1909年、初めての国産のオートバイが誕生した。それから100年以上、あまたのモデルが世に出て、愛され、そして消えて行った。時代時代で光を放ったオートバイたち…。今となっては、もう写真でしか見ることができない車両もある。そんな、日本が誇るオートバイの歴史を紐解いていこう。「果たしてあなたは何台のオートバイを知っているだろうか?」

スズキ パワーフリー 1952年6月

画像: ●空冷2スト単気筒●36cc●1PS/4000rpm

●空冷2スト単気筒●36cc●1PS/4000rpm

戦前から自動式織機などで優れた技術力で知られていたスズキだが、このパワーフリー号が2輪メーカーとしての原点になった。ダブル・スプロケットホイールやサドル下にチェンジレバーを持つ2段変速機構など、先進の技術を盛り込み、1952年から1954年までに1万2500台を生産したヒットモデル。

陸王モーターサイクル 750RQ 1953年

画像: ●空冷4スト・サイドバルブV型2気筒●746.63cc●22PS/4250rpm●‐●230kg●5.00-16・5.00-16●34万5000円

●空冷4スト・サイドバルブV型2気筒●746.63cc●22PS/4250rpm●‐●230kg●5.00-16・5.00-16●34万5000円

1932年に三共製薬がハーレーダビッドソンの製造ライセンスを買い、35年に1200ccの陸王1号機を発売。その後、陸王内燃機、陸王モーターサイクルと社名を変更し、53年に750ccの陸王RQをリリース。リアはもちろんリジッドながら、フロントにはスプリングを持たない単動式油圧フォークを採用。手動チェンジの3段ミッションを介し、最高速は100km/hに到達した。

昌和製作所 昌和SH 1953年

画像: ●空冷4ストOHC2バルブ単気筒●149cc●6PS/5000rpm●0.85kg-m/3400rpm●113kg●2.75-19・2.75-19

●空冷4ストOHC2バルブ単気筒●149cc●6PS/5000rpm●0.85kg-m/3400rpm●113kg●2.75-19・2.75-19

1944年に設立された昌和はライバルに先駆けてOHCエンジンを搭載。パワーもクラスナンバーワンであった。1960年、ヤマハ発動機グループに入る。

愛三工業 アイサン 1953年

画像: ●空冷2ストディーゼル単気筒●25cc●1.5PS/6000rpm●―●―●5kg(エンジンのみ)●―

●空冷2ストディーゼル単気筒●25cc●1.5PS/6000rpm●―●―●5kg(エンジンのみ)●―

灯油を使い、移動式スリーブによりライダーが圧縮比を調整するバイクモーター。バッテリーや点火装置不要のローマンエンジンを採用している。

スズキ ダイアモンドフリーDF60 1953年3月

画像: ●空冷2スト単気筒●58cc●2PS/4000rpm●ー●−●−●3万8000円

●空冷2スト単気筒●58cc●2PS/4000rpm●ー●−●−●3万8000円

1953年に登場し、月産5000台を記録する爆発的なヒットとなったダイアモンドフリーDF60。スズキが2輪メーカーとしての確固たる地位を築いたモデルだ。

※諸元の並び順●エンジン形式●総排気量●最高出力●最大トルク●車両重量●前・後タイヤサイズ●価格(発売当時)

画像: スズキ ダイアモンドフリーDF60 1953年3月

↓【連載】「日本バイク100年史」バックナンバーをまとめて見る

画像: www.autoby.jp
www.autoby.jp

最新版【ニッポンのバイク112年歴史】オートバイ「2020年2月号」はこちら!

オートバイ 2020年2月号 [雑誌]

モーターマガジン社 (2019-12-27)

This article is a sponsored article by
''.