からヨシムラの環境に育った。ライダーやメカニックに囲まれ可愛がられた少年時代を送り、自然とブランドとファンの熱意を肌で感じていたが、当初は自分が継ぐ意思はなかったという。
大学時代にはヨシムラOBの会社でエンジン組立を学び、さらに四輪のチューニング会社で先端技術を習得。スーパーGTの現場でも「エンジンのプロ」として扱われ、責任の重さと成果の重要性を実感した。ECUやインジェクションに関する経験は、二輪がキャブからインジェクションへ移行する時代に大いに活かされた。
2002年、ヨシムラに入社しレース用エンジンのセッティングを担当。翌2003年には鈴鹿8耐に参戦し、予選2位を獲得するも決勝は転倒リタイアに終わる。しかし全日本JSBでは年間2位と高い結果を残した。2004年は創立50周年を迎え、8耐では16年ぶりとなる2位表彰台を獲得。一方国内選手権では苦戦し6位に終わった。
2006年からはレース全般のマネージメントを担い、2007年に正式に監督就任。この年ヨシムラは2台体制で鈴鹿8耐に挑み、#34号車が圧勝。27年ぶりの8耐制覇に加え、全日本JSBでも18年ぶりのシリーズタイトルを獲得する。
2009年には2年ぶりに8耐優勝を達成し、監督としての手腕を証明した。2011年からはWSBKW参戦を開始、鈴鹿8耐でもポール獲得を果たし存在感を示した。さらに2013年からEWCでSERTをサポートし、ル・マン24時間をはじめ国際舞台で経験を積む。

▲2009年の鈴鹿8耐で、激戦を制して2年ぶりの栄冠を掴み取り、チームにとって通算4度目となる輝かしい優勝を飾った。
2014年は創業60周年記念として#34に加えレジェンドチーム#12が話題を呼び、#34は荒れた展開の中2位を勝ち取った。
その後、鈴鹿8耐での表彰台はしばらく遠ざかったが、2022年に予選22位から追い上げて3位表彰台を獲得。2021年、EWCに日仏混合チーム「ヨシムラSERT Motul」として初参戦し、いきなりシリーズチャンピオンを獲得。そして2023年にはボルドール24時間耐久レースで勝利を収めた。
そしてヨシムラにとって躍進の年となり、EWC開幕戦ル・マン24時間で勝利すると、最終戦ボルドールでも優勝し、ついにシリーズチャンピオンを獲得した。そして2025年9月に開催されたボルドール24時間耐久レースでもトップチェッカーを受けた。加藤はこれを「ライダーやスタッフ、エンジニアリング全ての成果」と讃えている。
監督として20年近くチームを牽引してきた加藤陽平は、ヨシムラを組織的に強化し、国内外の舞台で成果を残してきた。「ヨシムラにとってレースは原点。常に“POPならどうするか”を考えて運営している」と語る彼の姿は、次世代のヨシムラを切り拓くリーダーそのものだ。

▲SUZUKA 8H(2025年) 加藤陽平社長の指揮の下、チームは2年連続で表彰台に立った。その成果は、確かな結束と揺るぎない実力を重厚に物語っている。灼熱のコンディションと多くのクラッシュが発生する難しいレースだったが、ヨシムラはフル参戦EWCチーム最上位となる3位でフィニッシュした。

▲SUZUKA 8H(2025年) 加藤陽平社長の指揮の下、チームは2年連続で表彰台に立った。その成果は、確かな結束と揺るぎない実力を重厚に物語っている。灼熱のコンディションと多くのクラッシュが発生する難しいレースだったが、ヨシムラはフル参戦EWCチーム最上位となる3位でフィニッシュした。

▲2025 Bol d’Or 24H ボルドール24時間耐久レースで、ついに3年連続優勝。深夜を切り裂くエキゾーストの咆哮と、夜明けに差した勝利への光。ヨシムラ魂はまたひとつ、新たな歴史を刻んだ。
文:横田和彦/まとめ:オートバイ編集部/協力:Bikers Station

