まとめ:青木タカオ 画像提供:ハーレーダビッドソン ジャパン
創業家のDNAがいまも息づくブランド
ビル・ダビッドソン氏プロフィール

ハーレーダビッドソン創設メンバー4人のひとりを曽祖父に持つ、創業家4代目。モーターサイクル界の名門に生まれ、幼い頃からブランドの歴史とともに育った。モーターサイクルとの出会いは7歳のとき。父であり伝説的デザイナーとして知られるウィリーG・ダビッドソンに背中を押され、ハーレーダビッドソン M50にまたがった体験が、生涯にわたる情熱の原点となった。
ウィスコンシン大学ミルウォーキー校でマーケティングを学んだのち、1984年にハーレーダビッドソンに入社。以来、ブランド戦略やコミュニティ活動の中核を担い、公式試乗プログラム『ハーレーデモライド』の立ち上げや、世界最大級のモーターサイクルクラブ『Harley Owners Group』(H.O.G.)の発展に大きく貢献した。
その功績が評価され、スタージス・モーターサイクル・ミュージアムの殿堂入りを果たす。現在はブランドアンバサダーとして世界各地を訪れ、ファンとの交流を通じてハーレーダビッドソンの歴史と精神を伝え続けている。
熱き技術者、故・本田宗一郎氏が築き上げたホンダがそうであるように、ハーレーダビッドソンもまた、創業者たちの情熱と信念によって育まれてきたメーカーだ。そのスピリットとDNAは脈々と受け継がれ、一族はいまなおブランドの象徴として世界中のファンを惹きつけてやまない。
その系譜を受け継ぐひとり、創業家4代目にあたるビル・ダビッドソン氏(以下、敬称略)が13年ぶりに来日した。
穏やかな笑みを浮かべながら姿を現したビルは、まず自らのルーツについて丁寧に語り始めた。

13年ぶりに来日したビル・ダビッドソン氏。
「私はビル・ダビッドソン、ハーレーダビッドソン家の一員です。曽祖父が最初の創設者のひとりでした」
「具体的にいうと4名の人物がいます。私の曽祖父であるウィリアム・A・ダビッドソン、偉大な叔父アーサーとウォルター、そして彼らの親友であるウィリアム・S・ハーレーです」
1903年、アメリカ中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで産声を上げたハーレーダビッドソン。ダビッドソン兄弟とウィリアム・S・ハーレーが生み出した1台のモーターサイクルは、やがて世界を代表するブランドへと成長していく。
ビルの父は伝説的デザイナー、ウィリーG・ダビッドソン。『FXS ローライダー』(1977年)や『FXWG ワイドグライド』(1980年)など、数々の名車を生み出した人物だ。
「父とは今でもモーターサイクルの話ばかりしていますよ。新しいモデルやレース、カスタムについて……話題が尽きることはありません」
ビルは1984年に入社。以来、マーケティングやブランド戦略、コミュニティ活動の中核を担いながら、常にその最前線に立ち続けてきた。
「私は1984年に入社し、これまで多岐にわたるキャリアを積み重ねてきました。現在はCEO特別アドバイザー兼ブランドアンバサダーを務めています」
そして、ハーレーダビッドソンというブランドの未来への想いをこう語った。
「ハーレーダビッドソンは1903年に創業し、123年という長い歴史を持っています。この歴史がこれからも続いていくことは、とても素晴らしいことですし、私自身とても楽しみにしています」
その言葉には、単なる企業人としてではなく、創業家の一員としてブランドの歩みを見つめ続けてきた人物ならではの実感が込められていた。
日本はアメリカに次ぐ市場規模を誇る重要なマーケット

ハーレーダビッドソン ジャパン玉木一史代表(写真左)と、インタビューに応じた。
日本市場をどのように見ているのか? そう問いかけると、ビルはこう答えた。
「日本は1913年からハーレーダビッドソンとの歴史を紡いできた、とても重要なマーケットです。現在、アメリカに次ぐ世界第2位の市場規模を持っていることは本当に素晴らしいことです。今後、さらに発展させていきたいと思っています」
そう語りながら、ビルが視線を送ったのは隣に座るハーレーダビッドソン ジャパンの玉木一史代表取締役だ。
ビルも玉木代表も、全国の正規ディーラーとの強い信頼関係なくして、これまでの成長も、そして今後のさらなる発展もあり得ないと口をそろえる。だからこそ今後も、販売店との対話をより一層深めながら、日本市場との絆をさらに強固なものにしていく考えだ。
この日、ビルはハーレーダビッドソンシティ西東京(東京都西東京市)を訪問。昨年7月、最新のストアデザインプログラム『FUEL(フューエル)』を採用し、新たな装いで生まれ変わった正規ディーラーだ。
モーターサイクルを並べるだけではなく、ライディングギアやアパレル、カスタムパーツをトータルでディスプレイし、ライディングシーンを想起させるビジュアルとともに提案することで、ハーレーダビッドソンが掲げるライフスタイルそのものを体感できる空間へと進化している。
国際基準のストアデザインが日本でも着実に浸透していることを確かめるように、ビルは店内を見て回りながら、多くのオーナーたちと笑顔で言葉を交わした。
「今日もたくさんのお客様に会いましたし、日本のディーラーシップが素晴らしい形で発展しているのを目の当たりにしました。今後もこの関係をさらに深めていきたいと思っています」

ハーレーダビッドソンシティ西東京(東京都西東京市)には、平日だったにも関わらず、ビル・ダビッドソンが来ると聞いたファンたちが多く押し寄せた。
熱気を帯びるバガーレース

FIM ハーレーダビッドソン・バガーワールドカップ開幕戦 Circuit of the Americas。
現在、日本市場で支持を集めているのは『ローライダーST』と『ブレイクアウト』だ。アメリカではどのモデルが売れているのか? 同じなのか、それとも違いはあるのか、ビルに聞いてみた。
「ロードグライドやストリートグライドといったツーリングモデルが人気で、近年では“パフォーマンスバガー”という新たなカルチャーが熱を帯びています」
その象徴とも言えるのが、アメリカで人気を博すレースシリーズ『King of the Baggers』(キング・オブ・ザ・バガーズ)だ。
「重装備の大型ツアラーがサーキットを駆け抜けるレース“King of the Baggers”は、その象徴的存在です。父も大好きで、テレビで必ず観ていますよ」
その熱気は欧州にも広がり、今季からはMotoGPとの併催で、『FIM HARLEY-DAVIDSON BAGGER WORLD CUP』(ハーレーダビッドソン・バガー・ワールドカップ)がスタートした。開幕戦はアメリカGP。テキサス州オースティン近郊に位置するCircuit of the Americas(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)において、レース1が3月28日、レース2が翌29日におこなわれ、ビルは「とても素晴らしかった」と振り返った。
快適性を極めたグランドツアラーが、レーシングマシンとしてサーキットを走る。一見相反する価値の共存もまた、ハーレーダビッドソンというブランドの懐の深さを物語っている。

では、なぜハーレーはここまで人を惹きつけるのか。その答えは、ビル・ダビッドソンの言葉の中にあった。
「RIDE」はキャンペーンではなくブランドそのものの生き方を表現

新グローバルプラットフォーム『RIDE』のキービジュアル。
インタビューでビルがもっとも多くの時間を割いて説明したのは、新たなグローバルプラットフォーム『RIDE』についてだった。
ローンチに合わせて公開されたビジュアルでは、バー&シールドのロゴが力強く前面に打ち出され、プロモーションビデオにはウィリー・ネルソンの名曲『On the Road Again』が流れる。
デイトナ、ジュノーアベニュー、アメリカンフラッグ、そして老若男女さまざまなライダーたちが自由に走る姿が、じつにハーレーらしい空気をまとっている。
RIDE, AGAIN | Harley-Davidson
youtu.beキービジュアルが壁に掲げられたインタビュールームに入ると、開口一番、「これは僕だよ」とジョークを飛ばして筆者たちを笑わせた。
ヘリテージクラシックの上を勢い良くジャンプし、カメラに向かってピースサインをよこすライダーは、もちろん撮影のために用意されたモデルであり、彼自身であるはずがない。
『RIDE』は4月10日、世界同時公開された。プレスリリースでは「ハーレーダビッドソンの新たなグローバルブランドプラットフォーム」と説明されている。
一見すると新たなプロモーション施策のひとつにも映るが、その本質はもっと深い。ビルはその位置づけをこう説明する。
「これまで、さまざまなキャンペーンやプロモーション活動を展開してきましたが、そのメッセージはすべて一定期間ごとのものであり、方向性もそれぞれで異なっていました。しかし“RIDE”はそれとは大きく異なります。ハーレーダビッドソンそのものを表現する、時間を超えて受け継がれていくプラットフォームなのです」
言葉を選ぶように、ビルは“RIDE”の意味を丁寧に解き明かしていく。
ハーレーが売っているのは“人生”そのもの

インタビュールームの壁に掲げられたポスター。
新しいキービジュアルには、“Life, liberty, and the pursuit of happiness”(生命、自由、そして幸福の追求)という一文が添えられている。
トーマス・ジェファーソンによるアメリカ独立宣言の一節として知られる言葉だが、ハーレーはこの“Life”を「生命」ではなく「人生」や「生き方」と解釈している。ビルはこう言う。
「“ハーレーに乗って人生が変わった”と言ってくれる人は本当に多い。私たちにとって“Life”とはそういう意味なんです」
さらに続ける。
「“Liberty”(自由)という言葉には、前輪の赴くままに旅に出ようという意味が込められています。そして"幸福の追求”は、ただバイクに乗る時間だけではなく、カスタムを楽しんだり、アパレルを選んだり、ディーラーに立ち寄って仲間と語らったり、そんな幸せな時間を過ごして欲しいという願いです」
ビルの言葉に静かにうなずいていた、ハーレーダビッドソン ジャパンの玉木代表が、自身の解釈をこう続けた。
「RIDEとは“原点に立ち返る”ということだと私は捉えています」
そう前置きすると、本社ミルウォーキーのジュノーアベニューに建つレンガ造りの社屋に話を広げた。
「ハーレーダビッドソンには“レンガをひとつずつ積み上げる”という考え方があります。本社に行くと、その象徴ともいえるレンガの建物がある。ひとつひとつ積み重ねてきた歴史こそが、このブランドの土台なんです」
そして、その思想こそが『RIDE』に込められているという。
「ビジネスにはさまざまな方向性があります。でも私たちの原点は、単にモーターサイクルを売ることではありません。たまたまモーターサイクルを売るという形をとっていますが、本質的にはライフスタイルを提供しているのです」
さらに玉木代表は、ウィリーG・ダビッドソンの言葉を引き合いに出す。
「“We ride with you”という有名な言葉があります。これは単に一緒に走るという意味ではありません。私たちは常にお客様のそばにいて、人生をともに走る存在でありたい、ということなんです」
つまり、ハーレーダビッドソンが売っているのは、バイクだけでなく生き方そのものなのだ。
創業から123年、こんなにも長くブランドが愛され続けてきた理由を、ビルはどのように考えているのだろうか? その問いに対し、ビルは確信に満ちた口調でこう答えた。

「ハーレーダビッドソンが最も大切にしてきたのは、ライディングの楽しさ。Look(ルック)、Sound(サウンド)、Feel(フィール)。この3つを徹底して大切にしてきたからで、その姿勢はこれからも変わりません。“RIDE”はそれを最もシンプルに、力強く表現できる言葉なのです」
五感に訴えかける製品づくり

ハーレーダビッドソンシティ西東京を訪問したビル・ダビッドソン氏。
スペックだけでは語りきれない領域がある。しかしライダーにとって、ときにそれこそが最も重要な価値になる。少なくともハーレーダビッドソンにおいては、その傾向が顕著と言っていいだろう。
実際、筆者は取材を通じて多くのオーナーに話を聞いてきたが、「ハーレーでなければオートバイには乗っていなかった」「ハーレーに乗るために免許を取得した」と語るユーザーは少なくない。
極端な例を挙げれば、車名や年式よりも、まず“それがハーレーであること”そのものに価値を見いだしているオーナーもいる。性能以上に“ハーレーであるかどうか”が彼らにとっては重要なのだ。こうした特別な想い入れを持つオーナーが、昔から存在し続けている。
では、何に惹かれるのか。そう尋ねたとき、多くのオーナーが口にするのは、ビルが語ったルック・サウンド・フィールといった、五感に訴えかける魅力である。
さらにビルはこう続けた。
「私たちは常にお客様の夢や望みに耳を傾け、それを形にしてきました。例えば、1990年に発表したFLSTF ファットボーイですが、当時の私たちにも、それが正解かどうかはわかりませんでした。ただ“ルック・サウンド・フィール”にフォーカスして送り出した結果、大きな成功を収めたのです」
今回は先述した通り、正規ディーラーへ足を運んだビル。13年前に来日した際は、筆者たちジャーナリストとともに、公式イベント『ブルースカイヘブン』へ向かう富士スピードウェイまでの道のりを一緒にハーレーで走った。
こうして常にユーザーたちの声に耳を傾け、それを製品開発へと反映させてきたのが、ハーレーダビッドソンだ。その象徴的なエピソードとして語り継がれているのが、父であるウィリーG・ダビッドソンの逸話である。
スタージス・モーターサイクルラリーへの往復で着想を得たウィリーGは、全身をブラックアウトした『FXDB スタージス』のスタイリングを思いつき、それを実際に製品化。大胆なその発想は、いまなおファンの間で伝説として語り草となっている。
では、環境規制が厳格し、水冷や電動化といった大きな変化の波が押し寄せるなか、ハーレーダビッドソンはこの先、どのように対応していくのだろうか? そう問いかけると、ビルは力強くこう答えた。
「技術は変わるかもしれませんが、“ハーレーらしさ”であったり、カスタマーの夢を叶えるという使命は何も変わりません。私たちは各国のレギュレーションや規制動向を常に注意深く見ながら、新たなモデルを開発していきます」
その一例として挙げたのが、現行の主力パワーユニットである『Milwaukee-Eight』(ミルウォーキーエイト)だ。
「このVツインエンジンの開発では、単純に大きなラジエターを装着するのではなく、どこに熱が集中しているのかを徹底的に研究しました。検証を重ねた結果、熱が特に集中していたのはエキゾーストポートやスパークプラグ周辺だったことがわかりました。そこで、その部分にだけ冷却水を通すことで、必要な箇所を効率的に冷却することに成功しました」
では、その先に見据える未来とはどのようなものなのか。次期モデルを含めた今後の展望について問いかけると、ビルはいたずらっぽく笑みを浮かべながらこう答えた。
「新しいラインナップについて言ってしまえば、僕はクビになってしまうよ」
そう冗談めかしてはぐらかしつつも、ビルはすぐに真剣な表情へ戻って続けた。
「VVT(可変バルブタイミング)をはじめ、二輪業界全体で導入が進む最新技術を活用しながら、私たちが大切にしている“ルック・サウンド・フィール”をどう継続していくのか。それを常に考えながら開発を進めています」
その視線は、すでに次の10年を見据えている。
「20年先というと少し大げさかもしれませんが、少なくとも10年先のビジョンははっきりと描けています。さまざまな情報を集め、それに適切に対応していくことが重要だと考えています」
変化を恐れず、それでいてハーレーダビッドソンらしさという本質は決して手放さない。ビルの言葉から伝わってきたのは、未来への不安ではなく、その哲学に裏打ちされた確かな自信だった。
変化の時代にあってなお、自らの本質を見失うことなく走り続ける。その揺るぎない姿勢こそが、123年にわたり世界中のライダーを魅了し続けてきた理由なのだろう。
そしてインタビューを終える頃には、当初はまだ輪郭のぼんやりしていた『RIDE』という言葉の意味が、少しずつ鮮明な像を結び始めていた。
まとめ:青木タカオ 画像提供:ハーレーダビッドソン ジャパン


