しばらく日が空いてしまいましたが、2018鈴鹿8耐の後日談です。
今大会、鈴鹿8耐はヤマハファクトリーチームの4連覇で幕を閉じましたが、鈴鹿8耐は世界耐久選手権の最終戦。この世界耐久選手権のシリーズチャンピオンには、今大会で5位フィニッシュを果たした、F.C.C.TSRホンダフランスが輝きました。
鈴鹿サーキットのすぐ近くに位置するF.C.C.TSRホンダは、ホンダワールド株式会社、というオートバイショップ。サーキット通り、イオンモールの方からサーキットに向かうと、南海部品鈴鹿店の先、ちょっと登り坂の右側にありますね。いつもウィンドーに、次の8耐までの残り日数をサインボードに表示してますよね。そのホンダワールドが持つレーシングチームが「テクニカルスポーツレーシング」、それがつまりTSRです。
TSRの名前が一気にメジャーになったのが、1991年。この年、鈴鹿サーキットで開催された91年WorldGrandPrix(=WGP)開幕戦日本グランプリ・GP125クラスで、所属ライダー上田昇がポールtoウィンで優勝。上田はそのまま、そのシーズンのフル参戦を開始するのです。この上田が、いまMotoGPの解説でもおなじみ、チームノビー率いるノビーさんですね。翌年は坂田和人もTSRからWGPに参戦しています。
TSRはその後、GP250クラスや500クラスにマシンコンストラクターやチームとして参戦し、2010年からはMoto2マシンのフレームビルダーとしても参加。それと並行して、全日本ロードレースや鈴鹿8耐に参戦していました。97年にはX-FormulaクラスにCBR1100XXブラックバードで参戦していたこともあったっけ。あ、それもライダーが坂田さんだった!
代表の藤井正和さんは、店のキャッチフレーズを「バイク一筋」とするくらいのバイクバカ。あ、いい意味ですからね。いい意味でのバカです、愛すべきバカです。怒られないといいけど。バイク=レース、レースのこと、それを勝つことばっかり考えている人です。藤井さんに会ったことのある人なら、その「熱」にヤラれます。アツい人なんです。
その藤井さんが、今年の鈴鹿8耐に対しての抱負で、信じられないことを言いました。
「今年の鈴鹿8耐は優勝を狙わないぞ」
ん? 優勝を……狙わない……?
「いや、もちろんどんなレースでも優勝は狙うよ。今まではどんなレースでも全力で優勝を目指してた。けれど今回は5位で10位でもいい。GMT94ヤマハよりひとつでも上の順位でフィニッシュ出来たら、何位だっていいんだ」
3年で世界チャンピオンになる、の有言実行
TSRホンダが世界耐久選手権に活動の場を移したのは2016年のル・マン24時間耐久レースから。その16年はランキング7位、16-17年はランキング4位、そして17-18年はランキングトップで、最終戦・鈴鹿に「帰って来た」のでした。
16年に、藤井監督が「世界耐久選手権にフル参戦して、3年で世界チャンピオンになる!」と言ったこと、どこかリップサービスというか、ビッグマウスに聞こえていたのに、フル参戦3年目で、本当にチャンピオンを狙える位置で鈴鹿に帰って来たのです。
世界耐久選手権は、この最終戦が第5戦。第4戦までのリザルトは以下のとおりです。
■開幕戦 ボルドール24時間
優勝:GMT94ヤマハ 2位:BMWモトラッド 3位:ホンダエンデュランス 4位:NRT48シューベルトモト 5位:IVレーシングBMW 6位:TSRホンダ
■第2戦 ル・マン24時間耐久
優勝:TSRホンダ 2位:ホンダエンデュランス 3位:BMWモトラッド 4位:ボリジャースイス 5位:SRCカワサキ 6位:3ARTモト 10位:GMT94ヤマハ
■第3戦 スロバキア8時間耐久
優勝:YARTヤマハ 2位:GMT94ヤマハ 3位:TSRホンダ 4位:ホンダエンデュランス 5位:NRT48 6位:マーキュリーレーシング
■第4戦 オッシャースレーベン8時間
優勝:TSRホンダ 2位:SRCカワサキ 3位:GMT94ヤマハ 4位:NRT48 5位:MACOレーシング 6位:MOTO AIN
4戦を終わって、TSRが2勝、GMT94ヤマハが1勝、YARTヤマハが1勝。ランキングトップはTSRホンダ、2番手に10ポイントで追うGMT94ヤマハ、3番手のホンダエンデュランスは37ポイント差。鈴鹿8耐は最終戦のボーナスポイントで、優勝すると45ポイントもらえますから、この3チームにチャンピオンの可能性が残されていました。その中でもホンダエンデュランスは優勝して、TSRホンダとGMT94ヤマハがノーポイントに終わらなければ可能性はないので、ほぼTSRホンダとGMT94の2チームだけにチャンピオンの可能性が残っている、という状況でした。つまり、TSRは何位でフィニッシュしようがGMT94よりひとつでも上の順位でゴールできればチャンピオン確定です。藤井監督の驚くべき「優勝を狙わない発言」は、こういうところから来ていたんですね。
「今までは、負けたって何も失うものはない、と思って戦ってきた。挑戦しなきゃ何も始まらないからね。全力で走って、途中で潰れたってそれがレースだろう? 大きいチームに挑戦するとか、全力でぶつからなければなにも起こらないと思っていた。でも、今回は違う。最後まで走り切ってポイントを取って、総合得点でGMT94を上回りたい。レースだもの、転ぶことだってあるさ、でもピットまで帰ってきてマシンを戻してほしい。こんなレースは過去にやったことがなかったね。大変と言えば大変だけど、こういうプレッシャーは楽しいよ。最終戦で、地元・鈴鹿でチャンピオンを獲るなんて、最高の舞台じゃないか」
TSRホンダのライダーは、フレディ・フォレ、アラン・ティシェという2人のフランス人と、オーストラリア人、ジョシュ・フックの3人。フックはTSRから全日本選手権に参戦していたことがあるし、フォレはかつてS.E.R.T.で世界耐久チャンピオンを獲得したこともあり、ティシェはWGPのMoto3クラスにTSRホンダから参戦してたし、スペイン選手権Moto2クラスのチャンピオン。この時は同じく日本のNTSフレーム車に乗ってましたね。
TSRという日本のチームでありながら、日本人ライダーがいないことで、正直ファンのみなさんも僕らメディアも、少し感情移入がしにくかった。そこを、藤井監督に聞いてみました。
「去年の8耐が終わってから、オレはもうこの3人で行こうと決めていたんだ。確かに日本人ライダーはいないよ、でもだからなんなの?って思ってる。オレは世界耐久というチャンピオンシップに勝つために最高の、最適のライダーを3人揃えたのであって、そのライダーの国籍がどうだってことは考えていない。日本人ライダーが、オレの考える条件に入ってくれば、当然ライダーに加えることはあるかもしれないけどね」
世界選手権グランドフィナーレはじまる
今年の鈴鹿8耐の本格スタートは、7月上旬から始まりました。参加チームを対象にした合同テストの第1回目が7月5~6日に、第2回が翌週の7月10~12日に行なわれたのです。そこから鈴鹿8耐の本番まで約1か月。ライダー3人はこの間ずっと日本に滞在し、合宿していたというのです。
「3人で生活することで生まれるチームワークを狙ってるんだ。みんなで買い出しに行って、メシ作る係とかさ、普通の生活から一緒に行動するんだ。ヨーロッパの耐久の時だって、レース前の数週間は一緒に生活するんだよ。そうやって、うちのチームはできてきたんだ」
レースウィークのスタートは7月26日のフリー走行。3回の走行セッションで、TSRホンダは5位/6位/14位となり、総合7番手とまずまず。まずは総合15番手に終わったGMT94ヤマハを上回りました。
27日には公式予選がスタートし、2回の走行のうち、まずは1回目のフックが11番手、フォレが9番手、ティシェが13番手。2回目はフックが7番手、フォレが17番手、ティシェは19番手。総合では12番手グリッドを獲得し、ここでも14番手スタートのGMT94ヤマハを上回っています。
ちなみにTSRホンダは、この日に行なわれた夜間走行で5番手を獲得。一発のタイムを出すことじゃなく、8耐の順位を上げるためには、雨でも晴れでも、昼でも夜でも安定したタイムを出していかなければならない。藤井監督も3人のライダーも、そういう準備を進めてきた結果の、決勝前夜。
「マシンにもライダーにも問題がないわけじゃないよ。コンディションが変わればマシンのフィーリングも変わるし、アランはケガが完全に治ったとは言い難い。問題がある中でも、少しずつ前に進んでいる感じかな。どんと派手に見せられないもどかしさはあるけれど、もっといいタイムを出せる手ごたえがあるところを、みんなで抑えている感じなんだ。予選トップ10?関係ないよ。ポールタイムが2分05秒台に入った?それも関係ない。我々はワールドチャンピオンになるために、いまレースをやっているんだ。しぶとく、粛々とやりたいよね。終わってみればワールドチャンピオンなんて最高じゃないか」
負けず嫌いのバイクバカ(何度もすいません)のことだ、予選12番手が悔しくないわけがありません。かつて伊藤真一を走らせていた頃、TSRといえばトップ10トライアルのスーパーラップ、ポールポジションの常連として有名だったチーム。その藤井監督が、しぶとく粛々と、といっている。チャンピオンがかかった最終戦とは、そういうものなのだ。
最後の最後に見えたTSRの狙い
明けて29日日曜日は決勝レース。台風がかすめていった鈴鹿サーキットは、朝から天候が不安定で、あさイチには曇り、朝フリーで小雨が降って乾いていったと思ったら、決勝スタート直前には雨脚が強くなった。スタートはウェット路面、ウェットタイヤでのスタートだ。
スタートライダーはフォレ。オープニングラップを14番手で終了、予選よりも順位を落としたものの、フォレはピタリと一定のペースをキープ、順位は10番手あたりを走行しながら、17周目のピットイン時には7番手までポジションアップしていました。
ピットインでガソリン補給、タイヤをレインタイヤからスリックタイヤに換えて、再びフォレが走行。結局フォレは、46周目に2度目のピットイン。最初のライダーをここまで引っ張ったのは、レッドブルホンダとTSRくらいです。
そしてこの頃、GMT94ヤマハもTSRホンダをぴたりとマークしていました。TSRホンダが1回目のピットを17周目としたのに対し、14周目にピットに入ったGMT94ヤマハはスリックタイヤに履き替えたのが早かった分、一時TSRホンダを先行。しかしフォレも25周目にGMT94ヤマハのダビデ・チェカを逆転。このスティントの終盤にかけては差を広げてみせました。
TSRホンダはフォレとフックのふたりでレースを回し、GMT94ヤマハはチェカとマイク・ディ・メリオ、ニッコロ・カネパの3人。ティシェは、けがの回復を考えて温存です。レースが3時間目、4時間目、5時間目となっても、TSRホンダとGMT94ヤマハはつかず離れずのポジションを走行。レースはセーフティカーが入って全車の間隔が詰まったり、雨が降って転倒車が続出したりと、鈴鹿8耐らしいなにがあるかわからない展開になっていきます。
つねに4~5台を間に挟んでのTSRホンダとGMT94ヤマハの位置関係も、TSRがひとスライド、ひとオーバーラン、さらにひと転倒するだけで簡単にひっくり返される展開が続いていました。
開始5時間を過ぎるころ、徐々にポジションを上げ始めるGMT94ヤマハ。6時間目ごろ、150周を過ぎた頃には、TSRホンダが5番手、GMT94ヤマハが8番手あたりに位置して、160周目ごろにはついに2台はテールtoノーズへ。169周目には、とうとうGMT94ヤマハがTSRホンダをパス! ラスト1時間、GMT94ヤマハがTSRホンダに先行するものの、おそらくこの頃、藤井監督はひとつも焦っていなかったでしょう。順位がひとつ上であるだけならば、10ポイントリードは逆転されることはないし、この時点で、TSRホンダの決定的なアドバンテージがあったのです。
それが、ピットイン回数。TSRホンダは、急に雨が降ったり、セーフティカーが数度介入したにもかかわらず、恐るべき正確さでピットイン回数を管理していたのです。
両チームのピットタイミングは以下の通り。
TSRが6回のピットを済ませたラスト1時間のGMT94ヤマハとのバトルで、敵は7回のピットインを済ませ、残り1時間もどうやらそのままでは走り切れず、もう1回ピットに入る必要があった――。これで勝負は決まりました。
TSRホンダは、優勝したヤマハファクトリーレーシングから3周遅れの196周で5位フィニッシュ。GMT94ヤマハは、その45秒ほど後方の6位でフィニッシュ。5位と6位。ワールドチャンピオンは、日本代表、TSRホンダに決定したのです。
GMT94だけを見てレースをする、競り合いをしたって10ポイント差分は負けても大丈夫、そして勝負を分けたのは耐久レースらしく、ピットインの回数と燃費性能、そして勝利への執念でした!
「こうやって世界チャンピオンになれたのは、本当に鈴鹿という場所のおかげ。鈴鹿で勝ちたい、結果を出したいと思いながらずっとレースを続けてきた。オレは世界中のサーキットで表彰台に上がって来たけれど、鈴鹿の表彰台は本当に最高! 来年は、鈴鹿8耐でも優勝できるようなチームを作りたいね。我々はトップライダーを揃えているわけではないし、マシンだって最高峰のワークスマシンじゃない、チームだって小さいバイクショップが母体だ。それでも世界一になれるんだってことを、たくさんのひとに見せたかった。このような結果を残せたのは、日本のみなさん、TeamJAPANが支えてくれて、後押ししてくれたからだと思う。鈴鹿に帰ってくれば、必ずチャンピオンになれると信じていた。みなさん、本当にありがとう!」
アツい闘将は、鈴鹿サーキットのピットレーンでラストランナーのフックを迎え入れ、何度も何度も夜空に拳を突き上げていました。誰彼かまわず抱きつき、雄叫びを上げていました。藤井監督、悲願達成! 成し遂げました、おめでとうございます!
日本初の世界耐久ワールドチャンピオンチーム! けれどTSRホンダは、すぐに9月中旬に開幕する、新シーズンのボルドール24時間耐久への準備をスタートさせています。
「1回勝ったくらいで夢がかなったけど、満足はしないぞ。もっともっとやりたい。もっと挑戦したい。バイクを使って、日本を、世界を元気にしたいよ。ホンダガナンバー1だってこと、世界中に知らしめてやる!」
写真/Honda TSRホンダ 松川 忍 文責/中村浩史