衝撃的なデビューを飾った1980年の衝撃が再び!
時は1980年。
ドイツ・ケルンで開催されるモーターショーが、まだインターモトではなく「IFMAショー」と呼ばれていた時代。
スズキブースに大きな話題を呼ぶ1台のバイクが展示された。
美しい曲線美を見せる、張りのあるタンクと、そこからつながってフロントノーズにかけて鋭くなっていく、シャープなフロントカウルは、日本刀の切っ先をイメージしたもの。
そして、ライダーを迎えるかのように窪んだ濃紺のシートと、グレーに彩られたタンデムシートは、まるで日本刀の束のよう。
誰もが見たことのないカタチ。
「カタナ」と名付けられたそのバイクを、ギャラリーたちはまるでよその星から来た乗り物でも見るかのような目で眺めていた。
これが後世語り継がれてきた「ケルンの衝撃」と呼ばれる、カタナ誕生の瞬間である。
それから40年近い時が過ぎ、新たなる「衝撃」がケルンを襲った。
それがこの新型カタナなのである。
きっかけとなったのは雑誌のカスタマイズから
今回突如登場することになった新生カタナだが、そのきっかけは昨年の11月にイタリアで開催されたEICMA(ミラノショー)にさかのぼる。
スズキブースの片隅に、突如「カタナ3・0」という名のバイクが展示され、たちまち注目を浴びたのだ。
その反響の大きさに慌てたのか、そのバイクはほどなくしてスズキブースから、イタリアを代表するバイク雑誌、モト・チクリスモ誌のブースに移される。
そう、騒ぎの火種となった「カタナ3・0」はモト・チクリスモ誌が誌面展開してきた、GSX-S1000をベースとしたカスタム企画から生まれたマシンだったのである。
しかし、騒ぎはこれだけでは収まらなかった。なんと、このカスタムバイクにスズキそのものが動くことになってしまったのだ!
EICMAでの「カタナ3・0」の反響はすぐにスズキに報告され「なんとかコレを現実のものにできないか?」という稟議が上がり、議論が始まった。
聞けばそこでは賛否両論あって、激しい議論が交わされたようだが、最終的にこの稟議の結果、なんとGOサインが出されることになる。
それが2018年1月のことだったそうだ。
開発期間、わずか半年あまり。突貫工事の末にデビュー
通常、オートバイの開発というものは、たとえ派生モデルであったとしても、商品企画の立案からデザイン、プロトタイプの制作、実走テストなど、さまざまな作業を必要とするもの。
大企業のひとつのプロジェクトとなるだけに、大勢の人手を使った上に、数年かけて商品化するのが通例だ。
このカタナの場合、稟議の末にスズキが正式にGOサインを出したのが2018年の1月のこと。
通例であれば、実車のデビューはそこから2年後、早くても1年ちょっとは必要となるはずだが、今回のインターモトでのデビューはそれからたった9か月後のこと。
スズキは「何としてもインターモトに間に合わせる!」という大号令のもと、異例づくめの超スピード開発を命じたのである。
スズキにそこまで開発を急がせた理由はたったひとつ。
それはケルンだから。
初代のカタナが誕生したケルンでカタナを再び送り出すべく、スズキは無理を承知で開発期間を圧縮したのである。
当然ながら、開発は「突貫工事」さながらの大変さだったそうだが、開発陣は一丸となってこれを突破して見せたのである。