その島には金華山黄金山神社が建立されており、海上タクシーや地元の漁船をチャーターしなくては
訪れることが出来ない神社です。
※この記事は月刊オートバイ2018年3月号で掲載したものを加筆修正しております。
昔の人と現代に生きる僕達との「ふつう」には、違いがある
1月の別名、それは睦月です。これは、正月に家族が睦まじく過ごすことに、由来するそうです。ちなみに2月は、寒さが深くなり「衣(きぬ)を更に着る季節」だとして「きさらぎ」と、呼ばれるようになったそう。
こういう事柄には、諸説あるものです。長い歴史の中で、自然と成り立ったのでしょう。
はたまた、歴史が浅いのに、勝手に歴史あるものと思い込んでいるものも多く存在します。生まれた時から存在するものは、歴史が長いのだと思ってしまいますからね〜。
例えば初詣。今のスタイルになったのは、明治以降だと言われています。それまでの正月といえば、家からあまり出ないのが主流だったようです。もちろんコンビニなどない時代ですから、町は静まり返っていたことでしょう。だから、保存がきく御節料理を作るんですね。
これがなぜ明治時代に変わったかというと、日本に鉄道が誕生したからです。
お正月にも鉄道に乗ってもらうため、鉄道会社は色々なアイディアで競争をしたそうです。この結果が、現在の初詣のスタイルに繋がったのです。
皆さんがお住いの地域にも、有名な神社仏閣への鉄道路線がありませんか? それは初詣客を引き込もうとして敷かれた……のかも知れません。
昔の人と現代に生きる僕達との「ふつう」には、違いがあるようですね。
そんなことを考えている時、ある言葉を耳にしました。それは「3年連続で参拝すると、一生お金には困らない」と、いう言葉。気になったのは、勿論「お金には困らない」って部分です(笑)。ですが、なぜ3年連続でなければいけないのか。
もしかして、ここにも昔の人と現代人との差があるのでは、と思ったのです。
向かった先は宮城県! 島全体が神域の金華山
そこで、とある神社に拝走したくなりました。今回訪れたのは、宮城県石巻市。取材したのは平成29年の11月のこと。
その頃すでに現地は肌寒く、関東レベルの防寒しかしていなかった僕の凍えようは、ご想像の通り。
石巻市街をぬけ、牡鹿半島へ。そして30キロほどの海沿いの道を、半島の先端へ向かい疾走ります。
同じような景色をひたすら走るのは、ともすれば退屈です。だけど見方を変えると、そのぶんバイクを楽しむことが出来るのではないでしょうか。
速度を変えず、ギアだけを変えたり。カーブのたびに、違う姿勢を試してみたりと。僕自身も乗り始めて数ヶ月のSRと、会話を楽しむのでありました。到着したのは鮎川港。今回の目的地はここ……ではなく、この港から船で渡った先に鎮座している神社!
目指すは牡鹿半島の東に位置する金華山(きんかさん)。金華山とは、島の名前です。金華山全体が神社の神域で、人口は10人にも満たず、そのほとんどが神職なのだとか。
こちらの神社こそ今回の本当の目的地、黄金山神社(こがねやまじんじゃ)です。
黄金山神社へは、船でしか行けません。ということで、地元の漁師さんの船に乗せてもらう事に!
SRを港の事務所に預かってもらい、下駄に履き替えてイザ乗船。
出航後、スロットルを全開に進む船。刻一刻と変わる自然環境に対応する船長。波を見ながら、小刻みに舵をきっていたのが印象的でした。
全速で走ったせいか、15分程で金華山へ到着しました。エンジンなんてない昔の人にとっては大変なことだったろうなぁ、ってなことを考えながら上陸。
島全体が神域ということで、上陸の瞬間から身を引き締めます。坂と階段を上った先に、本殿がありました。
他のだれも居ない境内で参拝。こちらの御祭神はカナヤマヒコ。鉱山や金を司る神様と言われています。史実でも、この地域から日本初の金が朝廷に献上されたとあります。
なるほど。そんなこんなで、特に財運を求める人たちからの信仰を集めるようになったんですね。
ポイントは、カナヤマヒコは決して財運の神様ではないという所。鉱物の大切さを教えているのです。
「行きにくいところにある神社」とは、言い換えると「行ける人が限られる神社」ってことです。行きたくても行けない気持ちがご利益をつくる、と言っても過言ではないでしょう。
参拝後に振り返ると、海の向こうに牡鹿半島が見えました。大昔の旅人は、この景色を見ながら何を思ったのでしょうか。
現代人にとっても、容易く行ける場所ではない島。その金華山に鎮座する黄金山神社に参拝することは、昔の人にとってどれだけの事だったでしょう。
島へ渡るには、健康・時間・財力・信仰心の全てが揃わなくてはいけません。
それを3年も連続で成し得られるのなら、その人はきっとお金に困らない人だといえるでしょう。そんな人が存在したかは知りませんが、そうでありたいと願ったことに違いはないでしょう。
僕たち現代人が、それを都合の良いように解釈をして、ご利益だけに走るのは筋違いなのかも知れません。3年連続で参拝できる時点で、その人は恵まれていると言えますからね!
このことに限らず僕たちの周りには、昔の人の言葉を違った意味で受け止めていることが多いのではないでしょうか。
帰りの船を降り、鮎川港の岸壁のコンクリートを踏みしめます。港の人に「おかえり」と声をかけていただいた時、なんとも言えない安堵感がありました。
待っていてくれたSRをキックで目覚めさせ、次の神社へ向かいます。疾走り続けられていることこそ、ご利益なんだと噛みしめて……旅は続く!
神社一口メモ
拝殿と本殿
ほとんどの神社は、横から見ると2つの建物から構成されています。
僕たち参拝者に近い方は、拝むときの雨風を避ける為にある拝殿(はいでん)と言います。その奥にあるのが本殿(ほんでん)。神様が宿るのは、こっちの方です。
お願い事は、本殿に届くように祈らなければ効果なし(笑)!?
おしかのれん街 黄金寿司
港の人に聞いて、伺ったのはコチラ。鮎川にきて、鯨を食べずして何を食べる!
ってことで、生まれて初めての鯨をいただきました。歯ごたえと、ほどよい脂身。
まぜた黄身と絡まって、口の中に初体験が広がりました。
更に目の前で獲れたカキまでいただきました!
文:佐々木優太/写真:関野 温/撮影協力:金華山黄金山神社