ホンダ初のオリジナル製品は、自転車用補助エンジンだった。ここからホンダの歴史は始まった!

ホンダの第一号車 初めての2ストロークエンジン

画像: Honda Model A 1947 総排気量:50cc エンジン形式:空冷2ストロータリーバルブ単気筒エンジン 最高出力:1.0PS/5000rpm 当時価格:1万6000円

Honda Model A 1947

総排気量:50cc
エンジン形式:空冷2ストロータリーバルブ単気筒エンジン
最高出力:1.0PS/5000rpm

当時価格:1万6000円

戦後日本の復興のアシ、ホンダの歩みはここから始まる

第二次大戦後の1946年、ホンダ創業者の本田宗一郎は陸軍が放出した無線機用小型発電エンジン(ミクニ製)を補助動力として自転車に搭載、これを庶民の復興の足として売り出した。「買い出しに出かける愛妻に楽をさせてあげたかったから」という思いが製作するきっかけと伝えられている。

その原動機付自転車は飛ぶように売れ、ミクニ製エンジンはあっという間に尽きてしまった。その結果、ホンダは自社開発でエンジンを作ることを決意したのである。

ホンダの第一号機であるA型はドイツのベルリンにあったシュリハ製2ストロークを参考にしていた、通称「エントツ式」エンジンの流れを汲んでいる。吸入方式はクランクシャフトのウェブを利用したロータリー式。これは少しでもガソリンを無駄にしないために充填効率を上げなければならないという、ホンダの考えを反映したもの。

A型は小学校教員の初任給が2000円の時代、1万6000円という価格にも関わらず大ヒット。その売り上げはわずか半年で1430万円に達し、国内の原付用モーターのシェアの6割を占めることになった。

その後継であるC型からは車体もホンダ設計となり、ドリームD型からは、エンジン、車体ともに自社生産へと発展した。

画像1: ホンダ初の市販製品「モデルA」(A型)とは? 第二次世界大戦後の1947年に発売された自転車用補助エンジン

頑丈な実用自転車に組み合わせる原付モーターとしてA型は登場。敗戦で経済が壊滅した当時の日本で、これらの原動機付き自転車は復興のアシとして大活躍。奇跡の経済成長の足がかりとなった。

画像2: ホンダ初の市販製品「モデルA」(A型)とは? 第二次世界大戦後の1947年に発売された自転車用補助エンジン

メインフレームの三角部内の空間に、A型モーターは3点支持でマウントされる。駆動の伝達にはプーリーとベルトの組み合わせが用いられていた。吸排気のレイアウトは前方吸入、前方排気だった。

※この記事は月刊『オートバイ』2021年6月号別冊付録「RIDE」の特集から一部抜粋し、再構成して掲載しています。当特集のスタッフ 文:安藤佳正、宮﨑健太郎/写真:赤松 孝、松川 忍、南 孝幸、森 浩輔/撮影協力:ホンダコレクションホール

This article is a sponsored article by
''.