レジャーバイクが元気だった70年代。モンキー、ダックス、シャリーにバンバン…。個性的なモデルは今でも多くの人の記憶に残り、今でも愛されるバイクとなっている。それぞれの想い出と共に…。
文:太田安治/写真:松川 忍/車両協力:オートショップセキグチ
画像1: Honda ダックスホンダ ST50

Honda ダックスホンダ ST50

太田安治(おおた やすはる)

1957年生まれ。初めての愛車であるモンキーZ50Mから愛車として30〜40台のバイクを乗り継ぎ、Z2やCB750FOURもかつての愛車のひとつ。86年に国際A級ライセンスを取得。91年〜94年まで全日本ロードレース選手権に監督として参加。GP250クラスではプライベート最上位を獲得し、所属ライダーを世界GPへと送り出した。現在は月刊『オートバイ』で試乗インプレから用品テストをはじめ、さまざまな企画を手がけている。これまでに試乗したモデルは5000車種以上、その数は今も更新中。

【ショートストーリー】想い出はレジャーバイクと共に(太田安治)

ダックスと海とフルートの君

「えっ、借りてくれたバイクってこれなの? なんだか変わったカッコしてるけど……」

 彼女は妙に細長くて小さいオートバイを物珍しそうに見ている。

「ダックスホンダっていうんだ。ほら、車体の形が胴長短足のダックスフントみたいだから」

「ガソリン入れるとこがないよ?」

「こいつのフレームはTボーン型って言って、鉄板をギュッてプレスした左右2枚のパネルを真ん中で溶接してある。鉄パイプを曲げて溶接するより簡単で安く作れるんだ。ガソリンタンクは外から見えないけどシート下側のフレームの中にあるよ。やっぱりホンダってアイデアがすごいんだ」と、行きつけのバイク屋のオヤジから聞いた話をそのまま説明する。でも彼女の顔はダックスに向いたままで、偉そうに垂れた蘊蓄は耳を素通りしていた。

「ダックス君、よろしくね!」と律儀に挨拶して遠慮がちに跨がり、キャブレターのスターター引いてキックペダルを踏み降ろす。キック一発! とはいかず、7発目で『トテテッ』と眠たげにエンジンが目覚めた。ここから海まで片道70キロか、遠いなあ……。

借り物だったけど彼女はライダーになったんだ

彼女は僕が通学に使っているモンキーを見て、「これなら乗れそう」と思ったそうだ。顔見知り程度だった同級生から急に「オートバイの乗り方を教えてください」と言われて驚いたけれど、思い詰めた表情が可愛かったから迷わずOK。教師の目が届かない校舎裏でエンジンのかけ方からギアチェンジ、ブレーキ操作まで基本を教えた。

とりあえず乗れるようになった彼女は一夜漬けの勉強でさっさと原付免許を取ると、「自分で運転して海まで行きたい」と大胆なことを言う。でも僕のモンキーZ50Mはタイヤも車体も小さいから安定性が悪く、前後サスペンションがないので乗り心地も最悪。とてもじゃないけど免許取り立ての彼女が海までたどり着けるなんて思えない。

初心者が簡単に乗れて海まで行ける50ccバイク……と考えて、バイク仲間からダックス50を借り、僕はミニトレGT80で伴走することにした。

待ち合わせ時間より30分も早くやってきた彼女は、高校で見慣れている制服ではなく、ぴったりしたデニムと青地に白い袖のスタジャン。僕の顔を見るなり真新しい免許証とジェットヘルメットを突きつけるように見せ、「今日から私もライダーだよ!」と誇らしげに宣言した。うん、原付免許に借り物ダックスでもライダーはライダーだ。

大都会の東京でも日曜日の朝は気持ち悪いくらいに道路が空いている。1時間ほど走ると交通の流れに慣れ、バックミラーに写る彼女はひたすら笑顔だ。

信号待ちのたびに、横に並ぶ彼女は何かしらの報告をしてくる。

「あのね、お尻の位置をちょっと後ろ側にするとフラフラしなくなるの」
「走り出したらすぐセカンドギアに入れると走りやすいよ」
「下り坂で70キロ出しちゃった!」
「オートバイってすごいね。これならどこだって行けちゃう……」

興奮気味に話す様子は、毎日放課後の音楽室でフルートを吹いている物静かな吹奏部員と同一人物とは思えない。オートバイの用意は面倒だったけれど、この笑顔でチャラどころか、パチンコで打ち止め連発よりも得した気分だ。

画像: 【ショートストーリー】想い出はレジャーバイクと共に(太田安治)

はじめてのツーリングは彼女に大きな決意をさせた

逗子の海沿いにある駐車場にはたくさんのオートバイが止まっていた。メッキのマフラーをキラキラ輝かせている大きなオートバイに混じり、モンキーやダックス、バンバンといった小さなオートバイ達が、「ふう……」と息を吐いているように休んでいる。

駐車場のオートバイを見て回った彼女は戻ってくると何か考え込んでいたが、意を決したように顔を上げた。

「もっと練習して上手になったら高速道路も走れるオートバイが欲しいな。目標は10代のうちに日本一周。それで成人したら世界一周。ホントだよ、決めたんだ!」

その夜、ヘトヘトになって帰宅した彼女は、お尻の痛さに堪えながら正座して熱い思いを親に伝え、大反対する母親を一ヶ月がかりで説き伏せた。

翌年の夏、見知らぬ地名の消印が押された封書が届いた。中には真っ赤なCB400fourに跨がって満面の笑みでピースサインを出している写真と、やたら大きな文字で書かれた『あなたとダックス君が開いてくれた扉から飛び出して日本一周中です。帰ったら話すことがい~っぱいあります』という短い手紙が添えられていた。

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