2022年、カワサキのZブランドは誕生50周年を迎えた。その歴史とゆかりの深い人物はいま何を思うのだろうか。BITO R&Dの美藤 定さんもそのひとりだ。
まとめ:オートバイ編集部/写真:海保 研(フォトスペースRS)/取材協力:BITO R&D 

今でもたくさんのZが現役なのは、カワサキの初期設計が素晴らしかったから

画像: 美藤 定 (びとう じょう) 24歳でアメリカツーリングへ出かけ、そのままUSヨシムラでPOPこと故・吉村秀雄さんの元でメカニック&チューニングの修行をスタート。28歳でホンダ系メカニックに転身し、AMAスーパーバイクからWGPへ。帰国後、BITO R&Dを創業し、2023年には創業40年を迎える。

美藤 定 (びとう じょう)

24歳でアメリカツーリングへ出かけ、そのままUSヨシムラでPOPこと故・吉村秀雄さんの元でメカニック&チューニングの修行をスタート。28歳でホンダ系メカニックに転身し、AMAスーパーバイクからWGPへ。帰国後、BITO R&Dを創業し、2023年には創業40年を迎える。

CBやGSを触るたびZの優秀性が際立ってくる

ホンダCB750フォアが1969年発売、カワサキZ1が1972年、スズキGSは1977年。この3車を、同じ条件で、同じ時代に比較していた男がいる。それがビトーR&Dの美藤定さん。1977年から1979年頃にかけて、場所はアメリカ、AMAスーパーバイクの舞台である。

「1976年かな、日本で乗っていたZ2を向こうに運んで、アメリカ、メキシコ、カナダと、2万kmくらいツーリングしていました。そうしたらドライブチェーンが伸びてスプロケットは減って、交換しよう、と。けれどアメリカですから、Z1用はあってもZ2用がない。『あそこなら持ってるんじゃないか?』って紹介されたのが、当時アメリカを拠点にしていたヨシムラだったんです」

1973年にアメリカ進出していたヨシムラは、当時カワサキZ1でAMAスーパーバイクを戦っていた。美藤さんは、そのワークショップでスプロケットとチェーンを手に入れ、店先で交換作業をしていた時に、POPこと故・吉村秀雄さんに声を掛けられたのだという。

「バイクいじれるんか、ってそれだけ。レースで人手が必要だったんでしょうね、翌日からヨシムラでバイトを始めたんです。そうしたら年明け、2月に工場が火事になっちゃって、オヤジさんはやけどで入院。急きょマシン製作をすることになって、1977年3月のデイトナに間に合わせたんです。マシンもパーツもたくさん燃えちゃって、あの年にデイトナで3位に入ったウェス・クーリーのマシンには、私のZ2のマフラーを使ったんですよ!」

ヨシムラはこの後、1978年シーズンからはスズキGSでAMAスーパーバイクを戦うことになるが、それまで美藤さんは、たっぷりZと付き合うことになる。それ以前はユーザーとして知っていたZの優秀性を、今度はメカニックとして知ることになるのだ。

「バラして組んでダイナモでパワーチェックして、とにかく頑丈だなぁ、っていうのが第一印象です。もともと900ccをベースにしておいて、ゆくゆくは1000cc、1100ccも作る予定だったから、そのパワーに耐えられる設計にしていたんだと思います」

DOHCヘッドの直押し式2バルブエンジン、ローラーベアリングを使用した組み立て式クロモリ鍛造クランク、ブロックの厚みもきちんと取っていて耐久性があり、クランクシャフトの組み立て面にもズレ防止のスプラインを切ってある。高出力を出しても、設計のひとつひとつが理に適っているため、ちょっとやそっとじゃ壊れない。

「その後に出たスズキGSのエンジンは、Z1そっくりの構成でした。けれど、スズキはそれまで2サイクルエンジンメーカーだったから、ノウハウがカワサキに追いついていなかったのかな。耐久性やエンジンスペックは完全にZの方が上でしたね。ホンダはこの頃、第2世代の750Fエンジンを出すんですが、これはそれ以前のSOHC2バルブの改良版で、見た目ほど完成度は高くなかったんです」

ヨシムラではスズキのワークス耐久マシンGS1100Rも担当。79年のル・マン24時間と、ボルドール24時間にも帯同。その存在はすぐに知られるようになり、1980年にはRSC(現在のHRC)に移籍。今度はホンダのメカニックとしてAMAやWGP、世界耐久を転戦することになる。

「Fのエンジンはそれほど完成度が高くはなかった。それでもデイトナで成績を残せたのは、ホンダがワークスチームだったからですよ。GSやFのエンジンを触れば触るほど、あぁZ1のエンジンって良くできてたなぁ、って」

1983年、美藤さんはRSCを退社して帰国。31歳で自らのショップ「ビトーR&D」を兵庫県豊岡市でスタートさせる。AMAで、GPで、そして世界耐久で培った整備力、チューニング能力を日本で発揮することになるのだ。

画像: 美藤さんが衝撃を受けたZ1のクランクシャフト カワサキの理にかなかったクランクの作り込みに衝撃を受け、2011年からはZ1用のクランクシャフトリビルドチューニングも手掛ける。

美藤さんが衝撃を受けたZ1のクランクシャフト

カワサキの理にかなかったクランクの作り込みに衝撃を受け、2011年からはZ1用のクランクシャフトリビルドチューニングも手掛ける。

300年前の物だって芸術品は素晴らしい

「私が会社を始めた頃は、ちょうど国内がレーサーレプリカブームなんて言っていた時期で、誰もZになんか見向きもしませんでした。それでも私はZをやりたかった。いつかきっと、Zの良さが見直されるはずだ、ってこの頃たくさん中古エンジンを仕入れてたんです。これが後々に役立つんですね」

そして1980年代終盤には、絶版車改なんて言葉がもてはやされて、Z2ブームが巻き起こる。時代が、やっと美藤さんに追いついたのだ。

カスタム=改造、エンジンチューニングなんかしたら壊れやすくなる、なんて言われていた時代に、ヨシムラ、そしてアメリカホンダ仕込みのチューニングが日本で広がり始める。

「Zはどこまでチューニングしたらどうなるのか、わかっていましたからね。マフラーを作って、ヨシムラのカム、コスワースのピストンと手を入れて。そうそうZ2はZ1のクランクを使ってやればグンとよくなるんですよ。車体まわりもね、当時のチューニングはAPの2ポットキャリパーにリジッドディスクなんて時代遅れなことやってた。それを世界基準に進めた感じだと思います」

時はまだまだレーサーレプリカブーム。水冷エンジン、アルミフレームにフルカウル全盛の時代に、古くから美藤さんを知るレース関係者は、美藤さんが空冷+鉄フレームのZをやっていると聞くと、「鉄フレームの空冷? なんで、そんなのやってるんだ?」と訝しがったのだという。
「違うんだよ、Zのエンジンってすごいんだよ、君たちがまだ気づいてないだけなんだよ、って気持ちでしたね」

時代が高性能を求め、車体もエンジンも軽量コンパクト高出力を狙っていた時代。高回転を使うエンジンは、それだけ消耗も激しく、軽量化を狙ったプラスティックパーツの耐久性は高くない。当時、家電製品や自動車にも見られた、使い捨ての文化がバイク界にもあったのだ。

「軽い、よく回る、でも壊れる。壊れたら買い直せばいいじゃない、って時代でしたよね。でも私は、その頃100台分くらいZのエンジンパーツをストックして、壊れたら直せばいい、それができるのもZのよさだと思っていたんです」

美藤さんは、スープアップにも耐えられる頑丈なZ1エンジンを作り出したのは、カワサキの当時の社風だったのではないか、と言う。

「日本は戦争に負けてね、軍需産業がストップをかけられた時代があった。カワサキだってそうです。船や戦闘機の製造を禁じられて、そんなエンジニアがバイクを作っていたこともあったはず。戦争に負けて、民生用品しか作っちゃいけない悔しさが、バイクに生きたんじゃないかと。どんな世の中でも、軍需産業製造というのは、その時代の最先端技術ですから」

そしてもうひとつ。日本の古美術や芸術にも造詣の深い美藤さんが例として挙げたのは、江戸時代の錦絵であり、葛飾北斎、尾形光琳、ピカソにベートーベン、そしてドヴォルザーク。

「ピカソは150年前、錦絵や北斎、ベートーベンなんて250年も前だし、尾形は300年も前。時間としては古いけど、それは作品の優劣には関係ありませんよね。300年前でも、素晴らしい芸術は永遠に素晴らしいまま。私はZ1もそうなんだと思うんです」

20年ほど前にスタートした、Z用コンプリートエンジンも、マグネシウム鍛造ホイールも、発表した当時には「どこに需要があるの?」と言われたけれど、今やZ用コンプリートエンジンは納品待ちのリストがズラリと並び、マグ鍛ホイールの自社工場はフル回転を続けている。

「Zを、ずっと最新仕様で組みたいんです。だから、いま会社にあるZ1は、バージョンアップを続けてきて、現在の姿が2022年モデル。私は今でも、Z1が史上最も素晴らしいバイクだと思っています」

これがBITO R&Dによる、Z1誕生50年目のマイナーチェンジモデル

画像: これがBITO R&Dによる、Z1誕生50年目のマイナーチェンジモデル

カスタムでもレストアでもない、BITOのZ1は新車と同等のクオリティを持つエンジン、車体まわりを有する「2022年型のZ1」というイメージで組み上げているのだという。

画像: エンジン内部パーツの販売はもちろん、Z1000J/R用のコンプリートエンジンも販売している。「1台持っていて、エンジン整備する時にもう1基持っていたらいいよね、って始めたんです」。リビルド&オリジナルパーツで組み上げ、Z1/Z2、MK2や1000J/Rから始まり、カワサキZ系エンジンならばリビルド110万円からチューンド仕様140万円から販売している。

エンジン内部パーツの販売はもちろん、Z1000J/R用のコンプリートエンジンも販売している。「1台持っていて、エンジン整備する時にもう1基持っていたらいいよね、って始めたんです」。リビルド&オリジナルパーツで組み上げ、Z1/Z2、MK2や1000J/Rから始まり、カワサキZ系エンジンならばリビルド110万円からチューンド仕様140万円から販売している。

画像: BITO R&Dで最初に軌道に乗ったパーツと言えばマフラー。リアサスは一般的なリプレイス候補だが、スイングアームまで交換すると走りが見違える。

BITO R&Dで最初に軌道に乗ったパーツと言えばマフラー。リアサスは一般的なリプレイス候補だが、スイングアームまで交換すると走りが見違える。

画像: サスペンション、ホイール、ブレーキローターにキャリパーと、足回りをリフレッシュするパーツも揃っている。

サスペンション、ホイール、ブレーキローターにキャリパーと、足回りをリフレッシュするパーツも揃っている。

画像: 摺動往復部品の消耗が激しいのが旧車の世界。写真のZ1はステム&トップブリッジまでリフレッシュされた例。

摺動往復部品の消耗が激しいのが旧車の世界。写真のZ1はステム&トップブリッジまでリフレッシュされた例。

BITO R&Dの製品やサービス

画像: サスペンション、ホイールやスイングアームの車体パーツをはじめ、ピストンキットやシリンダー、バルブやクラッチなどのエンジン内部パーツもほぼフルラインアップ。

サスペンション、ホイールやスイングアームの車体パーツをはじめ、ピストンキットやシリンダー、バルブやクラッチなどのエンジン内部パーツもほぼフルラインアップ。

画像: パーツだけではなく、ついにはリビルド&チューニングが施されたコンプリートエンジンまで販売する。

パーツだけではなく、ついにはリビルド&チューニングが施されたコンプリートエンジンまで販売する。

画像: ロングライフで頑丈なエンジンのZシリーズは、1970年代のままの車体まわりの脆弱さがウィークポイント。安全に長く乗り続けるために、前後サスペンションやステアリング回りのモディファイは欠かせない。

ロングライフで頑丈なエンジンのZシリーズは、1970年代のままの車体まわりの脆弱さがウィークポイント。安全に長く乗り続けるために、前後サスペンションやステアリング回りのモディファイは欠かせない。

まとめ:オートバイ編集部/写真:海保 研(フォトスペースRS)/取材協力:BITO R&D 

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