文:齋藤春子/写真:松川 忍
株式会社キジマ

消耗ゴム部品から、外装などのカスタムパーツ、メンテナンス用品、アクセサリー類まで、ユーザーニーズに応えた多彩なラインアップを誇るバイク用パーツの総合メーカー。1960年代からパーツカタログを製作し、当時のカタログに掲載されている商品イラストは先代社長(現会長)が自ら手がけていた。
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株式会社キジマ 代表取締役
木嶋孝一さん

大学では工学部機械科を専攻、卒業後、ヤマハ発動機に入社。サービス部門で勤務したのち、1994年にキジマに入社。2007年に二代目社長に就任した。
ゴム製品の卸売業から70年代に総合パーツメーカーに
──キジマさんは今年で創業67年。長きに渡り、二輪ユーザーに「選ばれる」ブランドであり続けてきた理由を、木嶋社長のお話から探りたいなと思うのですが……。
「うちは高度成長期の本当に物がない時代からスタートし、今に至る会社ですが、じつは商品開発のやり方や商品の売り方は、根本的には変わっていないんですよ。実際の製作過程は技術面の進化でだいぶ効率的にはなりましたが、それぞれの車体に合わせ、デザインや実用性も含めた使いやすさを追求しながら、品質を維持しつつ求めやすい価格とのバランスを取っていく、という姿勢は、変わらないですね」
──創業当時から、オートバイ用パーツ専門の会社だったのでしょうか。
「もともとゴム製品を扱う会社にいた先代が独立して、キジマの前身である『不二屋ゴム商会』を1958年に設立した当初は、二輪だけでなく四輪用のゴム部品や家具用のゴム足などの卸売をしていました。当時は道路状況が悪かったので、次第に二輪・四輪用の泥よけや足マットなどのゴム製品を開発して人気となり、そこからオイルシールセットなど商品の数も増えていきました」
──二輪用品に絞った経緯というのは?
「いろいろ手を広げるよりも、オートバイ部品に特化しようと先代が決めたのは、60年代後半です。ちょうど私が生まれた1970年には、アメリカの二輪用パーツショップを視察に行ったようで、そこで感銘を受けたのでしょうね。日本でももっといろいろなパーツを作れないかと考え、金属パーツやプラスチック加工製品、ダイキャスト加工品の販売を開始したのが、総合メーカーとしての始まりです。同時に、当時ブームだったモトクロスレースの現場に通い、選手の皆さんに直接ニーズを聞きながらモトクロス用部品・用品の開発も始めます。私も小さい頃、モトクロスやトライアルのコースにさんざん連れて行かれましたよ」
──やはり木嶋社長が物心がつく頃には、バイクが身近にあったわけですね。
「モトクロスやトライアルの現場って山奥だから、何もないじゃないですか。子供の頃は嫌でしたねぇ(笑)。トイレに行くのも困るし、ホコリだらけで鼻の穴は真っ黒になるし。でも、そうやって現場で聞いたユーザーの声を、商品開発に反映していくというのは昔も今も変わらないキジマの姿勢ですね」
ユーザーのニーズをさぐりその時代に合った商品を開発
──現在、キジマさんが販売している商品はどのくらいになるのですか?
「オリジナル商品だと約2000点ほどです。これでもだいぶ減らしたんですよ」
──これまでKIJIMAブランドの転機となったような、ヒット商品を挙げるとすると?
「キジマの前身である『東洋ゴム商会』時代だと、当時は未舗装路が多く、ゴム製の泥よけがかなりヒットしたそうです。あと、うちは1960年代から通販をしていて、確か、月刊オートバイに最初の広告を出したのが1969年なんですよ。当時は二輪用品店も少なかったですから、毎週100件を超える注文が入ったという話を子供ながらに覚えています。
あとはSRなど人気車種のマフラー入荷日には、朝、シャッターの前で業者さんが待ち構えていたとも聞きました。今では当たり前になった、手前にカーブしたレバー形状の『パワーレバー』はうちが最初に開発しましたし、硬さや形状を豊富に揃えるグリップもうちの定番人気商品です。
ただ、キジマという会社は、何かひとつのアイテムが大ヒットして売上を支えてきたわけではないんですね。オートバイに関するあらゆる製品を手がけてきたので、ウエアもやれば、ハーレーなど外国車のパーツも作る。1985年に立ち上げたレーシングチーム『KISS RACING』のグッズは、一時期は原宿の竹下通りに『KISSショップ』ができるほど人気にもなりました。常にその時代に求められる商品は何かを考え、ラインアップを増やしていますが、需要が減ったら製造を止めて、また新しい商品を作る。ずっとその繰り返しですね」
──本当にさまざまなジャンルの商品を開発されてきたんですね。
「さすがに自分が生まれた頃や10代までの歴史は、私も後から知ったことばかりですけどね。ただ、今年50周年を迎えたKISS レーシングについては、学生時代に鈴鹿8耐でのグッズ販売の手伝いに行ったりした記憶があります。そうそう、たしか二輪レース界でいわゆる“レースクイーン”を採用したのは、KISSレーシングが初めてなんですよ。サーキットの雰囲気を明るく盛り上げようということで始めたそうですが、当時はかなり話題になったそうです。KISSレーシングといえばの蛍光ピンクのチームカラーも、ありがたいことにファンでいてくださる方が多くて、KISSレーシングのチームTシャツは今でも人気商品なんですよ」

──木嶋社長は大学卒業後に二輪メーカーで働き、その後キジマに入社されたとか。
「先代の社長(現会長)がひとりで会社を率いていた頃は、バイクブームの後押しもあって、ユーザーのニーズがあると判断したものはどんどん作っていたんです。物が売れる時代でしたし、10の商品を開発して、ひとつのヒットが出れば、たとえ残り9つの売り上げが悪くてもカバーできたんですよ。
僕が入社してからは、増え続けてきた商品ラインアップを採算ラインも踏まえて見直したり、使いやすさ、精度を高めて品質向上をさらに進めていきました。1990年代後半からはビジネスバイクのカスタムや、TW200の“スカチューン”製作、2000年代のビッグスクーターブームなど、時代の声に合わせて車両トータルでのカスタムスタイルを考えるようになり、雑誌社さんと組んで、流行を仕掛けていくような挑戦もしていました。その後はインターネットが発達して、あらゆる人の情報発信の場になったこともあり、ひとつの大きなブームが市場を引っ張ることもなくなりましたが……」

東京モーターサイクルショーのキジマブース。時代を越えたレトロデザインカスタムを提唱するW230ベースの「タイムレスレトロ」など、魅力的な展示車がズラリ。

新発想のBluetoothオーディオ「addSound(アドサウンド)」も展示。振動型スピーカーでヘルメットをスピーカーに変える斬新なシステムで大きな注目を集めた。