MOTACK アジア選手権フィリピンラウンド遠征レポート
オートバイ杯ジムカーナで2014年、2015年にSB級チャンピオンとなったJAGE・A級の小崎選手は、海外のジムカーナ大会にも積極的に参加。これまでもマレーシアとオランダで開催された大会へ参加、そのレポートはこのブログでも紹介してきた。そんな小崎選手が、2016年10月にフィリピンで開催されたジムカーナ大会へ参戦、久しぶりにレポートを送ってきてくれた。日本のジムカーナとはちょっと違う、独特の雰囲気を感じられるレポートをお届けしよう。
フィリピンで開催された「MOTACK アジア選手権 round 1」に参加してきました。この大会はアジア大会として実施されていて、マレーシア、シンガポール、日本の代表選手が参加するということで、日本からはマレーシアでMOTACKへの参戦経験のある私・小崎と、SB級のトップライダーであるA級・辻家選手、女性のトップライダーとしてC1級の高嶋選手とC2級の伊藤選手の4人が参戦しました。
この大会、日本のジムカーナのようにライダーのレベルによるクラス分けではなく、スクーター、150cc以下スクーター、150cc以下ネイキッド、250cc以上SS、250cc以上ネイキッド、BMWクラスという車両による区分がメインで、日本と共通なのはレディスクラスのみ。しかし日本の大会との最大の違いは、各クラスでマシンが1台用意されていて、全員が同じマシンでタイムアタックをするということ。しかも基本的にノーマルで、いじれるのはタイヤの空気圧のみという、究極のイコールコンディション。
その他レギュレーションも独特で、コースマーシャルが少ないことやコースが破壊されないことを重視して、パイロンタッチのペナルティが3秒加算となるなど、ペナルティーはキツめの設定。転倒した場合、一度だけ再出走を認められるというのもユニークだった。
会場はバイクショップ・カーショップ・バイカーズカフェなどが集まる商店街の駐車場を利用…するのだが、なんと舗装されていなかった! 路面はまさにダートトラック、コース清掃で箒で掃けば掃くほど砂の山が出来上がり、グリップ走行はほぼできず、ブレーキングですっころび、開ければスライドするという日本では考えられないコンディション。
この大会の参加者は70人、マレーシア、シンガポールからの参加者がそれぞれ約10人程度、日本からは4人、その他はすべて現地フィリピンの人たち。マレーシア、シンガポールからの参加者は10代~40代と幅が広かったが、地元フィリピンからの参加者は若く、10代・20代がほとんど。参加者はゴール付近で観戦、ゴールした選手に向けて拍手を送るなどイベントを積極的に盛り上げようという雰囲気でした。
コースはこんなレイアウト。日本のジムカーナライダー的に言うところのコテコテ、要するにタイトでテクニカルな設定。しかもダート路面はところどころ砂溜まりや泥だまりがあり、汚いラインに乗ると即転倒という状況。日本勢は私以外全員が転倒(私も前日の練習で何回も転倒しました)、というか全体的に転倒者が続出して、転ばず完走したものが勝つという展開。マレーシア、インドネシアからやって来たライダーはかなりレベルが高く、A級の私や辻家選手より速いタイムを出すライダーもいたが、路面状況がひどすぎで、ジムカーナでの速さなのか、オフロードのテクニックというべきか判断しにくかった。
しかしこんなひどい路面の中でも、地元フィリピンのライダーたちはものともしないで走っていた。わざとリアをスライドさせて走ったり、開け始めにカウンターを当てたり、日本では明らかにみられないテクニックを使うライダーもいた。しかしそんな中で、観衆を最も沸かせたのは辻家選手のドリフト走行だった。雨のなかでもGSX-R1000を全開で走らせる辻家選手だけに、路面が悪い状況も苦にせず豪快な走りを見せてくれた。
大会の結果は、ほぼ全クラスで日本・マレーシア・シンガポールのライダーが表彰台を独占、フィリピンのライダーは唯一シルベスター選手が250cc以上ネイキッドクラスで3位に入賞していた。我々日本勢では辻家選手が250cc以上ネイキッドクラスで優勝、高嶋選手もレディスクラスで優勝、私や伊藤選手も複数のクラスで入賞することができました。
以前参加したマレーシアの大会のレベルの高さを思えば、フィリピンはジムカーナが上陸してまだ2年、大会の開催自体が初めてということもあり、日本やヨーロッパのレベルにはまだまだ遠いなと感じたが、地元の参加選手がとにかくジムカーナを楽しんでいたことと、彼らの笑顔が特に印象に残っている。今後はイベントして、そしてゆくゆくは競技として根付いて欲しいと思った。東南アジアのジムカーナはまだまだ始まったばかりなのに、すでにアジア選手権として国を超えた活動を始めていることを思うと、ジムカーナは日本から始まった競技とはいえ、東南アジアの成長力は油断できないと感じさせられたフィリピン遠征でした。
(小崎弘敬)