ICE(内燃機関)搭載の2輪車同様、19世紀末には発明されていた2輪EVですが、ICEの性能が飛躍的に向上するまでの間は、2輪EVもICE搭載車のライバルとして評価されていたようです。しかしそれは、あくまでも短い期間だったようです・・・。
文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)
※この記事は「ロレンス」で2021年8月7日に公開されたものを転載しています。

ICE車とEVがガチ勝負していた1900年代・・・

1900年前後の時代は、欧米で多くのメーカーがICE搭載の2輪車を製造販売し始めたパイオニア期でした。そして2輪EVについてもビジネスとして製造販売を始めるメーカーが、ICE陣営ほどではないものの存在していました。

1901〜1903年には米ニューヨークの、アルフレッドとウォルターのシンプソン兄弟が経営するアジャックス・モーター・ビークル社が電動スクーターを販売。そしてカナダのトロントのCCM(カナディアン・サイクル・アンド・モーター・カンパニー)は、"アイバンホー"という2輪EVを、1900年代に販売していました。

速さは今も昔も乗り物の性能の指標のひとつですが、19世紀中に樹立されたFIA公認地上速度記録はいずれもEVによる業績でした。当時はまだ発展途上だったICE車は、同時代のEVを突き放すほどの速さを獲得していなかったのです。そのためEVビジネス発展の可能性は、ICE車のそれと同様にある・・・と考える人も少なくなかったのです。

画像: 1902〜1903年の間、米国オハイオ州のウォルター・ベーカーが作った速度記録用EV、"トルペード"。この手の速度記録車としては初めてストリームライナーボディを採用し、シートベルトを初採用した自動車としても歴史に名を残しています。なおベーカー・モーター・ビークル社の乗用EVは、発明王トーマス・エジソンが最初に購入した自動車でもあり、1906年には年800台を販売することで、当時世界最大のEVメーカーであると高らかに宣伝していました。 de.wikipedia.org

1902〜1903年の間、米国オハイオ州のウォルター・ベーカーが作った速度記録用EV、"トルペード"。この手の速度記録車としては初めてストリームライナーボディを採用し、シートベルトを初採用した自動車としても歴史に名を残しています。なおベーカー・モーター・ビークル社の乗用EVは、発明王トーマス・エジソンが最初に購入した自動車でもあり、1906年には年800台を販売することで、当時世界最大のEVメーカーであると高らかに宣伝していました。

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今も昔も、ICEが発する音はうるさい!! と思う人はいたみたいです?

1902年創刊の、米国の歴史ある技術雑誌「ポピュラーメカニックス」誌の1911年10月号には、エレクトリック・モーターサイクルという題で1台の2輪EVのことが紹介されています。このモデルの製造者は米国シカゴのエレクトラ・サイクル社で、スペックに関して詳しく紹介されているので、当時の2輪EVの実力をうかがい知ることができます。

画像: ポピュラーサイエンス誌1911年10月号に紹介された、"エレクトラ"。フレーム下部に6セルの12Vバッテリー、サドル下に電動モーターを搭載。後輪駆動はチェーンを採用。ホイールベースは51インチ≒1295.4mm、重量は約200ポンド≒90.7kgという諸元でした。 books.google.co.jp

ポピュラーサイエンス誌1911年10月号に紹介された、"エレクトラ"。フレーム下部に6セルの12Vバッテリー、サドル下に電動モーターを搭載。後輪駆動はチェーンを採用。ホイールベースは51インチ≒1295.4mm、重量は約200ポンド≒90.7kgという諸元でした。

books.google.co.jp

記事は、ガソリンICE車の始動操作が面倒で、ガトリング銃のような排気音の煩さに辟易としているモーターサイクリストたちは、この新型電動モーターサイクルを歓迎するだろう・・・という書き出しではじまります。

続けて"エレクトラ"は1回の充電で75〜100マイル≒120〜160kmの航続が可能で、電気スイッチをオンにするだけでスタートが可能。そしてICE車のようなノイズが皆無、とその長所を紹介。その静粛性をアピールするのは、現代の2輪EVと一緒なのが興味深いです。多くのICE車愛好家はエキゾーストサウンドが聴けるのがその長所のひとつ、と言うでしょうが、今も昔も排気音を嫌なものとしてとらえる層はいるわけですね(苦笑)。

またエレクトラの航続距離は、現代の標準的2輪EVと比べてもさほど見劣りするものではなく、エジソン製バッテリーをもう1つ搭載すれば、航続距離を倍にすることも可能でした。なおスピード調整は3速コントローラーで切り替え可能で、時速4マイル≒6.4km/h、15マイル≒24km/h、そして35マイル≒56km/hを選択できました。

こちらのエレクトラの図には、エレクトラのロゴ入りのカバーらしきものがバッテリーを覆っています。

aacalibrary.tumblr.com

セルスターター普及もあり、4輪業界の覇権争奪戦に決着はつきました・・・

なお1911年といえば、世界最高峰のリアル・ロードレーシング(公道を使ったロードレース)として知られるマン島TTで、初めて"マウンテンコース"が使われた年でした。

高低差の大きい過酷なマウンテンコースをマン島TTで使ったことにより、参加する2輪ICE車はその耐久性と動力性能の確かさが、さらに問われることになりました。つまり"進化の圧力"が増したことによって、2輪ICE車の性能はグンと引き上げられていくことになったのです。

一方4輪車の分野については第一次世界大戦を経て、スペイン風邪のパンデミック(1918〜1920年)の最中の1919年に、自動車大国アメリカの4輪EVメーカーはデトロイト・エレクトリック、ミルバーン、そしてローチ&ラングの3社のみが生き残りました。1912年には米国の4輪ICE車にセルスターターが普及し始め、エンジン始動の面倒さという弱点を克服した4輪ICE車は4輪EVを市場で圧倒するようになったのです。

画像: 1933年、雑誌「タイム」の表紙となったチャールズ・ケタリング。セルスターター自体は19世紀末に発明済みでしたが、彼が1911年に生み出した高トルク型セルモーターを組み込んだ1912年型キャディラックから、一気にこのシステムは普及していくことになりました。 en.wikipedia.org

1933年、雑誌「タイム」の表紙となったチャールズ・ケタリング。セルスターター自体は19世紀末に発明済みでしたが、彼が1911年に生み出した高トルク型セルモーターを組み込んだ1912年型キャディラックから、一気にこのシステムは普及していくことになりました。

en.wikipedia.org

もちろん始動方式だけが、4輪ICE車が4輪EVを淘汰したした理由ではありません。1908年発売のT型フォードなど安価なICE車の大量生産・販売の成功こそが、ICE車の覇権奪取最大の理由でしょう。ただ当時の4輪ICE車の多くに採用されるハンドクランク式のスターターは、失敗すると怪我をしたり、最悪死亡!! もあり得る始動の儀式でした。そんなハンドクランクの面倒臭さと危険さを回避するセルスターターが、4輪ICE車の利便性と安全性を大きく向上させたのは確かです。

画像: Model T Hand Crank Start www.youtube.com

Model T Hand Crank Start

www.youtube.com

いわば電気の力の活用であるセルスターターが、当時の4輪EV発展にトドメを刺したのはなんとも皮肉なハナシですけど・・・。一方2輪EVですが、動力性能で2輪ICE車に差をつけられつつも、小規模ながら独自の進歩の道を歩み、その系譜を続けていくことになります(続く)。

文:宮﨑健太郎(ロレンス編集部)

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