文:齋藤春子 写真:松川忍
周囲の期待に応えてこそプロのレーシングライダー
──1999年にいよいよWGP250ccクラスにフル参戦を始めますが、開幕戦でいきなり3位表彰台を獲得。年間ランキングは4位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。2年目には早くもチャンピオン争いを繰り広げ、しかもチームメイトのオリビエ・ジャック選手と最終戦までもつれ込む激しいものでした。
「最終戦は、チームの緊張感がとんでもない状況でした。クリスチャン・サロン以来のフランス人チャンピオン誕生がかかっているからと、フランス人のジャーナリストから『頼むからオリビエにタイトルを取らせてくれ』と言われたりもして。『なんだそれ。絶対やだ』と返したけど、向こうは完全に本気で言ってました(笑)。でもそれくらい、ヨーロッパでは世界グランプリのチャンピオンには重みがあるってことなんです。最終戦のグリッドとか、僕よりもメカニックが緊張して震えていたので、僕の方が『大丈夫だよ』って励ましていましたからね」
──壮絶ですね…。惜しくも最終戦は2位で、年間ランキングも2位。2001年は500ccにステップアップし、最高峰クラスでもルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得されています。ですが、2004年にカワサキレーシングへの移籍を発表。レースファンにはかなり大きな衝撃でした。
「僕もヤマハの人に移籍すると電話した時は泣きましたよ。カワサキからオファーをもらった時は、やっぱりむちゃくちゃ悩んだんです。ずっとヤマハで世界を目指して走ってきましたし、当時はメーカーを変えるなんてご法度のイメージでしたから。先にヤマハからもらっていた来年の契約内容が満足できるものではなかったことも悔しかったし、同時に、ヤマハの求める成績を出せなかった自分がすごく不甲斐なくて、いろんな感情が入り混じってましたね。でも最終的には、自分を一番欲しいと言ってくれるチームで、新しい挑戦をしようと決めました」
──以前、中野さんがインタビューで「カワサキ時代は楽しかった」と発言されていたのを目にしたことがあります。
「カワサキレーシングは2002年に20年ぶりに世界GPに復帰したばかりで、ポイント獲得も難しいほどに発展途上のチームでした。だから僕のチーフメカニックを中心に、とにかく中野に合わせてマシンを作っていこうという姿勢だったんですね。その期待に応えたい思いが強かったですし、やりがいも大きかった。ニンジャZX-RRには初めて乗った時からポテンシャルは感じたので、どんどん開発が進んで、成績も上がっていった時間は本当に楽しかったです。移籍初年度の日本GPでの3位表彰台は、チームの誰も想像していなかったし、僕のレース人生でも一番と言っていいほど印象に残っている表彰台です。移籍3年目には、オランダGPで初めてポールポジションを取りに行って、最終的にはコンマ何秒差で2番グリッドだったけれど、2位表彰台という結果も残せた。ここでやれることはやったという達成感がありました」
──翌年、コニカミノルタ・ホンダに移籍。2008年はサンカルロ・ホンダ・グレシーニで戦い、2009年はアプリリアレーシングからSBK(スーパーバイク世界選手権)に参戦と目まぐるしかったですね。
「ライダーとして一度はホンダのマシンで走りたかったし、コニカミノルタとホンダという日本パッケージのチームに大きな魅力を感じて移籍を決めました。なのに思うような走りができず、カワサキ時代に積み上げた自信がすべて崩れた一年でしたね。翌年はグレシーニというトップチームで走るチャンスをもらい、最高4位までいったけど、自分としては『表彰台が取れないんじゃダメだな』という気持ちでした。それでももう一年SBKで走ると決めたのは、イタリアメーカーであるアプリリアが日本人にオファーしてくれるなんて、こんな光栄なことはないと思ったから。でも結局、首をケガして最後まで走れなくなり、離脱することになってしまった。せっかく僕に期待してくれたアプリリアには、本当に申し訳なかったと今でも思います」
引退でぽっかりと開いた穴がやるべきことを見つけて埋まった
──ホンダでMotoGPを走った最後の年に『56design』を立ち上げたわけですが、これまで経験のない分野での新たな挑戦は苦労もあったのでは?
「僕はバイク以外に打ち込めるものもないし、特技もないので、将来は何かしらバイクに関わることをやりたいと現役時代からずっと考えていましたが、自分でブランドをやろうと決めてからは、もう完全に夢と勢い先行でしたね。ブランドを立ち上げてからも、最初の3年ぐらいは全然上手くいかなかったですし、自分で全部コントロールしたい性格だから人に任せきることはできないしで、本当にギリギリでした。それに当時は、小さい頃から大好きで続けてきたレースをケガで引退したことで、心身にぽっかり穴が開いた状態だったんです。引退を決めた時、オリビエ・ジャックに電話で伝えたのですが、ヨーロッパの人は引退する人を必ず 『おめでとう』と讃えてくれるんですよ。彼もおめでとうと祝ってくれましたが『今までは夢だったからな。現実に戻るから頑張れよ』とも言われて。その時は、そんなの自分もわかってるよと思ったけれど、自分は本当に夢の中にいたんだってことを、やめてからすごく実感しました。レースは確かに非現実的な世界で、そこが魅力でもある。『56design』というブランドと向き合うことで、現実の世界でも前を向いて挑戦を続ける気持ちが取り戻せたのだと思います」
──引退直後は、まるで龍宮城から戻ってきたような気持ちだったのですね。
「本当にそうです。お世話になったレースに恩返ししたい気持ちはあったので、ホンダさんが主催する電動バイクのキッズスクールのお手伝いをしたりはしていましたが、まだ現実感がなかったですね(笑)。あとは、BS11のバイク番組『MOTORISE』からレギュラー出演のお話をいただいたことが、目指す方向性が見えたという意味で大きかったと思います。好きなバイクに乗って、ツーリングをして、いろんな人に会って。僕はこの番組で初めて、風が気持ちいいことを知ったんですよ。それまで風は時速300km/h以上の世界で感じるものでしたから(笑)。自分自身も新たなバイクの楽しさを知ったし、バイクの魅力を世間にもPRできるというのが、すごく自分が今後やりたいことに合致していました」
56designのフィロソフィーは“LIFE WITH MOTORCYCLE”
千葉県東金市のときがね湖畔に建つ『LAKE SIDE TERRACE(レイクサイドテラス)』は、本格コーヒーと石窯で焼き上げたピッツァを提供する『Fioretto(フィオレット)』と、『56design』ショールームの複合施設。ショールームではSPIDI、XPD、 BREMA、rizoma などの海外ブランドも展示しており、2階は自由に利用できるラウンジスペースとなっている。



ブランドの初期から登場しているフード付きライディングジャケットは、56designを代表するアイテムのひとつ。
新作のバイクロゴシャツは、バイク文化を広めたいという想いを込めた。
ライフスタイルブランドとして今後チャレンジしたいこと
──いまやバイクウエアの定番となったフード付きライディングジャケットや、EDWINとのコラボによるライダースデニムは『56design』がいち早く手掛けたイメージがあります。2023年にはレストランとショールームを併設した複合施設『レイクサイドテラス』をオープン。スタートから18年を経て、バイクに寄り添うライフスタイルブランドとしての存在感が増していますね。
「そう言ってもらえると嬉しいですね。もともとブランドをアパレルから始めたのは、『世の中のバイクのイメージを少しでも良くしたい』という気持ちがありました。『56design』のものづくりは『格好良さ・おしゃれさ・安全性』を備えることを前提に〝バイクに乗らない人からどう見られるか〟〝業界にとって意味がある商品か〟の2点を常に意識しています。そしてレイクサイドテラスは、長らく自分の頭の中にあった夢をようやくひとつの形にできたものです。ヨーロッパやアメリカでは、カフェの一角でバイクウエアを売っていたり、バイク屋と理髪店、レストランとバイク屋が並んでいたりと、バイクが生活に溶け込んでいる光景をよく見かけます。『56design』も単なるウエアブランドではなく、バイク文化を次の世代へつなぐためのプラットフォームでありたいと願っています」
──その他にも『56design』の展開で計画していることはありますか?
「国によってレギュレーションが異なるので、クリアしなければいけない課題が多いのですが、チャンスがあれば海外進出は挑戦してみたいです。あとはやはりライフスタイルブランドですので、バイクにまつわる〝衣食住〟を担えることが最終的な夢ですね。衣と食はいま手がけていますので、ガレージハウスとか家具といった『住』を展開してみたいです」
──最後に、中野さんの考える〝56designらしさ〟とは何でしょうか。
「言葉にするのは難しいのですが、ブランドを始めて良かったと感じるのは、『56design』のウエアを街で偶然、着てくれているライダーを見かけた時なんです。その瞬間に今までの苦労が吹き飛びますし、過去には思わず話しかけてしまったこともあります(笑)。あと最近は、僕がレースをやっていたと知らないお客さんも多くて、僕はそれがすごく嬉しいんですね。ブランドの背景や、僕が元GPライダーとかは関係なく『バイクとの暮らしを、よりよいものに』というコンセプトに共感して、ウチを選んでくださる方が増えていることが嬉しいですし、そう思ってもらえるブランドであることが、ウチらしさなのかなと思います」
札幌・東京・奈良では姉妹店が展開中
『56design』のブランドフィロソフィーに賛同する協力会社によるフランチャイズショップも拡大中。店舗デザインや商品展示方法などブランドの世界観を共有する姉妹店として、現在は東京・西武渋谷店と、札幌、奈良の3店舗を展開している。

56design TOKYO by Motorimoda

56design SAPPORO by RICOLAND

56design NARA by RICOLAND
『56design』ブランドプロデューサー・中野真矢さん 写真
文:齋藤春子 写真:松川忍



