※本企画はHeritage&Legends 2023年3月号に掲載された記事を再編集したものです。
好きなZが壊れず走れるそれをベースにしてきた
1988年に兵庫県・淡路市で前身となるプロダクトMカンパニーを創業、その後’98年にPMCを発足させた同社代表の正本晃二さんも、Zやカスタムブームをリアルタイムで過ごしたひとりだ。
当時、北米から輸入したZに適度なレストアや整備を行って送り出すうちに出てくる問題を解決する。エンジンがかからないのは配線の接触不良や電装の弱さだと突き止めて、配線を作る。そうした作業を多くこなすうちに、壊れなくなるというノウハウが積み上がる。同時に、パーツの欠品や必要な特徴も分かってきた。そんなパーツは1台ごとでなく複数揃えていけば、多くの車両にすぐ適応できることになると分かる。
先の配線は電線を用意し、接続のためのカプラー(規格品でなく、Z専用設計だった。耐熱性も必要)も用意すべく動く中で、台湾の電機メーカーと知り合えて、端子やカプラーが作れるようになる。これを生かして作ったハーネスが、同社製リプロパーツの最初となった。未踏だったパーツ販売という分野に踏み出すにはいくらかの勇気も必要だっただろうが、無事に乗り切れた。Zに接する誰もが、同じようなことを経験していたからだ。エンジンがかからない。電装がおかしい。けれど、新品ハーネスがない、作るか修理しなければ……。正本さん/PMCが送り出したリプロハーネスは、そこに現れた救世主となったのだ。
「あの当時はみんな困っていて、誰かが動かないといけなかった。でも、実際にZ用のパーツを作ったとして、本当に売れるのか、どのくらい要るのかは分からない。始めるのはいいけど、リスクも大きかったんです。〝自分も困っていたのだから、ほかにもいっぱいそんな人がいるだろう〟という感覚ではあったんですが、実際に受け入れられて安心しました。結果としては良かったですけど」とも正本さんは当時を振り返る。
これに始まるリプロパーツ群で、多くのZが息を吹き返した。事実、’90年代中盤以降には多くのカスタムショップからの「PMCパーツのおかげでレストアやカスタムのベース作りが楽になった」「作った後の維持の心配が大きく減った」という声を聞いた。プライベーターも当然、Zをよく知るショップにもPMCのパーツ群は支持され、重宝されたのだ。
カスタムパーツも同様だった。当時は他モデルの純正フロントフォークなど、足まわりの中古品や取り外し品を流用するのが主流。そこにも“せっかくお金を使って換えるなら”と、KYBと交渉してφ38㎜フォークを作る。正本さん自ら図面を引いて作ったステップキットもそんなひとつだ。
その背景にあったのは、“とにかく壊れないようにする”という正本さんの考えだった。ライダーなら誰しもが思うことだろうが、特に淡路島育ちの正本さんは、遠出して島外で動かなくなることが致命的になる。「そんなトラブルや不安感を解消しようとパーツ作りに踏み切ったんです」とも言う。不安を安心に換えること。それが今も続くパーツ作りの原点だった。
PMCは今も淡路島に本拠を置き、活動の幅を広げ、かつ深めている。現行車向けにARCHI(アーキ)ブランドを立ち上げてZ900RS用を軸にパーツ開発・製作を行うが、ここにもZで培ったノウハウが生かされている。そしてその基本となったZシリーズ用パーツも、日々進化している。
そんな進化があっても変わらず根底にあるのは、正本さんの“好きなZ、壊れないZ、いつも元気で走れるZでいてほしい”という気持ち。それは時代やパーツ動向が変わっても、不変なのだ。
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Zをリフレッシュする豊富なパーツで組んだ見本
リプロパーツやチューニングパーツ、カスタムパーツと豊富に揃ったPMC扱いのZ用パーツ群によって快調車へと再生されたZ1A。2019年の東京モーターサイクルショーではアイキャッチの写真のようにパーツ群の中央にモニタを置き、これらパーツを組み付けてZ1Aができあがっていく見本動画も流された。
こちらは、ワイヤスポークのままで3.50/5.50幅の前後17インチ化を行った2010年のデモ車。PMCがこの頃扱いを始めたYSSリヤショックや、7N01材製中空スイングアーム等も装備。PMCが長く扱うワイセコピストンも組んだ。
2020年には現行車用カスタムパーツブランド“ARCHI”(アーキ)を立ち上げ、とくにZ900RS用パーツに力を入れる。写真は’22年の東京モーターサイクルショー・PMCブースに展示された2台のARCHI Z900RS。上はレッドジュエル、下はモノクロというコンセプトネームを持って展示。ビレットハニカムシリーズや人気のロングテールカウルなど、機能やスタイルの提案を行った。