「バイクとの暮らしを、よりよいものに」がコンセプトのスタイリッシュなライディングギアで、世代や性別を超えて高い支持を得ている『56design』。誕生から18年目を迎えたライフスタイルブランドの未来について、元MotoGPライダーであるブランドプロデューサー、中野真矢さんに聞いた。
文:齋藤春子 写真:松川忍

56designショールーム

画像: 千葉県東金市日吉台4-791-7 営業時間:10:00〜18:00(土/日/祝のみ) 定休日:月〜金曜日

千葉県東金市日吉台4-791-7
営業時間:10:00〜18:00(土/日/祝のみ)
定休日:月〜金曜日

56designは2008年、MotoGPライダーとして活躍中だった中野真矢さんが、「バイクに寄り添うライフスタイルブランドを作りたい」と立ち上げたライディングギアブランド。

ブランドフィロソフィーの「LIFE WITH MOTORCYCLES」は、海外を拠点に転戦する日々の中で中野さんが刺激を受けた、生活の中にバイクが溶け込むヨーロッパの価値観や文化を表現したもの。ライディングに求められる安全性と、上質なバイクライフを実現するデザイン性を備えた商品を展開している。


56designプロデューサー

中野真矢さん

画像1: 〈インタビュー〉『56design』ブランドプロデューサー中野真矢さん(元GPライダー)に聞く【ブランドの歴史】

1977年千葉県生まれ。1999年から10年に渡りロードレース世界選手権250、500、MotoGPクラスで活躍。現役時代のゼッケン「56」は、大ファンであるコミック『バリバリ伝説』(しげの秀一作)の主人公・巨摩郡のナンバーに由来する。

画像2: 〈インタビュー〉『56design』ブランドプロデューサー中野真矢さん(元GPライダー)に聞く【ブランドの歴史】

2012年、自身が資金面で苦労した経験から若い選手にチャンスを与えたいと若手育成チームを発足。今期は『SDG Jr.56RACING』として全日本ロードレース選手権J-GP3クラスに14歳の富樫虎太郎選手、関東ロードミニ選手権SP-EXPクラスに10歳の木村隆之介選手が参戦する。

画像3: 〈インタビュー〉『56design』ブランドプロデューサー中野真矢さん(元GPライダー)に聞く【ブランドの歴史】

めざすのは、バイク文化を伝えるプラットフォーム

正反対の指導方法だった二人の恩師が育ててくれた

──今回は、せっかく中野さんにお話を伺うので、やはりMotoGPでの現役時代のエピソードもぜひお聞きしたいなと思っています。改めて、レースを始めたきっかけから教えていただけますか?

「僕は一人っ子なのですが、大人しくて引っ込み思案な子供だったんですね。なので両親は、積極性や自信を持たせるために何かスポーツをやらせようと考えたらしくて、5歳の時に、車やバイクが好きだった父に千葉北ポケバイコースに連れていかれたのが始まりです。最初は怖くて、とにかく早く帰りたかった。まずポケバイの音の迫力に圧倒されたし、乗り方を教えてくれたサーキットの先代社長が怖いんですよ(笑)。未だに忘れられないのが『ここは遊園地ではない。レールはないから自分でコントロールしないと自分も危ないし、他の子にも迷惑をかける』と言われたこと。僕は遊び感覚だったので、ビビって泣いたのを覚えています。でもよちよちなりに乗れるようになると楽しくて、結局、自分のポケバイを買ってもらったのですが、今度はまた両親が何を思ったか、12枚の一万円札を畳の上に並べて『お前にこれから買うものは遊びじゃない。本気の覚悟で買うものだ』と言うんです。うちは普通のサラリーマンの家庭ですから、真剣にやりなさいと伝えたかったのでしょうが、まだ5歳ですからね(笑)。その時の父親の姿も、強烈に記憶に残っています」

──その後全日本ポケットバイク選手権で優勝し、ミニバイクレースでも多数のタイトルを獲得。ロードレースにステップアップした1994年からは『SP忠男レーシング』に所属し、初年度に鈴鹿4時間耐久ロードレースで優勝しています。名門チームの指導はいかがでしたか?

「名だたるライダーを輩出したチームなので、メカニックさんとか現場のノウハウはすごかったです。チームを設立した鈴木忠男社長は、サーキットに来てもスタンドとかで見ているだけで、成績が良ければひとこと声をかけてくれるけど、悪い時は何も言わずに帰るんですよ。たぶん裏ではライダーのためにいろいろ動いてくれていたのでしょうが、現場はメカさん達に任せて、黙って見守ってくれていました。僕は2012年に若手育成チーム『56RACING』を設立し、今は若手ライダーを教える立場ですが、チームのやり方はいろいろでも、社長みたいなスタイルはかなり珍しいと思います」

──1997年にヤマハレーシング入りし、翌1998年にはヤマハファクトリーライダーとして、全9戦中8戦で優勝する圧倒的強さで全日本ロードレース250ccクラス王者となります。まさに才能が開花した年という感触だったのでしょうか。

「当時のヤマハファクトリーの監督だった〝シャケさん〟こと河崎裕之監督は、まさに僕の恩師。黙って見守る忠男社長とは正反対で(笑)、しっかり走りを見て指導してくださいました。ただ、10代の頃の僕だったら、河崎監督の指導を理解できなかったと思うんです。忠男社長のところで自由にやらせてもらった後に巡り会えたから、自分の力をすごく伸ばしてもらえました。指導は厳しかったけれど、僕が全日本でチャンピオンを獲れたのは間違いなく河崎監督のおかげですし、9戦中8勝なんて成績は、チームのすべてが噛み合わなければ実現できなかったこと。もう1回やれと言われても、きっとできないなと思います(笑)」

5歳から始まったレース人生はMotoGPという世界の舞台へ

「初めてのサーキットは怖くて早く帰りたかった」と語る中野さんだが、乗れるようになるとバイクの楽しさに開眼。1987年に全日本ポケットバイク選手権で優勝し、1989年にミニバイクにステップアップ後も、複数のミニバイクレースでチャンピオンとなった。


画像1: 5歳から始まったレース人生はMotoGPという世界の舞台へ

WGP250、500、MotoGPで戦った1999年からの10年間で、中野さんは21回もの表彰台を獲得している。2004~2006年はカワサキレーシングのファクトリーライダーとして活躍したが、移籍初年度だった2004年の日本GPでは、カワサキにとっては23年ぶりとなるロードレース世界選手権での3位表彰台を獲得。チームですら予測していなかったというこの快挙に観客はどよめき、ツインリンクもてぎにはその激走を讃える惜しみない拍手が鳴り響いた。


画像2: 5歳から始まったレース人生はMotoGPという世界の舞台へ

56design誕生の年であり、中野さんにとってはMotoGPラストイヤーとなった2008年は、イタリアの名門プライベーターチームである「サンタカルロ・ホンダ・グレシーニ」から参戦。前年の不調から回復し、シーズン最高位は表彰台にあと一歩に迫る4位だった。コンスタントにポイントを獲得し、年間ランキングは9位だったが、翌年からスーパーバイク世界選手権に活動の場を移すこととなる。

画像3: 5歳から始まったレース人生はMotoGPという世界の舞台へ

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