文:RIDE編集部
1901年、最初のインディアンモーターサイクルが生産開始
はじめは自転車メーカーからアメリカ最大のメーカーがスタートした
インディアンのスタートはジョージ・ヘンディー(写真上)の自転車メーカー、ヘンディー・マニュファクチャリング・カンパニー。1897年、工房をスタートし、ヘンディーがカール・オスカー・ヘドストローム(写真下)とともに、ニューヨークの北、約300kmのマサチューセッツ州スプリングフィールドに1901年に工場を開設。ここで生産が始まったのがインディアンだ。
初期のモデルは、いわゆる「自転車バイク」と呼べるものだが、1947年製造のホンダA型のように、既存の自転車にエンジンを合体させたものではなく、はじめからエンジンを搭載した自転車というスタイルだった。
上の写真は1904年式のもの。288ccで2PSを発揮した単気筒エンジンモデルで、リアタイヤ上の「INDIAN」と書かれた半月形のものが、エンジンオイルとガソリンタンクを兼ねる「キャメルハンプ」(=らくだのこぶ)。
1907年に初のVツインモデル
インディアンは1907年には初のVツインモデルを製造。単気筒エンジンにシリンダーをひとつ追加したシンプルなもので、自転車フレームを脱して初めてバイク専用ループフレームを採用したのが、下写真の1909年モデルだった。
この頃、インディアンの主力モデルはVツインエンジン車だったが、350ccや500ccの単気筒モデルもラインアップ。1910年に2段変速のチェーンドライブ車、1914年に、セルモーター始動のメカニズムを実用化していた。
自転車製造工房から世界最大のオートバイメーカーへ
他の多くのオートバイメーカーと同じように、インディアンも小さな自転車工房からスタートしている。
1897年に操業をスタートしたヘンディー・マニュファクチャリング・カンパニーが、創始者のジョージ・ヘンディーにカール・オスカー・ヘドストロームと合流して、最初のインディーアンモーターサイクルを生産したのが1901年。最初の完成車は48km/hの最高速度をマークしたと伝えられている。
1902年には量産モデルの生産を開始し、143台を製造販売。いち早くチェーンドライブやフロントサスペンション、2段変速ミッションやセルスターター、電気式ヘッドライトなどを実用化した先進技術をものにしたメーカーだ。
そしてインディアンは、すぐに長距離耐久レースやスピードレコード記録、サーキットでのレースにも挑戦して成功をおさめる。インディアンにとって、長距離耐久レースやサーキットレースへの挑戦は、自社製品の優秀性を実証する、大事な機会だったのだろう。
そしてインディアンは、ついに1919年には世界最大のオートバイメーカーと認定されている。1923年にはインディアン・モトサイクル・カンパニーと社名を変更。この頃には、アメリカに約200あったとされるオートバイメーカーの淘汰も始まり、インディアンは単気筒からVツイン、4気筒エンジンモデルまで生産する、数少ない総合オートバイメーカーになっていった。
中でも1920年発売の600~750ccのスカウト、1922年発売の1200ccオーバーのチーフが2大メジャーモデルとなり、第二次世界大戦期の1940年代ごろまで、インディアンは、ハーレー・ダビッドソンと並ぶ、世界最大のオートバイメーカーと呼ばれていた。
レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー
インディアンのレースとのかかわりは、創業すぐの1902年。最初の勝利はボストン−ニューヨーク間の約350km公道耐久レースで、翌1903年には創業者のひとりであるヘドストロームがオートバイによる世界最高速度記録を樹立。
ボードトラックと呼ばれる板張りコースを走るレース(上写真)やダートトラックにも進出し、1911年にはマン島TTレースでインディアンを駆るライダーが1-2-3位を獲得。2段変速とチェーンドライブの優秀性が立証された。
1937年には750㏄のスカウトがデイトナ200マイルで優勝。インディアンはこの頃、名実ともに世界ナンバー1だった。
ダートトラック、レースなどモータースポーツでの栄光