ヤマハファクトリーチームの4連覇で幕を閉じた2018鈴鹿8時間耐久ロードレース。
これでマイケル・ファン・デル・マークは昨年に続いて2連勝、アレックス・ロウズは16年から3連勝、そして中須賀克行は15年から4連勝です。
ご存知の通り、中須賀は今大会、出走はしませんでしたが、公式記録では4連勝。これは2010年のハルクプロ、2012年のTSRホンダが優勝した時に、10年には中上貴晶が、12年には岡田忠之が出走していないけれど優勝者として記録に残っているのと同じこと。中須賀は納得いっていないでしょうが、記録は記録。中須賀は2019年大会で5連覇を狙うことになりますね。
「いやだ。ツナギ着らんといけんの?」
鈴鹿8耐の決勝レースがいよいよ終盤、ヤマハファクトリーレーシングの4連覇がほぼ確実になった頃、ヤマハのライダー、関係者控室では、中須賀のそんな声が響いていました。もうすぐ表彰式、そこにはライダー3人全員が登壇するので、最終スティントを走っていたロウズ、中須賀と一緒に控えていたファン・デル・マークの3人が対象。出走しなかった中須賀は、レース中にツナギを着ておらず、チームシャツで通していたため、表彰台には上がるけれど、ツナギに着替えるかどうか、で中須賀が難色を示していたわけです。本心に近い言葉を使うとき、中須賀は地元、九州の言葉遣いになります。
「オレ、走っとらんし、どんな顔して表彰台に上がればいいんよ……」
けれど、横にいた吉川和多留監督は、こう説得にかかります。
「3人揃ってこそチームだろ? だから克行も出るんだよ、出ていいんだって。だってあのバイクを作ったのお前なんだからさ。誰もなんにも言わないよ、言うわけないじゃん」
揺れる中須賀。そこに現れたのは、チームカガヤマの加賀山就臣。中須賀にとって加賀山は、メーカーやチームを越えての友人であり、仲のいい先輩。今大会でも、チームカガヤマのホスピタリティで夕食を採っている中須賀の姿がありました。
「カツ、なんかイヤがってるって? お前はチームの一員なんだから、アレックスとマイケルと表彰台に上がんなきゃだめだ。お前には上がる資格があるんだよ、上がれって!」
乱暴な言葉の先輩の笑顔に納得したか(笑)、中須賀は痛む右肩をかばいながら、長い時間をかけてツナギに袖を通したのでした。
中須賀克行は、まぎれもなくヤマハファクトリーレーシングの一員です。中須賀36歳、ロウズ27歳、そしてファン・デル・マーク25歳と、チームの中でも最年長。今大会でも、8耐4連覇を狙ってチームは好発進。事前テストの時点から、いや2018年全日本ロードレース開幕戦の時点から、中須賀+ロウズ+ファン・デル・マーク+YZF-R1は鈴鹿8耐の優勝候補の筆頭に挙げられていました。レースウィークに入ってからも、ヤマハファクトリーレーシングは、カワサキTeamグリーンとともに今年の8耐の流れをリードしていました。
26日木曜日の公式練習では総合トップタイムをマークし、27日金曜日の公式予選では、中須賀がトップタイム、ロウズはWSBKチャンピオン、ジョナサン・レイ(カワサキTeamグリーン)に続く2番手、ファン・デル・マークはレオン・ハスラム(カワサキTeamグリーン)、ランディ・ドゥ・プニエ(MuSASHi RT ハルクプロHonda)に続く3番手。3人の平均タイムでの総合成績では、カワサキTeamグリーンに続く2番手につけました。
それでも、カワサキTeamグリーンにもヤマハファクトリーレーシングにとっても、この計時予選は「10番手までに入ればいい」セッション。なぜなら、土曜位に行なわれるトップ10トライアルで、最終的なスターティンググリッドが決まるからです。
明けて28日土曜日。この日はトップ10トライアル。思えば、2015年のこのトップ10トライアルで、当時ヤマハファクトリーに在籍していたポル・エスパルガロが2分06秒000のスーパーラップを刻んでポールポジションを獲ってから、ヤマハの華々しい3連覇の歩みが始まったのです。
ちなみにこの時、中須賀のタイムはエスパルガロから0秒059遅れ、16年のスーパーポールは、またもエスパルガロが2分06秒258でポールポジションを獲り、中須賀は0秒177遅れ、そして17年にはアレックス・ロウズに0秒187差をつけての2分06秒038で中須賀がポールポジションを獲得しました。
計時予選の後に行なわれるトップ10トライアルは、選手側からも、どこか「お祭り」的なイメージに捉えられていて、中須賀も少しだけ、あのポルの06秒000を狙っていたのかもしれません。中須賀が記録好きなのは、本人も認めていますからね。
そして、トップ10トライアルを前に行なわれるフリー走行。ここで事件は起こりました。ヤマハファクトリーレーシング、最初のライダーは中須賀。しかし中須賀は、コースインした周のS字コーナー上で、前のライダーの急な減速を避けきれず、転倒してしまうのです。コースインした集団がバラける寸前、コースインしてわずか30秒ほどで、なんでもないところで、絶対王者が転んでしまったのです。
マシンから投げ出されて、肩から路面に叩きつけられる中須賀。後方のマシンに轢かれそうになりながらも、なんとかエスケープした中須賀は、肩を抑えてしばらくうずくまってしまいます。セッションは赤旗中断。凍り付く場内。それでもヤマハファクトリーレーシングのピットは冷静にスペアマシンの準備を始め、フリー走行は、ロウズによって続けられます。そしてファン・デル・マークに続いて、中須賀も再びコースイン。ただ、これはケガの状況を確認するための走行で、中須賀はわずか数周でピットに戻ってしまいます。
セッション終了後、病院へ直行した中須賀。診察の結果は右肩の「肩鎖関節亜脱臼」で、骨折は免れたものの、肩関節が外れてしまい、激しい痛みに苦しむことになります。もちろん、トップ10トライアル出走はできず、翌日の決勝レースへの出場もほぼ絶望。
出たい、でも何かあったらチームに迷惑をかけてしまう。
出られない、でもそれではロウズとファン・デル・マークに負担をかけてしまう。
押しつぶされそうな思いを胸に、中須賀はロウズとファン・デル・マークに何かあったとき用のバックアップとしての役割を選ぶことになります。苦渋の選択。出たい、出られない、情けない、なぜあそこで転んじゃったんだろう――。
「大丈夫、ナカスガサンが作ったマシンなんだから、おれたち二人で楽に走り切れる」
ロウズは、そう声をかけたといいます。それでも表情は晴れない中須賀。すると、ファン・デル・マークがやおら立ち上がって、チーム控室に備え付けてあるホワイトボードの前へと進みます。
なにやらスマートフォンを手に、ホワイトボードに文字を書き始めるファン・デル・マーク。何かを打ち込み、そこに表示された文字を書き写し始めます。それは、漢字と日本語でした。もちろん日本語の読み書きなどできないファン・デル・マークは、スマホ画面に表示された文字を、見よう見まねで書き写したのでしょう。
それが、上の写真です。
「我々は大好き21」
文末の、クエスチョンマークに見えるのは21、ヤマハファクトリーのゼッケンナンバーです。おそらくファン・デル・マークは「We love 21」と打ち込んで、翻訳サイトの日本語を書き記したのでしょう。この時、部屋にいたライダー、スタッフは、ホワイトボードを見て泣いたそうです。もちろん、中須賀も。
実は事前テストの時にも、ファン・デル・マークはホワイトボードにメッセージを書き記しています。それが、下の写真。母国オランダ語を翻訳アプリかなんかで日本語に変換し、それを書き写したのでしょう。なんてやつだ、ファン・デル・マーク。
明けて29日日曜日。決勝レースの間、ロウズとファン・デル・マークが走るのを懸命にサポートする中須賀がいました。ピットと控室を何度も往復して、このレースを走らなかった野左根航汰とともに、ロウズに、ファン・デル・マークに寄り添う中須賀。
ライダーならではの気配りで、ライダーの心理を瞬時に読み、走行が終わってピットに戻ってくるライダーに、言われる前にドリンクを、タオルを用意し、休憩時にモニターを眺めるライダーに、走行中の他チームの情報を伝える中須賀。それは本当に甲斐甲斐しく、親身になったライダーファーストなケアでした。
そして8時間が終わりに近づき、冒頭のツナギ着用のシーンがあり、中須賀はピットへ向かいます。最終スティントを走るロウズを、ファン・デル・マークの隣に座って待つ中須賀。ファン・デル・マークは度々声をかけ、中須賀の目には光るものが見えました。きっと、ロウズを待つ間にも、自らを責めているに違いない中須賀の心を、ファン・デル・マークが解きほぐしていたのでしょう。
表彰式が終わってからの記者会見。
「僕は正直何もしていませんけど、(ヤマハと個人の4連覇が)記録として残ってうれしいです。全日本からバイクを作ってきて、こうやって結果を出せたのもうれしい。あらためて、アレックスとマイケルふたりのスゴさがわかったし、刺激になりました。本当は、一緒に走ってからここにいたかったから悔しいけど、ヤマハとして4連覇という記録が作れてうれしいです。来年もいいバイクを作って、連勝記録を伸ばしたい。その時は、3人の中心にいたいです」と中須賀。
中須賀のパートナーふたりも、優勝の喜びとともに、中須賀への感謝を忘れなかった。
「最高の気分。ナカスガサンが作ってきてくれたバイクは、すごく快適に乗りやすくて、オーバーテイクしやすかった。ナカスガサンが走れないと聞いて、残念だったよ。僕たち3人はチームなんだし、それぞれ3人のいいところがあって勝って来たんだからね」(ロウズ)
「たいへんなレースだった。昨日ナカスガサンが走らないと聞いて、すごくドキドキしたし、スタートライダーが僕になると聞いて、ストレスもあった。でもやるしかないからね。アクシデントがあっても、チームはプラン通りに進めてくれて、優勝できた。勝てて本当にうれしい。来年もこの3人で走りたい」(ファン・デル・マーク)
最後に中須賀が締めた。
「走れないってわかってから、ふたりがすぐ『大丈夫だ、おれたちはチームなんだから』って言ってくれました。僕のけがで、3人の絆がまた深まったと思います」
鈴鹿8耐は、難しいレースだ。灼熱のコンディションの中、ひとり1時間を走り、それを何度も続けることはもちろん、1台のバイクを2人、または3人で乗り、ポジションもエンジンの特性も、足回りのセッティングもガマンの連続だからだ。
あるライダーに聞いたことだけれど、あの灼熱の状況下では、自分がひとより1周でも長く走るだけでムカつくのだという。もちろん、相方よりもタイムが出ないのも悔しいし、休憩の後、またツナギを着なければならないのが本当に嫌なのだ、と。普通の判断もできなくなる--それが鈴鹿8耐。
その中で、中須賀とロウズ、そしてファン・デル・マークは、本当に助け合った。時にイチャついてるんか、と思うほどロウズが中須賀をイジりw、けれど時にはマシンを前に、睨み合うようにセッティングをすり合わせる。長い間、8耐を見て、取材してきているけれど、こんなに仲がいい日本人&外国人ペアを、僕は他に知らない。
中須賀とチームを組むのが3年目のロウズが場を盛り上げ、中須賀は時にイジられ、2年目のファン・デル・マークは横で笑っている、中須賀を中心に回っているそんな3人。
8耐は、友情物語が語れるほど甘いレースじゃない。けれど友情があって初めて、勝利にグッと近づくレースなのだ。
写真/YAMAHA EWC 中村浩史 文責/中村浩史