文:太田安治/写真:松川 忍、南 孝幸/車両協力:ビーフリー柏インター店
※この物語はフィクションです。
※この記事は2014年10月15日発行の『東本昌平RIDE89』の特集から一部抜粋し、再構成して掲載しています。

 

画像: Honda NSR250R SE 発売年月:1991年5月 総排気量:249cc エンジン形式:水冷2ストV型2気筒 シート高:770mm 車両重量:153kg 当時価格:64万9000円

Honda NSR250R SE
発売年月:1991年5月

総排気量:249cc
エンジン形式:水冷2ストV型2気筒
シート高:770mm
車両重量:153kg

当時価格:64万9000円

【ショートストーリー】忘れ物を取り戻しに(太田安治)

ある日偶然見かけた古ぼけたオートバイショップ。
バイクを降りて十数年。
理由は分からないが、なぜかその店に入ってみようと……
いや、入らなくてはならない気がした。

夏の行楽時期だというのに休日出張が入った。CM撮影の打ち合わせは昼食をとりながらという話だったが、クライアントの社長が自慢話を延々と続け、解放されたのは夕方近く。帰り道は絶望的な大渋滞だ。

だらだらと進む車列の横を、時折オートバイが風のようにかすめ去る。その数秒間だけ聞こえる吸排気音とメカノイズ。1台が抜いていくごとに、その音が少しずつ頭の奥へ浸み込んでいき、同時に引き出しの奥から出てきた古い写真を見たときのように記憶が蘇る。

* * *

もう二十数年経ったのか……。高校時代から続けたガソリンスタンドでのアルバイト代をつぎ込んで手に入れた88年型NSR250R。憑り付かれたように峠道を走った。タイヤはセンターより先にサイドが減り、革ツナギのバンクセンサーは一ヶ月と持たない。ブレーキパッドもみるみる減っていく。ガソリン代とオイル代のために食費を削り、バイトも深夜手当の付く時間帯に変えてもらった。

友人たちは海だ、スキーだ、合コンだと学生生活を謳歌していたが、自分は黙々とアルバイトを続け、大学3年になってからは先輩と一緒にSPレース、F3レースに出場した。峠やサーキットで知り合った仲間も似たようなもので、ただ目の前に迫ってくるコーナー、目の前を走るバイクと戦っていた。

何がそこまで自分を駆り立てたのか。今でも判らない。だが、濃厚な時間だったことだけは確かだ。

* * *

『ここを左方向です』唐突にカーナビの音声案内が入った。

大通り優先のルートを案内するナビが脇道に入れと指示するのだから、渋滞を回避する抜け道があるのだろう。流れに身を任せているのは飽き飽きだ。遠回りでも自分のペースで進めるほうがいい。

何の標識もない交差点を左折した先には、行く手を遮るように大きな山がある。雑木林の間に伸びた道は徐々に細くなり、行き交う車は1台もない。だがカーナビのモニターには「道なり」の表示が出たままだ。あの山を越える峠を抜けろということだろう。

長さ100mほどの暗いトンネルを抜けると、すぐまた次のトンネルが黒い口を開けている。だが、ふたつめのトンネルの前には工事中の看板と通行止めの柵。峠で土砂崩れでもあったのだろう。カーナビの能力もたいしたことはないな、と舌打ちしながらUターンすると、ひとつめのトンネル出口に寄り添うように建つ平屋が目に入った。古くて薄汚れてはいるが、日本の4メーカーの看板が出ている。オートバイショップに間違いない。

* * *

こんなところでバイク屋、か。渋滞で固まった体を伸ばしがてらクルマを降り、店を覗いてみる。出入り口の引き戸は閉じられ、中の灯りも消えている。

引き戸の上半分のガラス窓には用品メーカーやレーシングブランドのステッカーがベタベタと無節操に貼られ、一番上に「レンタル専門」というひときわ大きな切り文字が貼ってある。ステッカーの隙間から中を覗くと、TZR、RG-Γ、NSRなどの2スト250ccマシンと、VFR、FZR、GSX-Rといった4スト400ccマシンが全部で20台近く並んでいた。

80年代、90年代のレーサーレプリカマシンを専門に扱う中古車ショップ。最近はこうしたショップが珍しくないが、これほど人里離れた辺鄙な場所で商売になるのだろうか。しかもレンタル専門とは……。

奥の事務机には吸殻が山になった大きな灰皿と空のビール瓶、何冊かのオートバイ雑誌が置かれ、椅子の上には油じみた布ツナギと色褪せた帽子が放り投げてある。あの時代を懐かしむ店主、いや、自分と似たような年配のオヤジが道楽でやっているのだろう。レプリカマシンやレースの話題で盛り上がれるかもしれない。だが、今日は休みのようだ。

* * *

「部長、バイクに興味あったんですか?」

いつもは経済誌を読んでいる自分がバイク雑誌を手にしているのが不思議だったのだろう。営業企画部フロアの隅にある喫煙所に入ってきた部下が話しかけてきた。

あの休日出張以来、妙にオートバイのことが気になる。立ち寄った書店でもオートバイ雑誌に目が留まり、久しぶりに一冊買ってみた。レーサーレプリカという呼び方はスーパースポーツ、に変わったようだ。2スト車はほぼ絶滅し、大排気量モデルが増えている。二十数年前には高嶺の花だった外国車も、今は当たり前の存在になっているらしい。

「リターンライダーっていうんですよね。若い頃乗ってた人が、中年になってまたバイクに乗るのって。もしかして部長も前に乗ってらしたんですか?」
「リターン、か。どうせなら昔に戻って続きができればいいんだけどな」

老眼鏡を外しながら答えると、まだ入社3年目の部下は、これだから中年は、とでも言いたげな顔でタバコをもみ消し、喫煙所を出て行った。

次の休みにあの店に行ってみようか。いや、行かなければ。何か大事なものを忘れてきたように、気持ちが急いた。

* * *

店の中にはガソリンとオイルの匂いが漂っている。油圧リフトの上に乗っているのはサイドカウルを外した後方排気のTZR250R。オヤジはプリセット型トルクレンチのグリップをカリカリと回してシリンダーヘッドにセットし、慎重に力を加える。レンチの頭がカクンと首を振ると、息を吐きながらこちらを向いた。

「お客さん、初めてだね。うちはレンタル専門で、レンタル期間は1日だけ。延長も買い取りも不可だ」

やっぱりオヤジの道楽なのだ。コレクションしているバイクの調子を維持するために、眠らせておかずに適度に走らせようという魂胆だろう。

「どれも整備はキッチリやってある。そのままレースに出られるぐらいに」

車種は決めていた。前に来た時、目に飛び込んできたNSR250R。昔乗っていた88年型がないのは残念だが、91年型のSEなら不満はない。

ゆっくりと革ツナギに着替えて体をほぐしていると、パインッ! パラララ……と聞き覚えのある2ストサウンドが響いた。店の前で暖気しているSEは、オヤジがアクセルを捻るたびにサイレンサーのテールパイプから青白い排気煙を勢いよく吐き出す。ツナギ姿の自分を品定めするように見てから、排気音に負けない大きな声で言った。

「サスセッティングは好きに変えていい。調整用のレンチとドライバーはシートカウルの中に入れてある。乾式クラッチだから半クラッチを長く使うと焼けて……まあ、こんなことを細かく言わなくてもお客さんは判っていそうだ」

* * *
画像1: 【ショートストーリー】忘れ物を取り戻しに(太田安治)

前回は通行止めだったふたつめのトンネルを抜け、峠を上って行く。ブランクが長かっただけにまともに乗れないのではという危惧もあったが、コーナーをひとつ抜けるごとにライディング感覚が蘇ってくる。

ブレーキングでフロントフォークを縮めてバンクさせるきっかけを作り、旋回の遠心力で前後タイヤを路面に押し付けると、面白いように向きが変わる。これだ。常に前後タイヤのトラクションを意識していないと、NSRはうまく曲がってくれない。

楽しい。次のコーナーが待ち遠しい。もっとアクセルを開けたい。もっとバンクさせたい。気が付くとバンクセンサーがカリカリと音を立てて接地している。「リターンライダーをなめるなよ」と頬が緩む。

峠の頂上には展望台があり、7台のオートバイが駐車場に並んで停まっていた。どれも中型のレーサーレプリカで、ライダーはみな若い。ヘルメットの後ろにシッポを付けている者、ツナギの膝にガムテープを何重にも貼っている者。レプリカ時代、峠ブームの頃のファッションそのまま。レプリカ好きの連中が集まり、当時のコスプレで楽しんでいるのだろう。

* * *

「こんにちは! ちょっといいですか?」

シート下カウルから工具を出し、フロントフォークのイニシャルナットを3回転締めて伸び側ダンピングを2クリック強めた。リアはどうするかな、と考えているとき、背後から声を掛けられた。

振り向くとチーム名の入ったTシャツを革ツナギに重ね着した男が、妙に爽やかな笑顔で立っている。ヘルメットメーカーのロゴが入ったキャップと濃い目のサングラス。これもレプリカ時代の流行だ。

「キューイチのSEですよね。やっぱ最新型はいいなあ。調整式のサス、どうですか?」
「最新型? いや、もう古いマシンだよ。このバイクは借り物で、標準セッティングで走ってきたから正直なところ何も判らない。今、少しセッティングを変えているところだ」
「古いだなんて。そしたら僕のハチハチなんてクラシックバイクになっちゃいますよ!」

男は快活に笑う。

「僕のは小さいコーナーで向きが変わりにくいんです。フロントが突っ張る感じで。サスが良くないのかなって思うんですよね」

男の視線の先には、かって自分が乗っていたのと同じ青白ツートーンカラーの88年型NSRがある。

『DOGFIGHT』のエンブレムを付けたチャンバーは自分も付けていた人気パーツだ。ステップ裏のバンクセンサーは斜めに擦り減り、タイヤのサイドエッジは激しくささくれている。

「ずいぶん攻め込んでるね。タイヤもコーナー立ち上がりでしっかりパワーを掛けている減り方だ。この峠じゃ相当なもんなんじゃない?」
「この峠は徹底的に走り込んでますから誰にも負けません。でも、ここで誰かに抜かれたら峠は卒業して、レースに出るって決めてるんです。もっと速い人とバトルしたい。だけど、その領域になると峠はヤバイですからね。だったらサーキットで思い切り……」

真剣な表情で話し続けているとき、レプリカグループの一人が男を呼んだ。男はもっと話したそうだったが、「突然話しかけてすみませんでした。なんだか初対面じゃないような気がして。じゃ、また」と頭を下げて仲間のほうへ戻った。

* * *

自分もそうだった。社会人になる、家族を持つ、歳を取る、ましてやオートバイに乗らなくなるなんて考えもしなかった。

レプリカグループがフル加速しながら続々と駐車場を出て行く。2ストと4ストが入り混じったF3レースのスタート直後のような音が山の静寂を打ち破り、一帯の空気を熱くする。

自分はどうして乗り続けなかったのだろう。乗り続けることには何の資格も要らないのに。そして今また乗っているのは何故だ。

「走れば見える、か」と呟き、ヘルメットを被りながらNSRに跨る。キックペダルを出したが、思い直して元の位置に戻す。クラッチを切ってギアを1速に入れ、右足1本でトンットンッと地面を蹴り出してから一気にクラッチミート。バランッ! とエンジンが始動する。

跨ったままの押し掛けは、小中排気量2ストマシンだけのテクニックだ。クラッチ操作に慣れれば1歩押すだけで始動できる。体で覚えたテクニックは不思議と忘れない。そうだ、大丈夫だ。体が覚えている。行こう。あの頃のように頭の中がチリチリと熱くなるまで攻めてやろう。

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