英語なんて話せない、メンテナンスも自信なし、その上過度のビビり体質。それでも海外ソロツーリングは可能なのか!? 2016年9月にマンハッタンからカナダ国境ナイアガラの滝を目指した一人旅の模様を記します。

ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

バイク旅2日目。晴れた!

画像1: ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

ナイアガラについたのは、14時だ。ナイアガラの滝は、アメリカとカナダの国境にある。どうせだったらバイクで国境を越えてみようと思った。

橋を渡った先にあるゲートは、東京湾アクアラインを渡った先の木更津金田料金所を思わせた。「銃は持っていないか?」と聞かれ、「ノー」と答えるとすんなり通してくれた。

面倒を予想していただけに拍子抜けだが、無事カナダへの入国を果たした。

画像2: ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

ナイアガラの滝は圧巻だった。

旅の目的地にふさわしいスケール。かつて訪れたグランドキャニオンも感動したが、ひとりということが相まって、それ以上に感慨深い。

何か記念になるものをと、土産屋でマグネットを買った。米ドルが普通に使えたが、お釣りで返ってきたのはカナダドル。これ、アメリカで使えるのか……。

画像3: ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

カナダ滞在時間は、わずか1時間。CASINOの文字に後ろ髪を引かれたが、もう出発しなくてはレンタルバイクを期限内に返せなくなる。明日返さないとバイク屋の定休日の都合で、帰りの便に乗れなくなる。それはまずい。

すんなり来たかのようだが、ここまで800km走っていた。だいたい東京-青森間と同じくらいの距離がある。

ボルトは70マイル(時速112km)巡行がやっとだった。前傾な上、スクリーンもなく、ヘルメットのシールドを忘れるという愚行もおかしていた。ずっと一番遅い右車線の端を耐えながら走るしかなかったのだ。

ただ、バイク自体の調子はいい。鼓動感も心地よく、見た目もかっこいい。ボルトを選んでよかった。

シールドをしないでハイウェイを走り続けると顔が真っ黒になった。目は真っ赤。

カナダからアメリカへと同じ国境で戻る。今度は銃ではなく「食べ物を持っていないか?」と聞かれた。

画像4: ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

やばい昨日のドーナツの残りがザックに入っている……「アイ ハブ ドーナツ」と弱弱しく答えた。

すると、笑い声とともに「Go!」と通過を許可される。どうやらドーナツはセーフなようだ。

 
バイクで信号待ちなどをしていると、子供がよく手を振ってきた。振り返しながら「ドーユーライク モーターサイクル?」と僕は尋ねる。

しかし、一度として返ってきた言葉を理解できなかった。そのたびに気まずい。愛想笑いを浮かべながら去るしかない。

バイク旅2泊目はハイウェイから見えたモーテルに無事入れた。ちなみに宿の値段は、初日は45ドル・2日目は65ドルだ。

画像5: ナイアガラの滝はカナダとの間にある。ついでに国境を越えてみる!

バイクを無事返して、海外ソロツーリングの緊張を実感する

3日目の昼過ぎ、レンタルバイク屋に戻り、ボルトを返却した。

念願だった、単独アメリカツーリングは、無事何事もなく、終わりを告げた。

そして、僕はこのとき、この旅一番の幸せを感じてしまった。

バイクから解放された安堵感。

画像: ありがとうボルト、君を選んで本当によかった!

ありがとうボルト、君を選んで本当によかった!

なんと情けない。ツーリング雑誌の編集部員(当時)でありながら、バイクを返したこの瞬間が、もっとも自由を感じ、ホッとしている。

画像: 走行距離は956.2マイル=1538.8kmだった。

走行距離は956.2マイル=1538.8kmだった。

僕の周りには、バイクで世界一周を果たしたライターやカメラマンがたくさんいた。

その誰もが、余裕で楽しんでいるような雰囲気だったから、マヒしていたのだろう。

やっぱり、海外単独ツーリングは、大変だ。

せめて、何か突出した能力があったら……と思う。

それは英語力でもいいし、バイクのメンテナンス技術でもいい、もしくはどんなことにもビビらず突き進む強いハートでもいいだろう。

思い返せば、世界一周を果たしたライダーは、そういったスキルを必ずひとつ、もしくは複数持っている。

画像1: バイクを無事返して、海外ソロツーリングの緊張を実感する

ナイアガラの滝のそばの街で、地元のライダーに話しかけられたのが、大きな思い出だ。

「どこから来たんだ?」

「ニューヨーク」

「はっはっは、ここもニューヨークだぜ!」

最初、何を言っているのかさっぱりわからなかった。地図を見ると、ナイアガラの街「ナイアガラフォールズ」もマンハッタンと同じニューヨーク州だったのだ。

日本で考えれば、東京都心から奥多摩へ行ったようなもんだろうか。しかし、たったそれだけで、最大級の達成感を得ている。

原付の高校生か! と自分に突っ込みたくなった。

でも、きっとそういうことなのだろう。

海外ツーリングは、高校時代の原付ツーリングに近かった。

見たことない地名や景色の連続。その場所の文化やマナーもわからない。パンクしたら、いったいどうすりゃいいんだ……という気持ちはまさに高校生以来の感覚だった。

画像: バイクとアメリカの絶景、などを期待されていた方、申し訳ございません。時間的にも精神的にも写真を撮る余裕が全然なかった……。

バイクとアメリカの絶景、などを期待されていた方、申し訳ございません。時間的にも精神的にも写真を撮る余裕が全然なかった……。

さて、バイクを返したあと、僕は何をしたか。

ニューヨークシティに戻り、とにかく酒を飲んだ。緊張からの弛緩、ロングアイランドアイスティーが沁みわたる。

画像: タイムズスクエアのハードロックカフェで飲んだロングアイランドアイスティー。ニューヨークで生まれたカクテルだ。

タイムズスクエアのハードロックカフェで飲んだロングアイランドアイスティー。ニューヨークで生まれたカクテルだ。

画像: こっちはブルックリンブルワリーの工場で飲んだビール。

こっちはブルックリンブルワリーの工場で飲んだビール。

翌朝日本へ戻らなくてはならない、この旅最後の夜。スパイダーマンと出会ったタイムズスクエアに再び向かった。

画像: 再訪したタイムズスクエアはスパイダーマンであふれかえっていた。

再訪したタイムズスクエアはスパイダーマンであふれかえっていた。

メインストリートは煌びやかだが、一本外れると街灯もほとんどない静かな通りとなる。なんとなく、そちらも見てみたくなり、道をそれた。

すると、屈強な黒人2人が道をふさぐ。

しれっと通り過ぎようとしたが、甘かった。

「CDを買え」と無理やり謎の白いディスクを渡してくる。

僕は「ノーノー」としか抵抗できない。

2m級の黒人が「ファイトファイト」と返す。

応援してくれているわけではなさそうだ。こぶしを握りながらの「ファイト」だから「おめえ、やんのか?おらぁ!とっととCD買えや!」ってところだろう。

当然、チキンな僕はノーファイト。このとき財布に入っていた全紙幣26ドルと謎の白いCDが交換された。

宿に戻り、「これはカツアゲではない、CDを妥当な料金で買っただけ」と言い聞かしながら、悔し涙とともに、買ったばかりの白いディスクを叩き割った。

画像2: バイクを無事返して、海外ソロツーリングの緊張を実感する

海外ソロツーリングは、高校時代の気分を呼び覚ましてくれる。

さらにタイムズスクエアは、地元の不良におびえていた小中学生時代をも思い出させてくれた。

 
最後に、この旅は楽しかったのか、という疑問に答えたい。

29歳のニューヨーク。最高の旅だった、と3年経ったいまも思う。

文・写真:西野鉄兵

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