文:太田安治/写真:松川 忍、南 孝幸/車両協力:ビーフリー柏インター店
※この物語はフィクションです。
※この記事は2014年10月15日発行の『東本昌平RIDE89』の特集から一部抜粋し、再構成して掲載しています。
画像2: 【ショートストーリー】忘れ物を取り戻しに(太田安治)

ペースを上げて峠を駆け下りる。意のままに加速し、減速し、曲がる。すでにNSRは乗り物ではなく、体の一部になっている。

下り切った所にあるトンネルの手前でさっきのレプリカグループがUターンし、再び峠を上っていく。コスプレライダー達の腕前はどんなものか。一緒に走ってみよう。

青白の88NSRが単独で先頭。後方排気のTZRとプロアームのVFR400Rが第2集団。そこから大きく遅れてCBR400RR、FZR400RR、Vツインの91年型TZR250R、RGV250Γが等間隔で走っている。

この4台は峠に慣れていないのだろう。どのライダーも体重移動の動きが硬く、アクセルワークにリズム感がない。

それにしても見事にレーサーレプリカだらけだなと感心していると、ヘルメットの後ろでシッポが揺れているCBRのライダーがバックミラーに目をやり、左手で「先に行け」と合図する。直線区間で一気に4台の前に出る。そのままの勢いでタイトターンの連続区間を抜けると、第2集団の2台に追い付いた。

3速で入る左コーナー。途中からRがきつくなり、後方排気TZRがアクセルを戻す。アウト側に膨らんで失速すると、直後のVFRも連られてアウトに出る。2台にラインを変える余裕がないことを見定めてイン側に向かいながら2速にシフトダウンし、コーナー出口が見えたところでフル加速。前を行くのはあの男の88NSRだけだ。

右コーナーのブレーキングでアウト側に並んでこちらの存在を知らせると、思ったとおり男のペースが上がった。

フロントフォークがフルボトムするブレーキング。徐々にブレーキ入力を抜きながらの寝かし込み。膝のバンクセンサーを路面に擦り付けてのフルバンクコーナリング姿勢も安定している。立ち上がりではリアタイヤがスライドし、排気音が揺れる。連続コーナーでの切り返しとシフトダウンに荒さがあるが、レースをやりたいと言うだけあってスキのない走りを見せる。

頂上の駐車場を過ぎ、下りへ。そろそろ決着を付けてやろう。ブレーキングで詰めてタイトターンの出口で並びかけるものの、立ち上がりでは離される。88年型NSRはノーマル状態で60馬力近く出ているという話だったし、あのNSRにはドッグファイトのチャンバーも付いている。スタンダードの91年型SEではパワー的に不利だ。

急な下りの直線に続く、右、左の連続タイトコーナー。2台のNSRはブレーキングも3速、2速へと続けて落とすシフトタイミングも実体と影のようにシンクロしている。走りを見ていてわかった。男は速く走ることしか考えていない。インを塞ぐようなブロックラインは一切使わず、自分の描いた理想のリズムとラインでコーナーを切り取る。

あの頃の自分と似ている。いや、自分そのものだ。パワーバンドを外さず走っていると、燃焼室のカーボンが吹き飛ぶように、自分の人生に降り積もった埃が吹き飛んでいく。

88NSRのアウト側に並んだまま右コーナーをクリア。次の左コーナーまでに真横に並べば、イン側になるSEのチャンスだ。もちろん男もそれをわかっている。なんとか半車身前に出ようとブレーキを遅らせる。リアタイヤが浮き気味になるほどのハードブレーキ。コーナーアプローチ部分の荒れた路面で激しく上下に揺すられる2台。突っ込みを深くした分だけフロントが暴れた88NSRは、ターンインのタイミングが僅かに遅れた。しかしサスが素早く収束したSEは、いつものタイミングで一気にインに切り込む。

立ち上がりでバックミラーを見ると、88NSRとの差は1台分以上に広がっている。あの寝かし込みではインに付けなかったはずだから、アクセルを開けるタイミングも遅れたのだろう。リズムを崩して戦意を喪失したのか、男のNSRはみるみる離れて行く。

* * *

トンネルが見えてきた。あのトンネルを抜ければオヤジの店だ。もういい。充分だ。忘れ物も見つかった。レプリカグループが揃ったら、缶コーヒーでも奢ってやろう。

トンネルを抜け、店の前でSEのエンジンを切る。グローブを外し、ヘルメットを脱ぎ、革ツナギのファスナーを下ろす。だが88NSRは来ない。黒い口を開けたトンネルも静かなままだ。レプリカグループはトンネル手前でUターンすることになっていたのだろうか。

「楽しめたようだね」

オヤジがタバコを咥えたまま店から出てきて、両サイドがドロドロに溶けたタイヤを撫でながら言う。

「ええ、久々に若い連中と遊べましたよ」
「また来るかね」
「……自分のペースで走りたくなったら、まだ忘れ物が残っていたら、また来ます」
オヤジは何も答えず、SEを店に入れ、レーシングスタンドをカシャンと掛けた。

* * *

それから一年。またオヤジの店に向かった。薄暗いトンネルに入る。が、どういうことだ。トンネルは100mほどのはずだが、ずっと先まで続いている。二本めのトンネルと繋げて一本にしたのだろうか。だったらオヤジの店はどうなったんだ。

トンネルを抜け、そのまま峠を上る。路面はずいぶん綺麗になっているが、少し急なコーナーにはことごとく赤い減速帯があり、直線部分のセンターライン上にはポールが立っている。頂上の駐車場にはトイレが出来ていて、自動販売機も設置されていた。

オートバイは10台以上停まっているが、大型ツアラーとネイキッド、アメリカンばかりで、レプリカの姿はない。すぐに引き返し、あのトンネルをゆっくりと走る。右にも左にも出口はなく、カーナビの地図でもトンネルは一本だけ。トンネル出口で車を降りて周囲を見渡すが、ただ雑木林が広がっている。反対側に戻っても同じだった。オヤジの店は存在の形跡すらない。夢を見ているのか。それとも夢を見ていたのか。

* * *

営業先でのプレゼンから戻る途中、並んで歩いていた部下が大通りを走るオートバイを見ながら言う。

「部長、また乗ってきたんですか? えーと、レーサーレプリカマシン、でしたっけ」
「いや、乗れなかった」
「えっ? 去年、若い頃に乗ってたレプリカマシンに久々に乗って楽しかったって仰ってたじゃないですか?」
「まあ、そうなんだが。あれはレプリカマシンというより……」

その先は言わないことにした。

あのとき、88NSRの男がトンネルを越えてきたら何と言っただろう。SEの調整式サスペンションに負けたと悔しがっただろうか。違う。男は素直に腕の差を認める。その悔しさが、男をもっと速くする。

初めてのレースで入賞し、順調にポイントを稼いで国際A級に昇格する。大学を卒業し、広告代理店に就職してCMプランナーになり、家庭を持ち、平凡な毎日を送る。そして二十数年後にもう一度NSRに乗るのだ。

オヤジの店は忽然と消えたが、きっとまた忽然と現れる。それまでに昔の自分に言いたいことを考えておこう。簡単なことだ。自分の人生を振り返ればいい。そして最後に言ってやろう。「忘れ物に気を付けろよ」と。

文:太田安治、/写真:松川 忍/車両協力:ビーフリー柏インター店
※この物語はフィクションです。
※この記事は2014年10月15日発行の『東本昌平RIDE89』から一部抜粋し、再構成して掲載しています。

著者プロフィール
太田安治(おおた やすはる)

1957年生まれ。初めての愛車であるモンキーZ50Mから愛車として30〜40台のバイクを乗り継ぎ、Z2やCB750FOURもかつての愛車のひとつ。86年に国際A級ライセンスを取得。91年〜94年まで全日本ロードレース選手権に監督として参加。GP250クラスではプライベート最上位を獲得し、所属ライダーを世界GPへと送り出した。現在は月刊『オートバイ』で試乗インプレから用品テストをはじめ、さまざまな企画を手がけている。これまでに試乗したモデルは5000車種以上、その数は今も更新中。

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