アメリカのオートバイメーカーといえばハーレーダビッドソンにインディアン、少し詳しい人ならばエクセルシャーを入れて3大メーカーだと知っている。しかし実は、1901年に“最古のメーカー”インディアンが操業を開始してからアメリカには大小含め、約200のメーカーがあったと言われている。中でもインディアンは、自転車メーカーからスタートし、エンジン付自転車を経て、またたくまにアメリカ最大の、つまりは世界ナンバー1のメーカーに上り詰めたのだ。
文:RIDE編集部
画像: 1920年に登場した、インディアンきってのスポーツバイク、スカウトが納められたショット。インディアン伝統のバンク角42°のVツインエンジンを持ち、3速ミッションを備えていた。このモデルをベースにレーシングマシンが作られた、つまり現行FTR1200の遠いご先祖様⁉

1920年に登場した、インディアンきってのスポーツバイク、スカウトが納められたショット。インディアン伝統のバンク角42°のVツインエンジンを持ち、3速ミッションを備えていた。このモデルをベースにレーシングマシンが作られた、つまり現行FTR1200の遠いご先祖様⁉

1901年、最初のインディアンモーターサイクルが生産開始

はじめは自転車メーカーからアメリカ最大のメーカーがスタートした

インディアンのスタートはジョージ・ヘンディー(写真上)の自転車メーカー、ヘンディー・マニュファクチャリング・カンパニー。1897年、工房をスタートし、ヘンディーがカール・オスカー・ヘドストローム(写真下)とともに、ニューヨークの北、約300kmのマサチューセッツ州スプリングフィールドに1901年に工場を開設。ここで生産が始まったのがインディアンだ。

初期のモデルは、いわゆる「自転車バイク」と呼べるものだが、1947年製造のホンダA型のように、既存の自転車にエンジンを合体させたものではなく、はじめからエンジンを搭載した自転車というスタイルだった。

画像: 1901年、最初のインディアンモーターサイクルが生産開始

上の写真は1904年式のもの。288ccで2PSを発揮した単気筒エンジンモデルで、リアタイヤ上の「INDIAN」と書かれた半月形のものが、エンジンオイルとガソリンタンクを兼ねる「キャメルハンプ」(=らくだのこぶ)。

1907年に初のVツインモデル

インディアンは1907年には初のVツインモデルを製造。単気筒エンジンにシリンダーをひとつ追加したシンプルなもので、自転車フレームを脱して初めてバイク専用ループフレームを採用したのが、下写真の1909年モデルだった。

画像1: 1907年に初のVツインモデル

この頃、インディアンの主力モデルはVツインエンジン車だったが、350ccや500ccの単気筒モデルもラインアップ。1910年に2段変速のチェーンドライブ車、1914年に、セルモーター始動のメカニズムを実用化していた。

画像2: 1907年に初のVツインモデル
画像3: 1907年に初のVツインモデル

自転車製造工房から世界最大のオートバイメーカーへ

他の多くのオートバイメーカーと同じように、インディアンも小さな自転車工房からスタートしている。

1897年に操業をスタートしたヘンディー・マニュファクチャリング・カンパニーが、創始者のジョージ・ヘンディーにカール・オスカー・ヘドストロームと合流して、最初のインディーアンモーターサイクルを生産したのが1901年。最初の完成車は48km/hの最高速度をマークしたと伝えられている。

1902年には量産モデルの生産を開始し、143台を製造販売。いち早くチェーンドライブやフロントサスペンション、2段変速ミッションやセルスターター、電気式ヘッドライトなどを実用化した先進技術をものにしたメーカーだ。

そしてインディアンは、すぐに長距離耐久レースやスピードレコード記録、サーキットでのレースにも挑戦して成功をおさめる。インディアンにとって、長距離耐久レースやサーキットレースへの挑戦は、自社製品の優秀性を実証する、大事な機会だったのだろう。

画像4: 1907年に初のVツインモデル
画像5: 1907年に初のVツインモデル

そしてインディアンは、ついに1919年には世界最大のオートバイメーカーと認定されている。1923年にはインディアン・モトサイクル・カンパニーと社名を変更。この頃には、アメリカに約200あったとされるオートバイメーカーの淘汰も始まり、インディアンは単気筒からVツイン、4気筒エンジンモデルまで生産する、数少ない総合オートバイメーカーになっていった。

中でも1920年発売の600~750ccのスカウト、1922年発売の1200ccオーバーのチーフが2大メジャーモデルとなり、第二次世界大戦期の1940年代ごろまで、インディアンは、ハーレー・ダビッドソンと並ぶ、世界最大のオートバイメーカーと呼ばれていた。

レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー

インディアンのレースとのかかわりは、創業すぐの1902年。最初の勝利はボストン−ニューヨーク間の約350km公道耐久レースで、翌1903年には創業者のひとりであるヘドストロームがオートバイによる世界最高速度記録を樹立。

画像1: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー

ボードトラックと呼ばれる板張りコースを走るレース(上写真)やダートトラックにも進出し、1911年にはマン島TTレースでインディアンを駆るライダーが1-2-3位を獲得。2段変速とチェーンドライブの優秀性が立証された。

画像2: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー

1937年には750㏄のスカウトがデイトナ200マイルで優勝。インディアンはこの頃、名実ともに世界ナンバー1だった。

画像3: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー

ダートトラック、レースなどモータースポーツでの栄光

画像4: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー
画像5: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー
画像6: レースシーンでも強さを見せた世界ナンバー1メーカー

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